何のために写真を撮るのか(あるいは私はなぜ裸の女性ばかり撮っているのか)
写真のテーマは人それぞれだ。
ポートレートにスポーツ、ライブステージ、風景とさまざまだ。公募展なんか見に行くと、たくさんの作風に触れられてよい。勉強になる。「なんでこの人はこの被写体を選んだろう」なんて想像をたくましくするのも、また楽しい。
私はなんでいま裸の女性(それも緊縛)ばかり撮っているのか。
写真撮影には「その瞬間を記録する」側面と、「頭の中のイメージを具体化して一瞬で固める」側面がある、という前提でこの項を書く。
私は風景やスポーツ、ライブなどの記録系の写真を続けてきた。フィルム時代から長らく続けてきた結果、ほぼ想定内の写真(イレギュラーなミスはあるが)が得られるようになった。
これで満足してもつまらないので、新しいことを始めることにした。
頭の中のイメージを、シャッターの一瞬で写し込む。
言葉にすれば簡単だが、なにぶん頭の中身が豊かでない。どうすれば美しいかの舞台装置設計を一からできるわけがない。「この背景なら人をこう配置して撮る」までが関の山だ。
なので、ずっと脳内を駆け巡っている性的な衝動をモチーフにしている。それなら無尽蔵に湧いてくる。被写体と協力(共犯)関係を結んで「何がエロスの要素となりえるか」「どんな明かりがエロスを増幅するか」などなどをしゃべりながら組立っていく。
しばらくこのジャンルの撮影でいいな、と思う。能動的に切るシャッターは、とても楽しいのだ。
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