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わたしと東京①

先週、東京に行ってきました。

相変わらず街の中は人であふれていて、みんな歩くのが早くて、ぜんまいじかけみたいにキビキビうごいていた。
高1ではじめて渋谷へ来たときも、たぶん同じことを思っていた。

当時は高校の先輩とポルノのライブを観に来ていた。はじめて保護者がいない状況で、東京なんてどでかい街へ行くことの重大さをあんまりわかってなかった気がする。

ライブまで暇すぎてお金もないから山手線を一周してたんだけど、目の前で爆睡してるお姉さんもずっと(私たちが降りるまで)一緒だった。あの寝っぷりはすごかった。

ライブ後に先輩の知り合いたちと渋谷のファーストキッチンで喋ってたら深夜バスに乗り損ね、一人(先輩は次の日もライブに行くため)で夜行列車の自由席に乗って名古屋へ帰るなんてむちゃくちゃな展開だった。

夜行列車の名前はムーンライトながら。当然ながら覚えている。

自由席が空いてなくてデッキで座っていたら、小田原で乗ってきた男女のグループが酒盛りを始めたために移動せざるを得なかったり、車両へ入ったら通路を横切るように寝そべってるおっさんがいたり、と16歳ながらになかなか強烈な体験をしたもんだ。わたしも結局通路の端で体操座りで寝てた。めっちゃお尻痛かった。

そしてこのはじめての(ここ注目)東京旅のオチは、真冬の早朝5時半に名古屋駅と間違えて三河安城駅で降りたことである。

真冬の早朝5時半(真っ暗)(雪が降りそうなレベルで寒い)

三河安城駅(全然人いない)(電車なんかすぐ来るはずない)(寒い)

あれはさみしかった。

今や鉄板ネタ。
つくづく親を心配させる天才である。いや、反省はしてるよ。もちろん。

この出来事がトラウマだったわけではないけど、高校時代に東京へ行ったのはこのときが最初で最後だった。

ちなみにムーンライトながらは翌年にも利用した。ポルノの横浜スタジアム公演の際、アンコールを諦めて新幹線に乗ることにしていたんだけど、前日にやってたアンコールの曲が滅多にやらない超レア曲だったので、ライブ直前に急遽変更して夜行に乗ることにした。やっぱり尻が痛くなったけど、このときは友人と一緒だったので大したハプニングはなかった。でもしんどかったので、次の遠征からは無理をしてでも泊りで行こうと誓ったのだった。高校生のくせにリッチ志向。

話がそれたけど、そんなこんなでわたしは大学生になった。やりたいことがやれればいい!と偉そうなこといって名古屋の大学へ進学したわたしだが、友人たちは西へ東へ、まれに北へと散っていった。
そしてわたしは、友人たちを頼って長期休暇のたびに東京へ遊びに行った。
夜行、たまに昼間の高速バスで6時間。
大学生になって初めて東京へ行ったときのこと。
中央道で“八王子”の文字を目にして、
「ああ、あの子は今あの街にいるんだ」と思った瞬間、不思議な気持ちになった。
全く知らない街。だけど、よく知ってるあの子がそこに住んでいる。
未知の世界。だけど、ほんのわずかにわたしはその場所とつながっている。あの子が知らない場所で知らない人と知らないネットワークでつながっている。妙に不思議でこころがざわついた。

東京へ行くときは、椎名林檎とか東京事変とかくるりとかをよく聴いていた。
“新宿は豪雨(群青日和)”
“東京の街に出てきました(東京)”
こんなフレーズを聴きながら、東へ向かう高速バスの車窓をぼんやり眺めていたことを思いだす。

今もたまに東京へ行くけど、この街で生活していくのは無理だろうな。わたしにとっては刺激過多すぎる。テーマパークみたいなもん。だからたまに行くだけでいいんだ。

②に続く。