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宗教で読み解くエヴァンゲリオン

謎々帝国のT・Oです!
今回のテーマは、「宗教で読み解くエヴァンゲリン」でお送りします。

■ エヴァのテーマ:人類救済観の対立

エヴァを初めて見たときの感想は、「面白いけど、そこまで特別な作品というほどではないかな。」だった。
でもその後、社会学者宮台真司先生の著書を読んでいたら、たまたまエヴァに関する宗教からの考察が書いてあって。
それを読んでから、エヴァの理解が一気に深まり、興味も増して、エヴァは僕にとって特別な作品となった。

エヴァのテーマは、実は「人類の救済」をめぐる対立で、「人類補完計画」とは人類救済のためのプロジェクトだ。
この救済観が現実の宗教とリンクしているため、その宗教の前提知識がないと人類補完計画を理解することは難しい。
つまり、エヴァンゲリオンは宗教の前提知識がないと理解不可能な作品だ。
そして、救済観は、ゼーレとその下部組織であるネルフのトップ・碇ゲンドウとで異なっている。
だから両者は途中から激烈な闘争を繰り広げることとなる。
一方、主人公・碇シンジは最終的にどちらの救済案に対しても「NO」を突きつける。
その結果、ゼーレと碇ゲンドウの両者ともに、計画は失敗する。

この記事では、既に完結しているテレビ版と、旧劇場版「まごころを君に」を題材に、ゼーレと碇ゲンドウの救済観、そしてその宗教的バックボーンをザックリと説明したいと思う。

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■ ゼーレ:ユダヤ教と、ネルフ:キリスト教グノーシス派

まずは、ゼーレの救済観について。
彼らの救済感ユダヤ教の原罪観をベースにしている。
そして、贖罪キリスト教の形式を用いているんだよね。

一方、碇ゲンドウはキリスト教グノーシス派的で、自らが神になることによる救済を目指している。

ここで少し聖書の解説をしたいと思う。

楽園に暮らしていたアダムは、ルシファの化身である蛇にそそのかされて林檎を食べ、知恵がついた。
その結果、神であるヤハウェに楽園から追い出されたという話をよく聞くが、創世記によると、実際は知恵の実を食べたから追い出されたのではない。
そうではなくて、知恵の実を食べると、アダムが生命の樹を手に入れてしまう可能性が出てくることが、まずかったんだ。

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なぜなら、知恵の実と生命の樹を合体させると、全能者になってしまうから。
全能者とは、神のこと。
アダムまでもが神になってしまったら、神であるヤハウェ(*注1)は絶対者ではなくなってしまう。
だからこれを禁じなければならないということで、ヤハウェは楽園からアダムを追い出した。

創世記では、人間が生命の樹にアクセスできないように、使徒という番人が送り込まれる。
ちなみにこれが、エヴァンゲリオンの使徒である。

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知恵の実と生命の樹の合体(以下このことを合一と呼ぶ)をどう解釈するかが、そのままユダヤ教とキリスト教グノーシス派の救済感の違いに繋がり、またゼーレと碇ゲンドウ救済感の違いにも繋がっていく。

ユダヤ教は、合一を許さない。
そしてユダヤ教的な立場であるゼーレは、「人間は罪を負っている存在だから、贖罪をすることによって許してもらい、今ある不完全な状態から元に戻ろう。」という発想だ。
それに対して、キリスト教グノーシス派的な立場の碇ゲンドウは、その逆を行く。
つまり、合一を果たし、我々が神になることを目指す。
実はこの違いは、ユダヤ教の正統神学やキリスト教の正統神学の立場と、グノーシズムとでは、ルシファの解釈が異なることに大きく起因する。
ユダヤ教の正統神学やキリスト教の正統神学の立場では、ルシファは「悪魔」とされている。
アダムとイブを唆して「禁断の実」 を食べさせたからだ。

禁断の未来の実を食べて人間に知恵がついたことが原罪で、原罪に向けて唆したからルシファは悪魔だ。

という話になっている。
ところが、グノーシズムではルシファは「光の人」を意味する。

ルシファは人間を動物としてエデンの園につなぎとめるヤハウェから解放し、全知の神ソフィアに近づくチャンスを与えた。

と考えられている。
「ルシファの呼びかけに応じて生命の樹も手に入れて、我々が神になる。」というのが、碇ゲンドウなんだ。

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■ 贖罪のゼーレと、合一のネルフ

繰り返しになるが、エヴァでは「神に許してもらうための人類補完計画を持つゼーレ」と、「我々が神になるための人類補完計画をもつ碇ゲンドウ」の対立が描かれる。
ただ、両者ともにシトを倒すという点では、意見が一致している。
しかし、碇ゲンドウが生命の樹の番人であるシトを倒すのは分かるけど、なぜ贖罪を目的とするゼーレまでもがシトを倒すのか。
それは、ゼーレの贖罪がキリスト教の形式を用いているからだ。
キリスト教では、贖罪をするには「神の子」を「生命の樹=つまり十字架」にはりつけにする 必要があり、そのためには生命の樹を手に入れるべくシトを倒す必要がある。
さらにいえば、ユダヤ教ではイエスの贖罪は失敗したと考えられている。
そのために、ゼーレ達は神の子(シンジ)を生命の樹にはりつけにすることで、再度贖罪にチャレンジさせようとしているのだろう。

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アニメでは、ゼーレと碇ゲンドウはシトを撃滅すべく共闘関係にあったが、途中から闘争状態に入った。
しかし、結局のところ両者の救済観は碇シンジによって拒否され、失敗に終わってしまった、というわけだ。

以上が、ザックリとしたエヴァンゲリオンの宗教面からの解説だ。
この概略さえ押さえられていれば、あとは下の注意書きを手元に置きながらエヴァを鑑賞することで、自分なりに色々な予測を立てながら楽しめるようになると思う。

というわけで、今回はここまで。

次回は「完全監視社会と化した中国」をお送りする予定だよ。

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ではでは謎謎帝国T・Oでした。
またね。

■ 注記

*注1
宮台真司先生の 講演「 『正しさ』の不可能性と現代宗教 ー現代における宗教の存在意義と宗教者の役割ー」より抜粋した下記資料とともにエヴァを見ていくと、作品を理解しやすいのでおすすめ。
主観だがこれ以上細かい資料を追いながら見ていると逆に本筋を追いにくいと思う。
細かい資料を見ること自体は楽しいんだけどね。

[参考資料]
ヒト=アダムから逃げたリリスとルシファの間の子(悪魔リリン)
シト=アダム(両性具有)の子(分身)、ただし天から降ってくる

エヴァ2=アダム(両性具有)の子(分身)、ヒトが作り出した(アダム計画) 

エヴァ0と1=リリス(単性具有)の子(分身)、ヒトが作り出した(E計画) 。リリスは単性なので、ヒトが乗り込む必要がある 。ルシファとはリリスだとの外典があるので両性具有性もある。だからエヴァが暴走(自走)することもある。

ゼーレの目的=始源(リリスの卵)への帰還(贖罪):勝利と見えてシンジに敗北 。贖罪のため神の子と12使徒(エヴァ)を再生。 生命の樹は贖罪のための十字架 。

ゲンドウの目的=生命の樹(永遠の生命)の入手による全能化(合一):ゼーレに敗北。 生命の樹の入手のため12使徒(エヴァ)を再生 。

シンジの役割=エヴァ2ごと磔刑にされてゼーレの目的がいったんは達成 。磔刑に処される神の子の暗喩 。だが生命の樹との合一で全能化し〈世界〉の将来を決定:勝利

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