同一感

これでもかと言う程のAとBの選択肢を延々と投げ掛けて、その回答の合致が幾つに積み重なれば人は他者との同一感を得られるのだろう。

とぼんやり考えてみたのだけど、うん、まぁ簡単には無理だと思う。

まず、提示される問いの抽出が難しい。
朝食はパン派か米派か、といった単純な内容で回答の合致数を数えてみても、そこに他者との同一感を見出すよりも偶然として片付けられてしまうだろうし、偶然と言うには余りにも合致し過ぎている場合は同一感を感じるよりも先に不気味に思えてくるだろう。

では単純でない問いを用意しようとすると、他者との同一感を得られるような分野・要素が肝要となる訳で、それは個々人が何に重きを置いているのかで異なってくる。取っ付き易いのは趣味だろうか。趣味とは自分の中で好意的感情を持っているものな訳だから、それが合致していくと相手にも好意的感情を持つのだろうな。

だが、好意的感情と同一感はイコールで結ばれない。ただの積み重ねだけでは変容を促す事は難しいと思われるので、きっかけが必要となる筈だ。じゃあそのきっかけとは何か。
それこそ、普遍的なものを見付けるのは難しいだろう。感情・感覚・生育歴といった各個人の背景は異なる訳で、万人に共通の転換点を求める事は途方もないデータの山を理解・仕分けなければならない。そんな事をするくらいなら、私は手放して放置し、運に任せる。だって面倒くさい。
つまりは、方法を私は推測出来ないな、という結論を導き出した所でとりあえず妄想は終了。

ってかさ、同一感って大事か?(お前が言うか?)

人と人とが全てを分かり合えるなんて事は決して無い、と私は考えてるのだけど、それでも自分の持つ何かを他人と共有出来た時の「分かり合えたような気がした」という一種の幻想はとても貴重だと感じてもいる。
それとは反対に、当たり前のように生じる他人への「自分とは違う」という感覚もまた、その相違が興味深く大事にしたいものの一つだ。

この私の在り方を前提に考えてみても、他者と全てが同じであるというような同一感はそれこそ夢幻であると言えるし、そこだけに注意を向けるのは視野を狭くしているだけとしか思えない。
いや、寧ろ相違があるからこそ考えや気持ちが重なる事に面白みがあるのであって、全て同じならつまらないだろう。ナルシストじゃあるまいし。

と、ここからは話が分岐して追加妄想が捗ったのだが、SM(D&S)精神論と某商業商品に対する推測・考察って、ネットという公共の場に晒していいもんかね?
私の言う下ネタはエロくないと認識してるんだが、不快に感じる人もいるだろう事を考慮すると躊躇うな。
商業商品に対しては営業妨害にならんかとか。

こういう時、自分でHPを開設して、分かる人には分かるようなパスワード設定して閲覧制限掛けるような往年のオタク活動を真似たくなる。いやまぁやらんけどな。めんどくせぇ。

最近はスマホのメモ機能に長文書き溜めてるから、追加妄想についてもどうせ私は書くんだろう。で、気が向いたら公開するし、気が向いたらそれ取り下げるし、ってことで。予定は未定で決定ではない。ついでに、書いて公開して取り下げて、とやる事も文章テロリスト感覚で中々に楽しいんだよね。自己満足で動くだけさ。

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