戯言(好きと嫌い)

1番好きな映画は何かと問われれば恐らく「インセプション」と答えると思うのだけど、何がどう好きなのかをこれまで私は説明出来なかった。
この間読んだ記事に、そのインセプションの監督の紹介として過去作品のリストが載っていたのだけど、ものの見事に全てが私が好きだなと思ったものだった。
映像とは何たるか、だなんてそんな知識も高尚な意見も持ち合わせていないのだけど、私の感性においては何かを掴んでいたのだな、と実感する出来事だった。

結局、好意感情の理由は分かっていない。
監督がメガホンを取ると決めるに至った脚本が私の嗜好に合ったのか、監督の思い描いた映像が私の琴線に触れたのか。
そのどちらでもあるかも知れないし、どちらでも無くはたまた別の理由かも知れない。
自分の感情が何に起因しているかを把握できていない事にもどかしさはあるが、好きだと思ったその自分の感性だけは確実だと信じられる。

常日頃から自分の考えを自分で疑っては違う視点で物事を捉えようと試みているのだけど、感情(特に好意)については発露したという事が全てであると認識してあまり疑う事は無い。
バイアスが掛かっていようと、自分という主体に帰属している事は間違えようも無い事実であるからだ。

これが嫌悪感情だと捉え方は少し異なり、あまり認めたくないという姿勢になる。

何かを嫌いと断言出来る程の自信が自分に無い事を自覚しており、また、ある程度の時間を置くと見え方が変わり好意を抱く事もあると経験則で知っているからだ。
嫌いという言葉に拒否の意を内包している気がするのもあるかも知れない。
何かを切って捨てるのは好きではない。
そこで関係性を無くす事は勿体ないように思える。
「嫌い(だから拒否する)」のではなく、「(今の)自分には合わない(から距離を置く)」という位置に据える事で、今後の可能性を残しておきたいのかな、と自己分析しておく。

…何か、物を捨てられない人の考え方に似てないか?

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