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小池百合子学歴詐称問題本当のヤバさとは何か【前編】 -エジプト軍部ファミリーと、その深すぎる闇

謎謎帝国のT・Oです。

今回のテーマは、
小池百合子学歴詐称問題、本当のヤバさとは何か【前編】
ーエジプト軍部ファミリーと、その深すぎる闇

結論から言うと、小池の学歴詐称で一番の問題は、日本がエジプトに大きな借りを作ってしまったことである。

■ エジプト政府公認の「カイロ大学卒業」

もはや、卒業したか否かの証拠探しは無駄だ。
極めて異常なことだが、この件に関してはカイロ大学だけでなく、エジプト政府までもが小池のカイロ大卒業を表明したからである。
今年2020年6月9日、カイロ大学が駐日エジプト大使館のFacebookアカウントを通して「小池百合子は卒業した」との声明を出した。
そこにはエジプトの国章がついている。
これはエジプト政府が発行した文書である事を意味するのだ。
つまり、エジプト政府も小池のカイロ大学卒業を認めているということである。
この結果、たとえ東京地検特捜部がエジプトに出向いて卒業の件を捜査しても、それは意味をなさなくなった。
そしてマスコミに至っては、この件に関してはエジプトに触れることすら難しくなった。
危なすぎて。

エジプト政府は声明文で小池の学歴問題をめぐる追求に対して、warning「警告」という言葉とactions「やるぞ」という極めてダイレクトな表現で牽制してきている。
エジプトは独裁軍閥国家なのでこの言葉のもたらす恐怖は現地にいるジャーナリストにとって尋常ならざるものである。
なぜならば、ジャーナリスト保護委員会によると2018年度において世界で拘束されているジャーナリストは計250人いたのだが、そのうち25人がエジプトだったからだ。
世界中で拘束されてるジャーナリストの1割がエジプトだったのである。国境なき記者団によると、今年2020年は少なくとも29人に増えている。

■ 独裁軍閥国家エジプト

知らない人もいるかもしれないがエジプト当局は恐ろしい。
独裁軍閥国家だからなんでもやる。
1日に平均で3~4人のエジプト市民が当局によって消されているのだ。
エジプトには「強制失踪」という取り締まり方法があり、秘密警察や治安部隊が市民を拉致して起訴もせずに監禁して行方不明にしているのである。
死刑判決の数も多く、アムネスティインターナショナルによると 2017年は402 件、翌年2018年は717 件へと78%も増えている。

また、エジプトは拷問が有名である。
もはやエジプトの拷問はグローバルなビジネスとなっている。
トーマスジェファーソン法科大学院の教授Marjorie Cohnによると世界各国から拷問目的でエジプトに囚人が移送されているとのことだ。
自国ではできない拷問をエジプトでは無制限にやれるためである。
特にCIAからの注文が多い。CIAはなるべく自分の手は汚さないからだ。
拷問プログラムに関するアメリカの上院報告によると2008年に、拘留および尋問に必要とした労働力の85%が請負業者で構成されていた。
その主要な請負先の1つがエジプトなのである。
元CIA工作員Robert Baerによると、「社会から消し去りたい人間がいたらエジプトに送り込め」とのことだ。

このようなお国柄なので、マスコミが小池の件でエジプトに踏み込むことはもう難しいと思われる。
ただでさえ、ここのところエジプトはジャーナリストに対する締め付けを強めている。
今年もさっそく1月にトルコ系メディア・アナドル通信社の事務所がエジプト当局に襲撃され、スタッフ4人が拘束された。
3月にはイギリス・ガーディアン紙の記者がエジプトの新型コロナウイルス感染に関する報道をして国外退去処分になっている。
5月にはエジプトの独立系調査報道サイト「マダマスル」の編集長が拘束された。

■ エリートの4人に1人が留年するカイロ大学

しかし、証書など探さなくても常識的に考えて小池がまともに卒業していないのは明らかである。
彼女自身が日本ではアラビア語の勉強を一切しないでエジプト渡り、留年もせず、4年間で大学を卒業したと述べているが、それは人間の脳みそ的に絶対にありえない。
カイロ大学の授業はアラビア語で行われる。
アラビア語は世界で最も難しい言語の一つと言われている。

しかもアラビア語は口語と文語にわかれていて文語は殊更に難解である。
カイロ大学の授業は文語で行われるのだが、現地エジプト育ちの学生ですらこの文語の難しさに苦労しているくらいだ。
そしてカイロ大学は、エジプトだけではなく、アラブ中のエリートが集まる名門中の名門である。
そのエリート達ですら4人に1人が留年するキビシイ大学なのだ。
そのカイロ大学を、アラビア語を一切勉強せずエジプトに渡り、4年間で卒業するのは不可能であろう。

逆に考えてみてほしい。
日本語を母国で一切勉強していない外国人が、日本の最高学府である東京大学に入学し、授業を受け、留年しないで四年間で卒業できるだろうか。
それはビルゲイツでも不可能であろう(ちなみにビルゲイツはアメリカ版センター試験スコラスティック適性検査(SAT)で1600点中1590点を記録している。数学は満点の800点であった。まあでも数学と語学の才能はまたべつものだけどね。。w)

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■ 軍部が運営するカイロ大学と、特殊外国人留学枠

それでも小池百合子が卒業したことになっているのは、カイロ大学を運営しているのが軍部・情報部だからである。
小池が留学する70年代まで、カイロ大学には特殊な外国人留学枠が2つ存在した。

1つ目の枠は、アラブ諸国で反政府活動をする若者をエジプトに亡命させ、エジプトに都合の良い思想へと洗脳し、帰国後はエージェントとして協力させる枠。たとえばイラクのサダム・フセインがその1人だった(ちなみにサダム・フセインも卒業の確認はできていない。もっと言うと在籍記録が存在していない。小池学歴詐称騒動でカイロ大学の管理がいい加減であることが指摘されたが、フセインの記録が残っていないのもその一貫なのだろうか。ただ、彼は大人しい留学生ではなかったので当時のカイロ関係者による証言は色々と残っている)(*注1)

2つ目の枠は、アラブ以外の若者を優遇する枠である。こちらの目的もやはりエジプトのエージェントを育成することにある。
小池百合子はこの枠の留学生だったのだ。
その証拠に彼女のカイロ大学への編入の便宜を図ったのはエジプトの元情報大臣である。
ムハンマド・アブドゥル・カーデル・ハーテムという長きに渡りエジプトの国家中枢にいた人だ。
長いので、ここから先はハーテムと呼ぶ。

■ エジプトの要人「ハーテム」との出会い

ハーテムはエジプト政治組織の最高執行委員会のメンバーだっため、数多くの要職を担っていた。
彼はそんな立場からエジプトの利益を考え、戦略的にアジアやヨーロッパ諸国の若者を受け入れていた。
そして、同時にそれらの国々の政治家と友好協会を立ち上げていた。
ハーテムはそれらの日本関連での実績をエジプトの政府系新聞アハラーム紙で、2つ公言していた。
1つはエジプト日本友好協会を創設し、数百億円にのぼる巨額の支援を日本政府から獲得したこと。
そしてもう1つは、彼が小池百合子を自分の支配下に置いたことだ。

小池百合子とハーテムが出会った当時彼女はまだ二十歳前後だった。
彼女の父親は無謀な事業や選挙に挑戦しては借金を重ねていたので、小池百合子は父親に振り回されっぱなしだった。
高校時代になると自宅にも借金の返済を求める人たちが来るようになってしまい、そのせいか彼女は、高校生ながら家族と離れ、1人で暮らしていた。
当時の彼女は真面目な努力家だったが(特に英語の勉強には熱心であった。また、家計が大変な状況だったのでアルバイトをし、自活もしていたが関西学院大学への受験合格をはたしている)、まともな人生を歩もうにもあの父親がいたら難しかったと思う。
それでも父親は成り上がろうと暴走を続け、幸運にもエジプトの要人ハーテムと接触することに成功した。
そしてエジプトでひと旗あげることを画策する。
その影響か、小池百合子は関西学院大学をわずか3ヶ月で中退しエジプトに渡った。
実は彼女がエジプトにいたのはセレブだからではなかったのだ。
借金に追われる父親のいちかばちかの賭けに巻き込まれたのである。

最初エジプトで通っていた大学は国立のカイロ大学ではなく、カイロアメリカン大学という私立の学校であった。
カイロアメリカン大学で彼女が通っていた学科のカリキュラムは要は一般にイメージする語学学校だ。
しかし2年次になるとなぜか彼女はカイロ大学へ編入できた。
今も昔もエジプトでは私立から国立大学への編入は本来できない。
そんなことがなぜ可能だったのか
ハーテムが裏で手をまわしたのだ。
超法規的措置もエジプト国家の中枢であるハーテムにとっては造作もないことである。

ハーテムの手配によって入学金も免除され、奨学金も得た。
しかし、彼がした事はそれにとどまらなかった。
なんと百合子を自宅に住まわせ、自身の家族と同居させたのだ。
ハーテムと出会った当時、彼女にはまだ何の実績も無かった。
ハーテムは小池をなぜそこまで特別に扱ったのだろうか。

■ エジプトエージェント小池百合子の誕生

僕はこう考える。
ハーテムは元情報省のトップ。
人間観察力はずば抜けて高かったはずだ。
だから彼は、ほかの人には見えない何か光るものを彼女に見出したのではないだろうか。
その光は僕ら日本人からすると禍々しい輝きだったかもしれないが、ハーテムにとっては必須のものだったのかもしれない。
頼れる人間が親族も含めて誰もいなかったことも都合が良かったのかもしれない。
そして当時経済成長真っ最中の日本へのエージェントとして彼女に白羽の矢を立てたのだろう。

そんな彼は小池のことを実際どう思っていたのだろうか。
彼女が東京都知事に当選した後、アハラーム誌にはこう書かれていた
「ハーテムは小池を自分の子供のようにみなしていた」と。
そして小池は同誌のインタビューでハーテムに対する思いをこう語ったことがある。
「彼は私のスピリチュアルファーザー」と。
小池が日本に帰ったのちも二人の関係が続いていたことはエジプトにたくさん記録が残っている。

アハラーム誌には

「彼女はスピリチュアル・ファーザーと呼ぶハーテム博士(中略)と常に連絡を取り合ってきた。」(*注2)

という記事まで残っている。

■ 「アラブのプロパガンダの父」ハーテムという巨星

僕は、小池百合子が平成の政局を常に勝ち続けてこれたのは、もちろん彼女の持ち前のセンスもあったとは思うが、実はハーテムのアドバイスによるところも大きかったのではないかと思う。
彼女は要所要所でハーテムの助言を仰いでいたのではないだろうか。
アラビア語で調べると分かるがハーテムは世界でも類を見ない傑物である。

ハーテムは情報戦のプロ中のプロなのだ。
彼のことを「アラブ世界のプロパガンダの父」と呼ぶ歴史家もいるくらいである。
エジプトは1952年の革命後、とくにナセル大統領の時代以降、国民を国家のイデオロギーに染めるための道具として、メディアを徹底的に権力へ取り入れていった。
その中心的役割を担った人物こそがハーテムなのだ。
ハーテムは1955年にアラブでも、そしてアフリカでも初となる通信社・中東通信社を設立した。

そしてナセル大統領の絶対的な信頼のもと、彼は同時に情報大臣、文化大臣、観光大臣を兼任し、その後長年にわたって主要なテレビ・ラジオ・新聞のすべてを完全に掌握してきた。
そのメディア支配術を駆使して、ハーテムは大統領であるナセル、サダト、ムバラクという3代に渡る独裁者たちの側近になることに成功した数少ない1人となったのである。
これは本当に凄いことなのだ。
ナセルとサダトの時代だけでも内閣が33回変わっているのである。
ムバラクに至っては30年近く大統領をやっていたからもはや何回変わったのか僕には分からない。

こうして見ていくと、小池のルーツはここにある気がしないだろうか。
スピリチュアルファーザーという言葉は彼女お得意のパフォーマンスで言ってるのではなく、僕は混じりっけなしの本音だと思う。
彼女が日本であらゆる政治家を裏切り続け、1人で戦ってこられたのは、そもそも彼女の仕える対象が学生の頃から今日に至るまで、ハーテムとそれに連なるエジプトのファミリーだったからだと僕は思う。

実際、彼女は環境大臣に就任した後にアハラーム紙のインタビューでこう答えてる。

「エジプトは私に対し、長い間、投資してきたと思っています。今では私への投資が有益で、成功であったことがはっきりしています。そうだよね!」(*注3)

さらにこう続けている。

「日本は、環境分野を含む多くの協力分野でエジプトを支援しています(中略)神が望めば、エジプトは将来、さまざまな地域で日本からの協力プロジェクトを目撃することになるでしょう。」(*注3)
と。

ハーテムは2015年に亡くなり、その後、小池の後継人を今のエジプト大統領であるシーシーが引き継ぐのだが、この人はハーテムの孫弟子に当たる。
ハーテムの軍部時代の弟分にタンターウィーという人がいて、その弟分が今のエジプトの大統領シーシーなのだ。

ちなみに2016年に小池が都知事に就任した際、真っ先に祝電を出したナサール元カイロ大学学長は大統領のおかげでその後知事になっているのだが、学者は本来エジプトでは知事になれない。
しかし、シーシー大統領、もっというと軍部のトップであるシーシー大統領のお力添えがあればそんなことは一瞬で可能になるのだ。
ついでに言うと、カイロ大学を代表して日本のメディア対応をしている日本語学科のサーレ学科長も、軍部の息のかかった学長の任命である。

つまり、何が言いたいかというと、小池がらみで日本のメディアに取り上げられてきた人たちはみんなエジプト軍部ファミリーなのだ。
それはハーテムからシーシー大統領、そしてそのエージェントである小池にいたるまでみんなそうである。
みんなエジプト軍部ファミリーなのだ。

■ エジプト軍部ファミリーに連なる東京都知事

エジプトの利権はほとんど軍部が握っている。
経済だって、インフラ整備だけでなく、ピラミッドをはじめとする観光産業から食料生産や自動車生産などの製造業に至るまで、ほとんど軍の手がついている。
小池はそういう国のエージェント養成目的でカイロ大学に入れてもらったので、彼女が所謂卒業要件を満たしているかなど大学としても国としてもどうでもいいことなのである(もちろん彼女の弱みを握るという点には大いに関心があるであろうが)。
大事なことは、自国に帰って活躍し、エージェントとしてエジプトの役に立てるかどうかなのだ。
小池は日本で大出世し、エジプトに恩恵をもたらしたのだから、この上なく立派な「卒業生」である。
必要であれば卒業認定でもなんでも出すであろう(ただし貸しは貸しである)。

また、2018年に小池はエジプトのメディアで凄いことを言っている。
このメディアがどんなメディアなのかも重要である。
DMCというテレビ局で、これはエジプト国民を洗脳するためのプロパンガ用メディアだ。
軍や政府の要人、あと機密性の高い情報なんかも、この局だけが独占的に取材できる。
ここに小池百合子は都知事として出演してこう言い放ったのだ。

「私は100%エジプト人」と。(*注4)

これは尋常ではない。
実際に長年エジプトのバックアップを受け、その事実をずっとエジプトで公式に記事として発信され続けてきてもいて、その上で軍のプロパガンダチャンネルで「私は100%エジプト人」と言ったのである。
エジプトのマスメディアはエジプトだけでなくアラブ世界全体で非常に強い影響力を持っている。
アラブ中に日本の首都東京の最高権力者がエジプトサイドの人間です、と公式に宣言したようなものだ。
中東外交で無駄なリスクを作る極めて問題ある発言である。

以上を踏まえ、都知事選直前に起きた学歴詐称騒動を考察してみよう。
主に「女帝 小池百合子」出版に端を発して燃え上がった学歴詐称問題。僕らは「小池 VS 反小池」という図式で見ていた。
反小池には都議会議員などの政治家、ジャーナリスト、学者、一般人などがあげられると思う。
しかし、実は俯瞰してみると本当の図式は「エジプト VS 反小池」だったのだ。
おそらく官邸あたりは早々にそこに気づいていただろうけど。

結論を言うとエジプトの完全勝利であった。
僕は最初の方で、エジプト政府は声明文で小池の学歴問題をめぐる追求に対してwarning「警告」とactions「やるぞ」という極めてダイレクトな表現で牽制してきたと述べた。
あの言葉はメディアに対してだけでなく、政治家に対しても向けられていたのだ。

小池百合子の反対勢力である都議会自民党は、
「小池氏の、カイロ大卒業の証明を求める、決議案」
を6月9日に発表。
そしてその夜に完全に不意を打つ形でエジプトは声明を発表した。
しかもその内容も差出人も僕ら日本人の常識からは、かけ離れたものであった。
学歴問題にまさか大学ではなくて、政府がのりこんでくるとは、予想だにしていなかったし、警告という言葉、それから法的措置も辞さないとの言葉も、完全に想定外だった。
そして翌日6月10日に都議会は議決案を取り下げるという異常事態に陥った。
このことに対し川松真一朗都議は「声明直後に決議を出せば、僕らはエジプトと闘うことになる」と語っている。
川松都議は小池問題でずっと先頭に立って頑張ってきた人なのでこう言っては申し訳ないがこれは事実上のエジプトに対する敗北宣言である。脅しに屈するかたちになってしまった。

こうして反小池にとっての最大の切り札であった学歴問題は一瞬で切り崩された。
そして形勢が一気に逆転し、学歴詐称騒動は一瞬でしぼんだ。
全てがエジプトの思惑通りだった。
彼等エジプトは1952年の革命以降徹底的にメディアを研究し、中東で絶えず激烈な情報戦を繰り広げてきた。(*注5) 
その経験の強さを見せつけられた一夜だったわけだ。
出したカードはたったの一枚。
しかし内容もタイミングも出し方も全て完璧だったから一発で事態が収束した。

繰り返しになるが、一連の騒動は、実は日本における利権を死守したいエジプト軍部ファミリーVS反小池であった。
エジプトは、日本のODAを頼りにしているから小池のような存在は必要なのだ。
実際小池自身、自らのTwitterアカウントでエジプトの最大の産業は「外交」であるとツイートしている。

「大エジプト博物館」や、カイロ市内で進む地下鉄建設プロジェクト、日本の全面協力で開学した「エジプト日本科学技術大学」など、日本のODAによるプロジェクトはたくさん存在する。
ちなみにODAによる支援は今後も続いてくことが約束されてる。
JICAのホームページを見てみると
「電力、保健、そして教育の分野では、エジプト・日本教育パートナーシップEJEP:『イージップ』といった合意文書を締結し、更なる協力の深化を図っています。」と明記されている。
EJEP:「イージップ」関連のODAはすでに数百億に達しているわけだけど、このプロジェクトは一体誰の一声で始まったのだろうか。(*注6)

■ エジプト軍部への借りを返す日本国民

エジプト政府は、今回の声明が小池の都知事選再選を目的としていたことを政府系メディアを通して間接的だけど明言している。
カイロ大学による声明発表から3日後の6月11日に一斉に報じられた記事の見出しを3つあげていこう。(*注2)
ウェブ報道サイト・アルバラドによると「カイロ大学、小池都知事のために都知事選に点火
ウェブ報道サイト・アハバーラックによると「カイロ大学、危機に瀕する東京都知事を救うために介入
政党系日刊新聞「アルワフド」ネット版は一番露骨で「カイロ大学、都知事の卒業証書を認めない日本メディアに対し法的手段で脅迫
このようにエジプト政府は小池都知事選をサポートしたことを公の場で堂々と語っているのだ。

エジプト軍部ファミリーに対して大きな借りを作ってしまった小池百合子都知事。
この借りをいったいどうやって返していくのだろうか。
結局のところは、彼女が政治家を続けている限り僕ら日本国民が間接的に返していくことになるわけだけが、それでもみんなは今後も小池百合子に投票するのだろうか。
今回の都知事選、彼女の得票数は歴代都知事選で第2位という大勝利だった。。

ちなみに僕は小池が防衛大臣だった時の常軌を逸した振る舞いも、実はエジプトが自分のエージェントをアメリカに高く売りつけた結果なんじゃないかと少し疑っている。(*注7)
何を言いたいかというと、借りの返し方はエジプトに直接返すこと以外にも色々なやり方があるということだ。

前編はここで終了。
後編は小池がエージェントであることを前提とした話をしていこう。

あと捕捉だが、小池百合子とエジプト絡みの記事ではジャーナリストの浅川 芳裕さんが一番面白かったから、この問題に興味がある人は是非読んでみて欲しい。
浅川さんの著書「カイロ大学」もエジプトを知る上で重要なのでそちらもお勧めしたい。
この本を読めばエジプトの軍部等に問題はあれど、国としての魅力はそれ以上にあることが分かる。
僕自身これまで行った国の中でエジプトが一番面白かった。
それと、イスラム学者の中田考先生が小池学歴問題に関して独自かつ説得力ある視点で記事を書いてネットにアップしてるからそちらもチェックすることをお勧めするよ。

というわけで、今回はここまで。

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謎謎帝国T・Oでした。
またね。

らくだ2

■ 注記

*注1
アメリカテキサス州の日刊紙The Midland Reporter-Telegramのウェブ版記事を読むと、当時(1960年のカイロ亡命時代)のフセインの乱暴さに、彼の同胞もエジプト人も共に手を焼いていたことが分かる。
中には議論の末に彼にカミソリで切りつけられた者もいた(フセインの暴力性は天性のものだ。小学生の時から銃を持ち歩き、彼の素行の悪さから退学させようとした校長を脅迫して退学処分を取り消させた逸話がある)。
しかし、当時の彼の思想と勇気を称賛している者もいる。
フセインがカイロ大学に通っていた時代からインタビュー当時(2003年)に至るまで大学近くで薬局を経営していたLouis Neguib氏である。
彼とフセインは永遠の友情で結ばれたとNeguib氏は語っている。
その後1986年にNeguib氏はフセインの国賓としてイラクに招かれた。
その際に彼はフセインに
「私はあなたを大統領と呼ばなければならないのだろうか。
それとも単にサダムと呼ぶべきなのだろうか」
と尋ねたそうだ。
するとフセインはただ笑って返したとのことである。
*注2
ジャーナリスト浅川 芳裕さん
「エジプト軍閥の“子飼い"小池百合子の運命①「カイロ大学声明」を出した組織の正体(特別寄稿)」
より引用
*注3
「エジプト軍閥の“子飼い"小池百合子の運命②「カイロ大学声明」を出した組織の正体(特別寄稿)」
より引用
*注4
本動画はこちらのロングインタビューからの抜粋である。
DMCのインタビュアーもこの件についてFacebookで触れている
*注5
動画の挿絵は第四次中東戦争だ。
第四次中東戦争はエジプトが巧妙な情報戦を展開し、イスラエルの不敗神話を打ち砕いた一戦である。
実はハーテムはその情報戦の要だった。
彼のメディア戦略が大きな役割を担っていたのだ。
ハーテムは4つの学位を持つインテリであり、1952年の革命に不可欠な存在であり、中東戦争の情報戦では重役を担い、エジプトのメディアインフラを設立し、そして実はエジプト観光業の立役者でもある。
彼は革命後のエジプトの礎を築き、この世を去る2015年までエジプトを牽引し続けたレジェンドなのだ。
小池百合子はそんな彼の一挙手一投足を見て生活していたのである(その成果が日本のために発揮されたことはないような気もするが。。)。

ちなみに今回のカイロ大学の声明文は日本史上初めてエジプトが表立って我が国にしかけてきた直接的な攻撃ではなかろうか。
その手口は僕ら日本人には免疫がなく、完全に手玉にとられたが、第四次中東戦争における欺瞞作戦(欺瞞作戦とは、敵軍に誤った認識を与えることを目的として行われる作戦)を見ていくとそこには今回と同じような巧妙な奇襲劇が見て取れる。

これを機に第四次中東戦争の欺瞞作戦を通してエジプトの手腕を学び、次回は翻弄されないよう備えよう。
というのも、小池百合子が政治家を続けている限りまたこのような自体が生じる可能性があるからだ。。

第四次中東戦争でエジプトはイスラエルの軍事システムの弱点を突き、1973年10月6日、奇襲に成功した。そして、その背景には相手を欺くべく巧妙な欺瞞作戦があった。

イスラエルは常備軍が少なく、有事の際は予備兵を急速かつ大規模に動員することで対応してきた。
そのため、エジプトが侵攻してくる危険性があるシナイ半島に何十万人もの兵士を無期限に常駐させることはできなかった。
また、であるがゆえに、彼らは他国に関する情報収集に大きな力を注いでいた。
有事の際は早急に予備兵を動員する必要があったし、誤った情報に踊らされ予備兵を無駄に招集するわけにはいかなかったからだ。
エジプトはそんな彼らを騙すことに全力を注いだ。

彼らはまず、攻撃実施日の数か月前にあたる1973年5月中旬に、攻撃が差し迫っているという誤った認識をイスラエル側に与え、緊急動員を宣言させた。
その狙いは、エジプト側が攻撃を開始する際に、イスラエル側が改めて予備兵を動員することに対して消極的にさせることにあった(実際にイスラエルは5月の動員で6,200万イスラエルポンド(45億円)という経済損失を被り、予備兵動員に対して国民の不満が高まってしまった。そのためイスラエル軍は動員令を発令するのにこれまで以上の慎重さを求められるようになった)。
そして、本作戦による攻撃開始の1週間前、今度はエジプトはスエズ運河の近くで大規模な軍事演習を行った。
イスラエル側は警戒し再び予備兵を招集したが、イスラエルの諜報機関はそれは単にエジプトが訓練をしているに過ぎないとして予備兵を解散させた。
エジプトはイスラエルをさらに沈静化させるべく、本作戦の2日前にまたもや布石を打つ。
エジプトは予備軍に軍事演習のための動員要求をしていたのだが解除する発表をしたのである。

これらエジプトの一連の行動に対し、イスラエルの諜報機関内のいくつかは政府に対して、エジプトは実際の戦争の準備をしていると警告したが、それらは無視された。
そして、1973年10月6日、エジプトはスエズ運河を横切って攻撃を開始した。この時、イスラエルはエジプトの欺瞞作戦によって完全に油断しており、シナイ半島東側の海岸を占拠されてしまった。

これが第四次中東戦争における欺瞞作戦の概略だ。

エジプトの欺瞞作戦には他にも色々な手段が用いられたのだが、僕が一番注目してほしいのは彼等がイスラエルのヨム・キプル(贖罪の日)の時期を狙い奇襲した点である。
ユダヤ教徒はこの時期は、飲食、入浴、労働などが禁じられているし、男性は髭を剃ることを、女性は化粧をすることが禁じられている。車の運転なども同様である。
ユダヤ教徒にとって1年を通して最も重要な祭日であるこの時期をエジプトは狙い撃ちにしたのだ。
これは今回のカイロ大学の声明と通ずるものがある。
「常識的に考えまさかそんなことはしないだろう」の「まさか」を容赦なく突いてきている点が両者に共通している(戦時と平時を同列に語るのはナンセンスと思われるかもしれない。しかし相手は軍閥国家なので同列に考察すべきである)。

僕が主張したいのはその手法の善悪ではない。そのような手口の使い手がこの世界には存在し、その現実を踏まえていなければまたしてやられるぞということだ。
この手口は、小池百合子が駆使する処世術にも見て取れる。

ハーテムが欺瞞作戦で果たした役割に焦点を当てた記事もある。
*注6
ODAによりエジプトの貧困問題が改善されることはもちろん重要なことだ。しかし、ODAが政治家の私的な貸し借りが理由で始まったのであれば我々は厳しく監視していかなければならない。
この件の詳細を知りたい人は浅川さんの記事を読もう!
*注7
テロ特措法延長は避けられなかったため、大事なのはどのようなステップで延長するか、だった。この件に関して日本はアメリカに対して優位な立場で交渉に立てたはずだが、小池百合子はその優位性を無効化したのではなかろうか?

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