自衛のための性的な話

男性器の神経回路については多くが似通っていると解明されているが、女性器の神経回路は個々人に大きな相違があることが分かったものの研究は進んでいない、という記事を読んだ。
女性性への神秘・神話等が根付いているために科学的解明を避けようとする研究機関の姿勢には勿論思う所もあるし、そういった障害を認識して全ての人達が克服に乗り出すような社会になって欲しいという願望もある。

ここで私の周囲の話をすると、女性からの性相談(内輪レベル)って、悩んでいるというよりも傷付いている方が圧倒的に多い。例えば、相手に失望された、落胆された、意欲を無くされた。そんな態度に深く傷付けられているようだ。
個人的な意見をぶっちゃけて言うと、そんな態度しか取れん奴に身体を開く必要は無かろうよ。自分をもっと大事にしろや。と思うのだが、それだけじゃ上手く片付けられないというのも分かる気はする。
だからといって、人間性の否定には繋がらない事を忘れてないだろうか。私が思うに、相手の態度の方が人間性を疑うのだけど。
まぁ、そういった態度や姿勢については、意識の変容や関係性の改善を促すしか方法は無いかとも思うので置いておくとして。

これが器質的な問題だと少々話は変わってくる。

記事では、女性器周辺の神経が平均よりも数が多く、性交にかなりの痛みを伴っていたという女性が出てきたのだが、科学的解明に至り外科的手法で解決出来るまでに要した期間は10年にも及ぶという。

私の視点で物事を測ると、性交には何が求められるのかと言えば種の繁栄、愛情の確認、直接的な快楽を即座に思い付くのだが、苦痛が性交に切っても切れない要素であるとすると非常に辛いのだろうな。また、これまで性の同一性に揺らぐ事の無かった自身が性の象徴である器官に「普通では無い可能性」を感じると、途端に思い悩んでしまうだろうことも想像に容易い。

だが、科学での解明が進み事実が周知されていたならば、その苦痛を取り除くことやパートナー間で出来る対応には何ら問題が無かったのかも知れない。そう考えると、女性の自衛の為にも是非研究が進んでいくことを願わずにはいられない。

昔、どこかで拾い読みした文章にて、「科学(学問?)は人類の利益とならなければならない。今、世の中に不便を感じている人がいるとすれば、それは科学の怠慢である」というような内容(うろ覚え)が教鞭を振るう方から語られたそうだ。

然り然り、と内心頷いていたのだが、性的な話になると途端に口を噤むような風潮や社会体制にも問題あるよな。繊細な面が多いから無闇矢鱈な開示を呼び掛けるつもりは更々無いが、親密な関係性を築けているのなら躊躇せずに打ち明けても良いのだ、と思える社会になって欲しいものだ。


……様々な解明が進み、目に見えない自身の身体的特徴等を把握することが当たり前となった社会で、私の取扱説明書(身体)はこちらです、と親密な関係性の二者間で交換し合う未来を考えると、なかなかにシュールだけどな。
それをシュールと感じている時点で、私にも、同様に感じた読者にも、不足している事が多々あるかも知れない、と自分への戒めの様に忘れないでおきたい。


とか何とか、ぼんやり考えてみた。

下ネタ苦手を公言している女性が多いことは知ってるが、女性同士で話す分には問題無いだけの知識は持っていて欲しいと昔から思うのだけど。

苦手でも何でもいいから、自衛のために最低限の情報は得てほしい。

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