根底

恐らく、私がこうやって長らえている理由の一つには、根底に性善説が根付いているからというものがあるだろう。
人との繋がりに疲れ、人間嫌いと称されようとも、でも何処かで私は人というものを信じているのだ。
これだけ生きていれば騙された事も裏切られた事も勿論ある。だが、私にそんな仕打ちをした人等だって、誰か大切な人はいるだろう。その大切な人には温かい気持ちで接しているだろう。
ただ私が彼等にとって、それに値する人間では無かったという事に過ぎない。
それで全てを否定する気にはなれない、というのはお人好しが過ぎるだろうか。

だが、悪意に踊らされるよりは隠された善意があると思い込んだ方が息がしやすく感じられるのだから致し方ない。

私に善意を向けてくれる人達を私はこの手で失った。不器用だったと今更ながら思うが、だからどうしようとは思えないのは私にはまだ足りない部分が多いのだろう。

見知らぬ者同士であっても、そこに少しでも縁が生じれば僅かながらも温かさを垣間見れる瞬間がある。それを眺めるだけでも、人は捨てたもんじゃない、全部が全部絶望に縁取られてはいない、と思い込んで私は生きていける気がするのだ。

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