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ウルトラセブン推し④第24話「北へ還れ!」に映る大相撲

子どもの好きなものは「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた一九六〇年代。高度成長のさなか、一般国民の最大の娯楽がテレビ鑑賞だった時代に、スポーツ中継は絶大な人気を博した。私も、大相撲、野球、さらにプロレスについては、「ウルトラセブン」より少し早い時期の一九六五年くらいから熱心に観ていたものである。そんな「国民的スポーツ」は、「ウルトラセブン」にも垣間見ることができる。そのなかでここでは大相撲について書いてみたい。

第24話に映る大相撲中継で、「寄り倒し、柏戸の勝ち」のアナウンス

「ウルトラセブン」放送時、横綱は四人だった。大鵬、柏戸、栃の海、佐田の山。柏鵬時代と言われながらも、優勝回数は圧倒的に柏戸よりも大鵬が多く、人気もはるかに勝っていた。
後から横綱に昇進した栃の海、佐田の山も大鵬に比べるとそこまでの存在感はなく、大鵬の一強・一人人気、といっても過言ではなかったように思う。

そんなさなか、一九六八年三月放送の「ウルトラセブン」に大相撲の取組の映像が映り込むシーンがある。第24話「北へ還れ!」だ。

フルハシが北極上空での事故の調査に行った際に、ホーク3号が操縦不能になり、民間航空機との衝突を避けるため自爆装置をセットして脱出を試みるが、脱出装置も故障。そんななか、キリヤマはフルハシの母を急遽北海道から呼びよせる。

満田監督得意の、(良い意味での)外連味たっぷりの作品だ。そのフルハシの母が宿舎のテレビで大相撲を見ていると、「寄り倒し、柏戸の勝ち」、とのアナウンスが入る。

第47代横綱・柏戸剛(伊勢ノ海部屋)

ある時期まで、この取組の柏戸の対戦相手は、画像では判別できないものの大鵬との説が広まっていた。しかし大鵬が柏戸にここまで「一方的に」負けた一番は、一九六三年九月場所の一四戦全勝の楽日決戦以外にあったのだろうかという疑問を持った。

そこで、第24話の放送日の一九六八年三月一七日以前の大相撲の状況を調べてみた。大鵬は、この三月の大阪場所を全休。また、その前の一月の東京場所、前一九六七年一一月九州場所ともに、途中休場。当時は大鵬は全盛期を過ぎて休みがちだったのである。

すると横綱どうしの柏鵬戦が組まれるのは千秋楽かその前あたりなので、この期間に柏鵬戦はなかったはずであり、「北へ還れ!」の柏戸の相手もおそらく大鵬ではないということはわかった。

このシーンの撮影日は一月場所二日目と判明

その後も引き続き対戦相手がわからなかったのだが、二〇一七年に「ウルトラセブン撮影日誌」が発刊されて第24話の撮影日が一九六八年一月六日から二五日までと判明する。一月場所の開催期間だ。

さらにこの本には、フルハシの母役・市川春代さんが一月一五日(月曜)、一六日(火曜)、一九日(金曜)の三日間撮影に参加した旨が記載されている。また撮影場所を見ると、宿舎のシーンとして録られた日は一五日であり、これは一月場所の二日目にあたることが判明した。

そして私は直接確認できていないのだが、二日目であれば柏戸の対戦相手は前の山である、という情報も提供していただくに至った。突き押しの速攻相撲で、のちに大関まで昇進した力士である。

大関・前の山太郎(高砂部屋)

ようやく、これにて一件落着。

のはずだった。しかし、私は重大なことを失念していた。「ウルトラセブン」はアフレコなのだ。つまり、画面に映っている取組とともに聞こえてくる音声は、リアルタイムの実況のものである可能性はきわめて低い。

すると思い至ることがある。一月一五日と言えば、冬至から間もない。二日目に登場した横綱は、この場所皆勤の柏戸と優勝した佐田の山、この後途中休場した大鵬の三人だった思われ、柏戸の取組はどう考えても五時四〇分以降だろう。

東京はこの時期、五時には日が暮れているのだが、市川さんのいる宿舎の窓の外、アンヌ隊員の背後に映る空はまだ明るいのだ! 

このシーンの左側に映る窓の外はとても明るい

映像の取組は四時台かそれ以前のものと思われ、するとアフレコの件と併せて、さらに映像と音声は同時のものではないと考えざるを得ない。そしてそうであることは、ひし美ゆり子さんの著書内の満田監督のコメントで明らかになった。
つまり、前の山だけではなく、アナウンスのあった柏戸ですら白紙に戻ってしまったのだ!

真相は、そもそものところからまた闇の中となってしまったのである。

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