許可

いまだに不思議に思っているのだけど。
世の中の人々はどうして自分の事を生きていて良いと思えるのだろう。
どうしてそう思えたのだろう。

死にたいだとか生きたいだとかの願望の話ではなく、生きていて良いと思える安心感はどこから得られたのかが不思議でならない。
ずっと頭の片隅にこびり付いているような疑問なのだが、こんな事、リアルで発言なんて出来ない。
言ったが最後、「あいつ、やばい」とか陰で言われて敬遠されるのが目に見えている。
だから私は私の中で答えを見付けようと考え続けている。

そこに、ふとした声が飛び込んだ。

「じゃあ逆に、誰に良いと言ってもらえるの?」

…確かに。
人一人が生きる事を誰が否定出来、また認める事が出来るのだろう。

複雑な社会へと発展は続くが、刑罰として死刑を選択する国家はあれど、生きていて良い・悪いの判断基準を持ち、それに則り生殺与奪の権利を持つ機関は公的に存在しない筈だ。

にも関わらず、生きていて良いという許可を得たがっている状況というのがそもそもおかしい。
生きていて良いと安心出来ていない私は、誰に認めてもらいたいと思っているのか。
その求める先が外部に無いと判明しているのだから、答えは一つである。

私は、私が生きていて良いと、私自身に認めて欲しいのだ。

…長年の疑問が解けた瞬間である。

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