自由じゃ、在るがままじゃと魔物はもっともらしいこと申して人民ワヤにいたすが、真(まこと)一つで皆ひっくり返すぞ。
*本記事は『大日月地神示』(2018年・野草社)後巻本文より一部を抜粋して掲載したものです。読みやすさを優先し、文章の割愛、レイアウトの調整、独自のルビ、注釈を施していることをご了承ください。
『大日月地神示』後巻「三」より
偶像崇拝の世は終わっているのじゃぞ。
過去の産物を見ているに過ぎんのじゃ。
民は真理求めて生きておるのじゃから、
いつまでも過去に生きた人拝んでおるでないぞ。
方便の世はもう終わっているのじゃぞ。
何々様方はとうに何度も生まれ変わりて、
貴きお働きなされておるから、
嘘申して金儲け人儲けならんぞ。
因縁積みいたしておるのじゃぞ。
お偉いさん方、まだ気づかんか。
善の仮面被った悪、
言葉ばかりは良きこと申すが、
人のためと申して己の損得ばかり考えておる魔物、
住みついておるぞ。
笑っておるが、腹は怒り妬み僻みで充ちておるぞ。
友と申して擦り寄りて、
己の企ていたしている者多いぞ。
腹からの改心、根本からの改心がいるのであるぞ。
自由じゃ、在るがままじゃと、
魔物はもっともらしいこと申して操り、
人民ワヤにいたすが、
真一つで皆ひっくり返すぞ。
皆々頭下げて詫びねばならん時来るぞ。
この世は写し鏡じゃなあ。
心、顕れるなあ。
この世、変わりておるのぞ。
人の心のままに顕れてもおるぞ。
地、拝んで下されよ。足元大切じゃ。
真、拝んで下されよ。
生かして下さる根本を知りなされ。
身体、拝んで下されよ。
借りておるのじゃからな。
大宇宙、拝んで下されよ。
すべて親神の中に在るのじゃぞ。
皆々己ぞ。喜びぞ。
与えられておるのじゃぞ。
死んで極楽にゆく教え、
真の教えではないのじゃぞ。
人集め金集めに作られた教えであるぞ。
この世、極楽に変えてゆく教え、
生き方いたすが真であるぞ。
救われたいと申す者は、
己の心に大事に話しかけてみよ。
己の心に何度も詫びてみなされ。
己の心改めねば、先には進めんのぞ。
神、仏、天使様の御声と申して、
九分九厘は皆々企ていたす人の靈ぞ。
獣らの声、他の星の方々、
いずれも満たされておらぬ我良しの靈であるから、
見えた聞こえたまま申すことが真ではないのぞ。
審神出来る者、少ないのう。
何度も審神なされよ。
特別になりたいと申すゆえに、
良いように操られるのじゃ。
誰でも分かるようになると申して、
金儲け人儲けいたす者多いぞ。
分からん者は分からんのであるぞ。
分からんので良いのであるぞ。
与えられてあるもの
ありがたく思える者になるが真の道ぞ。
うれしたのし生き方ぞ。
無いもの欲しがれば魔物に遊ばれ、
ワヤに掛けられるぞ。
認めて下され愛して下されと、
自己顕示欲じゃなあ。
皆々変わる。良きように変わる。
因縁相応に変わるのじゃ。
うれしうれしたのしたのし、
みなみなかわるかわる、
ありがたやありがたや。
今を足場に喜びへと向かわれなされ。
与えられるもの、感謝感謝感謝なされ。
どこまでも感謝いたして、
頭下げて歩いてゆきなされ。
これで良いという所はないぞ。
頭下げれば下げるほど、
嬉しくなる仕組みじゃ。
ありがたくてありがたくて
涙流れる真の仕組みじゃ。
真の極楽に生きる生き方、
感謝いたし頭下げ続け、
喜び涙いたす道ぞ。
生かされている己、
生かして下さっておる他一切を拝んで生きなされ。
うれしうれしたのしたのし生きる生きる。
『大日月地神示』はAmazonや全国の書店にて購入可能です。
https://www.amazon.co.jp/dp/4787718835
https://www.amazon.co.jp/dp/4787718843
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?