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青春の蹉跌。音楽を友に取り戻した生きる手応え。そこから生まれる優しい手触りの8小節

10秒で高品質なMVが作れるアプリ「ムビート」を提供している株式会社クロスフェーダーの名波です。よろしくお願いします。

今日は、第2回8小節トラックアワードで、見事2位に入賞されましたストロング渡さんをご紹介します。

タイトルは「げらぱり」です。お聴きください。

https://soundcloud.com/8bars_music/wuhryanglxqj

穏やかなトラックの上にしっとりと鳴り響く「げらぱり」のフレーズ。もし「Get a party?」だとしてもパーティー感はないな。なんだろうと思いつつ、脳内に流れる「げらぱり」。意味はわからないけれども「げらぱり」。後述しますが、作り手の手のひらの上で聴く快感。夕日を見ながら聴いてみたくなる曲です。

審査員の廣山哲史(RYUKYUDISKO)さんのコメントです。

“聴けば聴くほど深みにハマり、その楽曲の甘美さに抜け出せなくなる。大事な音なのにあえて主張させない、何度聴いても新たな発見がある。”

音楽のファーストインパクトはORANGE RANGE。今でも自身に与える大きな影響

初めて買ったCDは、小学校3年生のときで、嵐の「戸惑いながら」だそうです。TV番組の影響でした。小学校5年生のときにORANGE RANGEとの出会いによって人生が変わります。特に元ドラマーの北尾 一人氏に憧れます。
そしてご両親にドラムセットを買ってもらっちゃいます。好奇心に火が付いたら、それだけをガガガっと取り組むタイプのストロング渡さんは、一生懸命練習したようです。

ORANGE RANGEについては、次のようにおっしゃっています。相当な影響を受けました。

ストロング渡 -”小学生から聞き続けて今でもかっこいいと思っている。その理由は、意味のない言葉の羅列からなる歌詞が好きだから。意味がないのに耳に残るのはすごい。フレーズで歌えるのもすごい。応募曲の「げらぱり」には意味は込めていない。でも気持ちいいと思ってもらえるように作った。ORANGE RANGEと同じことをやっていると思っている。”

野球とドラム

中学に進むとクラブチームで野球を始めます。キャプテンを務めるほど上手で信頼を集める選手だったようです。練習日が週3日だったので音楽との両立は容易だったとのこと。

音楽方面では、中学2年生でX JAPANに出会います。YOSHIKIのドラムに憧れて、すぐにツインペダルを買って練習し始めました。私もX JAPANのデビューから現在までリアルタイムで知っていますが、当時の人気もすごかったですが、今の世代にも大きな影響を与えているのですね。素晴らしいレジェンドバンドです。

中学校3年生になると、付き合っていた彼女の影響などからPay money To my Pain、Coldrain、The Blackoutなどのラウドロックに傾倒していきます。当然そこでも練習の虫です。

ただ、周りに音楽をやる友達がおらず、一人で練習していたそうです。

ラウドロックバンドに打ち込んだ高校時代と将来の自分

そんなストロング渡さんには、高校に入ると音楽の友達ができます。そのメンバーでラウドロックやメロコアをやるバンドを組みます。PTP、MUCC、GOOD4NOTHINGやELLEGARDENなどカバーをするだけでなく、オリジナル曲もやっていました。

ライブハウスでのライブも数多くこなし、高校3年生では「バンド甲子園」で優勝もしています。

ストロング渡 -“とにかく叩いている時間は本当に楽しかった”

一方で、大学受験の季節を迎えます。将来を見据えるためにこう考えたそうです。

ストロング渡 -”将来会社員として働いていけるイメージが湧かず、そうしなくても済むような状況を目指した。投資家になるとか起業家になるとかですね。当時の自分にはそのためには何かインパクトのある経歴が欲しいと思ったのだと思います。”

海外の大学を目指すも失敗。初めての挫折と長く続いた失意

インパクトのある経歴とは何かと考えるにあたって、高校2年生で初めての海外旅行でシンガポールを訪れたことが大きく影響します。現地で大学見学をして直感的にここだと決めたようです。

ストロング渡 -”シンガポールって一般的な選択肢ではなかったような気がして、だからこそ面白いかなと思った。あまり日本人の出願者もいないだろうと逆張りのつもりだった。”

そのために、学校の授業は苦手だったようですが、英語をとにかく喋れるようになりたくて、Skype友達を見つけたり、片っ端から外国人に話しかけて話せるようにと努力を重ねていました。その上で、8ヶ月の語学留学を経て万全の準備でシンガポールの大学入試に挑みます。

しかし、失敗。

「そうしなくても済むような状況を作る」計画がガラガラと崩れ落ちます。ドラムも野球も自由自在にこなせたし、地元一番の高校に進学したストロング渡さんにとって、初めてにして最大の挫折です。

背伸びして慣れない挑戦と自覚しつつも、とにかくショックが大きすぎて、計画をうまく建て直すやり方がまったく思いつかず、ふさぎ込んでしまいます。1人でいることも多くなりました。国内の大学受験に切り替えて、なんとか軌道修正を図り、翌年に早稲田大学政経学部に合格します。帳尻は合いました。合ったように見えます。しかし、下手にいい大学に受かってしまったことが余計にショックを大きくしてしまったのではないでしょうか。なぜ、これが去年できなかったのかと。また海外大を目指した1年が本当は無駄だったのではないかと。

一般的な話としても私の周りの話でも早大は、サラリーマンにならない層が一定数います。その校風に少し流されれば、もう少し落ち込みをゆるやかにできたのではないかと思います。

大学では、友人は数人できたそうですが、心は閉ざしたままだったそうです。音楽活動はほぼしなかったようで、たまに呼ばれてライブに出ることはあったそうですが、音楽のインプットもあまりなかったそうです。あれほど打ち込んだドラムへの愛情がどこかに行ってしまいました。この時期を空洞とご本人は述懐します。

そんな状況のまま、就職活動の季節が来ます。会社員以外の確固たるイメージが湧かないストロング渡さんに、就職活動をしないという選択肢はなく、流されるまま求人広告の営業として就職します。

しかし、6ヶ月で退職。「好奇心に火が付いたら、それだけをガガガっと取り組むタイプ」のストロング渡さんは、好奇心の火が灯らないことは長続きしません。自分の好きなものもわからなくなるくらい落ち込んでいました。

その後も、放浪の旅が続きます。日雇いバイトをしたりパチンコホールをやったりして糊口を凌ぎ、空虚な毎日を過ごします。ただ、当時付き合っていた彼女とこの時期に結婚します。満足がいかない日々であっても、支えてくれる人がいる。この救いは大きいのではなかったかと思います。

苦しいことをやめてみたら、自然に回帰した音楽

ある日、ストロング渡さんは思いました。

ストロング渡 -”苦しいことをやめて、ダラダラしよう。”

挫折後に初めて自分の心に素直に従いました。そうすると過去に打ち込んできた大好きだった音楽に自然と戻れたそうです。

まずは兄に倣い弾き語りを始めます。歌を録音するためにMacのGarageBandを触るようになりました。そのうちプリセットのサンプルループを組み合わせて作曲を始めます。それだけでも音楽が生まれることが楽しくなってきました。

ウワモノだけ自分で作ったり、ドラムのサンプリング音源を漁ったりという段階に進みます。YouTubeでチュートリアル動画を見る。徐々に取り戻していく音楽。

すごく楽しい。バンドサウンドではなくトラックメイクの観点からHipHopを聴き出す。J-Popも聴いてみる。思いのままに作る。”

そうやって、音楽人「ストロング渡」が再生されました。しかも、作曲ができるようになって。

初めて遠くの誰かに届いた

再生されたストロング渡さんに、公募ガイドを通じて私達の「8小節トラックアワード」の情報が届きます。

ストロング渡 -”僕にとっては、8小節で作るほうが合っていると思った。フルコーラスだと展開の妙が必要。短い尺で情報量をどのように詰め込むのかを考えざるを得ない。普段、曲作るときもサビだけ、フレーズから作る。それ以外の部分はあとで付け足していく。やりやすくて楽しかった。”

素晴らしい曲をいただきました。

ストロング渡 -”初めて遠くの誰かに届いた。それだけで充分にうれしいが、賞を取れて励みになった。”

そう言っていただける場を作ることができて私達も本当に嬉しいです。

今後は、トラックを誰かに提供したいと考えているそうです。自分で歌ってリリースしているが、歌ってくれる人がいないから。一人でやるほうが早くて楽だけれども、理想通りの声ではないので、とのこと。今後の活躍を期待します。

もう一つの応募曲と彼自身のSoundCloudも紹介します。ぜひお聴きください。

https://soundcloud.com/strongwatari

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今日は、第2回 8小節トラックアワード第2位のストロング渡さんってこんな人だよというお話でした。




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