代々木決戦 day2 「怪歌」備忘録

二月末までアーカイブがあります

はじめに

ネタバレのため、読み進める際は自己責任でお願いいたします。
人物の発言は基本的に「」で表現していますが省略、聞き間違い等がある場合があるため厳密には是非アーカイブよりご確認ください。
※配信のその他注意事項「ただし、配信画面のスクリーンショット(静止画)撮影ならびに撮影したスクリーンショットの各種SNSでのアップのみ許可致します。」とのことで静止画を貼っております。間違っていた場合はすぐに訂正するためコメントお願いします。

結論

長い事は一番下に載せたかったのでまず、結論を。
怪歌は確実に私の心を震わせました。素晴らしかったです。
私はこれからも彼女を追い続けます。


序盤

カウントダウンからなんだか見たことのある光景が含まれた動画が流され、怪歌(開花)を示唆するかのような演出がされる。

雉!なんだか懐かしい光景。


ガチ恋距離、曲はまさかの「夜行バスにて」嬉しい


開花、Re:HEROINESも壮大で最高だ。

衣装の色が変わって、一旦ポエトリーターン。
まさかこの始まり方から青春の温度はずるいよな。ずるい。
思えば、不可解参(狂)のエンディングだった。エモい。

かふすてっぷ

二曲目は人を気取る。 最高だ。

タイポグラフィも全部いいよね

急にしっとりしたなと思えば三曲目は未観測。 素晴らしい。なんて思っていると勢いが戻ってきた! もうこれ以上褒める言葉がありませんです。

よく見るとand…って入ってる

未観測の後はMCパート。めちゃくちゃ流暢。そこには本物の語彙力53万がいた。
弦楽器隊の演奏と共に始まったのは世惑い子。もうエンディングかと思ってしまった。良すぎる。

World Confuse Child

からのそれせか! 物語が始まる感がワクワクさせられる。現地が非常に楽しそうである。

みんなでララララー

そして、邂逅。
「この先、花譜の歴史の中で、自分の中で道標のような曲であり続ける、そんな曲です。」
フルコースです。
歌い方に磨きがかかってて、泣きそうになった。二十歳になってから涙腺が緩んでしょうがない。聞くたびに心臓がきゅってなるからあんまり日常で聞けない曲の一つ。

一旦区切りのためにいつものかふじゃんぷで終了。ポエトリーターン。
そして、変身!

もこもこでかわいい 髪型もかわいい

毎度のことながら変身シーンがどんどん進化して洗練されている。ちなみにライチョウは鳥綱キジ目キジ科ライチョウ属らしい。きじ!

中盤

変身の流れでコラボゾーンへ。

佐倉綾音さんとのあさひ

迫力と美しさを併せ持つ歌声を披露。2人の曲をもっと聞いてみたい所存。

非常に緩く見えるが…

カリオペさんの登場。英語パートのみかと思えば普通に日本語歌詞もいける、かっこいい姉貴。星街すいせいさん繋がりだろうか。
その後は組曲2はサラッと発表。第一弾のKTちゃんさんとのコラボである。

2人の掛け合いがよき

ボルテージの上がった会場を一旦リセット。ポエトリーターン。
からのDISCOターン。ダンサーさんが登場。

下からにょきっと

DISCOパート後、まさかの新衣装。可不と共にCAN-VERSEを歌う。

花譜によるデザインらしい

そのまま、トウキョウ・シャンディ・ランデヴへ。

かわいい

そして、急にサイバーな動画が流れ始めたかと思えば。攻殻機動隊風巨大VIRTUAL BEING KAFが降臨。そして、蕾に雷 feat.長谷川白紙さん。
本当にでかすぎて段々と面白くなってくる。個人的に不気味の谷のど真ん中を貫いているのと曲調が不安になるのでこのパートはちょっと怖かった。

おぉおお

さらに続けて わたしの声 feat. 大沢伸一さん(MONDO GROSSO)
確かに、この二つの曲にはこのモデルが大変合う。可能性の拡張を実際に体験した形だ。
ポエトリーターンを挟んで、衣装チェンジ!

オウギバト!

寒そうである。

からの新曲、スイマー (水槽さん)。水中でも力強く泳ぎ続ける曲。だと思う。静かなかっこよさに惚れる。

ミュルジスである。ごめんなさい。

更に新曲、アポカリプスより(Empty old city)を披露。先ほどよりもアップテンポでサビの繰り返しが非常に気持ち良い。

黒閃である。つよい。

一度MCを挟んで動画撮影OKコーナーへ。ホワイトブーケ(Empty old city)を披露。同時にVALISのオリジンも登場。更にゲシュタルトも披露。
どちらも素晴らしいのは勿論のこと、扇鳩の横顔に目を奪われる。
そして、花譜バンド紹介。本当にいつも素晴らしい演奏をありがとうございます。
そしてGuianoさん登場。

まじ親戚のかっこいいお兄さん過ぎる

そして、この世界は美しい を披露。Guiano節の効いたメロディーと辛いことと向かい合って、それでも前を向こうと思える歌詞に勇気づけられる。

終盤

そして、なんだか様相が違くなる。クラシカルな落ち着いた音楽に合わせて、Pさんであろう文言が出てくる。
「深化Alternativeは、現時点では9段階あると確認されている」
「深化Alternativeとは、可能性の拡張」

深化Alternative 1 ライブを通じて歌唱用形態を獲得すること
深化Alternative 2 音楽的同位体シリーズへの分岐
深化Alternative 3 物語世界のもう一人の「自分」との邂逅
深化Alternative 4 バーチャルアバターを複数持ち、ひとつだけの外見から自由になること

それぞれ今までの復習のような形だ。
5まで差し掛かり、急に動画が流れ出す。

光の粒子となった花譜が鳥となり都市を飛びまわる。


おや、花譜のようすが…?

心臓が妙な鼓動をした。それは一体? 脳裏によぎるのはVALIS。
会場から少しの驚きの声があがる。

歌いだしで何が起こったか把握する。

会場のどよめきは歓声へと変わる。素直に現地民には頭が上がらない。とても素晴らしいと思う。

ダンサーも登場し、新曲ターミナル

頭がバグって正直頭に全然入ってこない。情報が飽和する。
恐らく無量空処を受けるとこうなるのだろう。また、数年来に夏油にあった五条悟のように、「その声も動作も彼女を花譜だと言っている。だが、俺の感情がそれを…」
ついふざけてしまう程の混乱と衝撃である。呪術廻戦を見ていない方には申し訳ない。

その身体には度々ノイズが入る。そう、シルエットはシルエットでも、映像だ。
(想)のときのカンザキイオリさんを思い起こさせる。
一度歌い終わって彼女が話し出す。
廻花であることを話す。なんとなく、震えている気がした。

その流れで新曲、高校2年生『くらい』のときに作ったらしい


続けて新曲。どれも素晴らしい。

これは一つの演出として衝撃を和らげるクッションとしての役割があるのかもしれない。それは本人にとっても、我々にとっても。

手を広げ、廻る。何度も見た動作。

本人からお話。
「Virtualシンガーソングライターとしての私、それが廻花です。」

千と千尋の神隠しから着想を得たらしい新曲

当時はまだ処理出来ていなかった。自身の感情の濁流。別に今までとなにも変わりなく、彼女は彼女だと言う自分。花譜という存在が薄れてしまうという自分。思考は悪い方向に向かう一方で折角の楽曲が頭に入ってこない。

転校生のあと、トーク。いつも通り(でもないが)の彼女のMC少しだけ落ち着く。

「花譜という存在と自分自身よりも近い存在として育ってきた」

この言葉の意味はきっともう自分にはわからない。推し量ることも容易ではない。それくらい人格形成の時期にネット上での自身の分身とも呼べるものがここまで有名になるのは非現実的な、魔法のようなこと。

「私は一人ではなにもできないし、こうして皆さんの前でこの存在を代表したり語ったりしていいのかな」

前々からこのようなことは言っていた気がする。そして花になるでもきっとそんなことを話していたんだろう。

「画面を通して皆に見せているのはいい所ばかりだし、いつも何かを隠しているように思えてきたりとか全部後ろめたくなっているのに、色んな疑問とか後悔とかに対して納得したようなふりをして、言葉にして誰かに伝えるのを避けて。自己完結させて。気持ちが凪ぐのを待ったりして。こういう自分の根っこの部分にある臆病で劣等感の塊みたいなところを見て見ぬふりをしてきました。」

この謙虚さを超えた自己評価が非常に彼女らしいというか、花譜としてではなく一人の表現者として、人によっては悩まないことかもしれないけれど、それでも向き合うことを選んだ。そんな様子を彼に重ねてしまう厄介ファン。だからこそ二人の相性は良かったんだろう。それでも違う道を行く必要があったんだろう。似ているというのは同じとは全然違うものであるから。

「でも、だからこそ過去の自分は活動をつづけてこれたのかもしれないと、今は思います。」

もしもの話であるが、花譜としてPさんと共に歩んでこなかった世界として1stワンマンで4000万は得られただろうか。インターネットの匿名性の刃に囲まれても大丈夫だったと誰が保証出来るだろうか。

「誰にも言えないことを言えたり、気持ちをぶつけられたりするのが私にとっては歌で。」
「そもそも、自分でも自分のことを分かり切れていないのになんでこんなのは自分じゃないって言いきることができるんだろうって。」
「花譜の活動を通して自分がどんな人間か、何が好きで何が嫌いなのか少しずつ輪郭が見えてきているんじゃないかって。自分のことを表現すればするほどわかることも増えていくんだって。」
「そもそも、歌がセルフプロデュースみたいな感じでどんな風に聞かせたいかっていう自分のイメージを出力した、極論全部嘘って言えちゃうのかもしれないって、思って。だけどどこかでそれを聞いてくれる誰かが自分に引き寄せてくれてその歌を本当にしてくれているのかもしれないって思って。自分という存在もそうできたら噓か本当かっていう次元を超えて、廻り回ってどんなものでも受け入れられるんじゃないかと思います。」

歌は噓なのかもしれない、それに対して歌は魔法だ。マジックというのは受け手が本当だと思い感動すれば超常的な力となる。受け取る側がそれを本当にさせる共創。これは全てPさんが始めたのか、それとも彼女が歌と向き合う上で周囲の刺激から得たものから出た応えか。そのどちらでもあるであろうそんな言葉に観測者は魅了されてきたんじゃないだろうか。


ぼくはぼくだから。

「花譜、廻花、どちらも私です。エンターテインメントの集合体といっていいかもしれない。どんな歌も楽しく、自分らしく歌っていく、花譜。より自分自身の内側から浮き出るものだけで形作る廻花。」

どちらも私だと。そう言ってくれた。花譜は最初は嘘だったのかもしれない。でも、それはいつの間にか本当になっていた。この花譜という全ての流れ、ストーリーは元々想定されていたのだろうか。

みんな、○○○○○!
数年後、覚えていたらいいな。

彼女の意思だと、前々から思っていたことだと、カンザキイオリさんのXまで見てようやっと彼女が歌い続けるのならどこまでもと、そう思えました。
彼女が花譜という殻に閉じ込められて苦しいのであればそれは違うと思うから。


心臓と絡繰

どうでもいいこと

ここから下は本当に自分語りです。何もかもぐちゃぐちゃです。でももし数万人に一人でも同じような方がいれば嬉しいです。


実際、廻花というのは間違いなく可能性の拡張であり、活動の場や表現の幅が広がる。ただ、驚いただけのこと。そこに文句も何もないがその瞬間に手放しで喜べなかった自分がいたのも事実だった。

「怪花」は自分の心の中で燻っていた、それでも無視した感情に向き合う機会となった。推しってなんだろう、好きってどこからなんだろうか。
自分が花譜と出会ったきっかけ、その後の各種動きへの反応から自分は花譜という存在を集合コンテンツとして見ていたことに気づいた。

そもそも、「不可解」に対して自身の根本的な勘違いがあった。
自分にとって花譜・不可解というのは、鳩羽つぐのような世界観として一つのコンテンツだった。兎鞠まりが実はおじさんじゃないだとかおじさんだったりとか。
そんな画面の向こうはわからないけれど面白いコンテンツ。
不可解さというのはその分からないを表現していると思っていた。でもそんな自分の浅はかな考えではなく、Pさんはもっと遠くを見ていて。
彼は彼女を表現者の一人として向き合っていた。その才能をどこまで届かせるか、その一つの手段としてちょうどよくVirturalという存在があった。
ただ、それだけ。

まだまだ黎明期であったVirtualに挑戦し、Vsingerを開拓することが不可解だと思っていた。でも違った。
もしかしたら当時はそうだったのかもしれない。でも不可解の名の下に変化は訪れ、それに適応できなかった自分はいつしかただの懐古厨になってしまった。それは今でもそうなのかもしれない。

日本の何処かに棲む
何処にでもいる、何処にもいない18才
3周年記念サイトにはそのようにある。自分はこれを量子学的な意味で花譜のみに対して重ね合わせの状態と解釈していた。
でも、何処にでもいる少女はオリジンで、何処にもいないのは花譜であった。
自分の花譜との関わり方も関係するがPさんと花譜、1ファンと花譜の距離感というのはもちろん違う。だからこその勘違いだったのかもしれない。
そのような勘違いすらも読んだ上の不可解という名付けだったのかもしれない。

思えば偶像としての花譜は彼女が歌と向き合い始めること、歌を人に届けることを始めた時点で既に消え去っていて。雛鳥、巣立ちなどの表現も彼女がもう卵ではないという意味だろう。花譜というヒトガタが彼女を孵すための孵卵器であった。そして、飛び立った彼女は花となり、かいかした。


PIEDPIPERさんのNoteがきたので追記

Pさんはやっぱりずるい。こんな書かれ方をしたら、これからが楽しみでしょうがない。彼の思い描いた世界がどんなものなのか、全く想像ができない。でも、きっと所属アーティスト達は笑顔でいてくれるんだろうなって。そういう信頼を寄せさせられてしまう。(このニュアンスはどうやって示せばいいのか…)

今までカンザキさんが紡いできた楽曲達は三部作など関係なく、全て花譜と廻花、どちらも見ているような、全てが糸でつながっているんじゃないかと考えさせられた。仕事での関係以上に仲間を大切にする、仲間全員の居場所となるようなそんな現場なんだろう。どれだけお互いに向き合ってきたか、是非何処かでそんな話を聞いてみたい。

花譜さんのXより

読めば読むほど本当に自分が恥ずかしくなる。彼女はこの5年間を通してどれだけのことを飲み込んできたのか。自分の根にあったものを飲み込んで、人を気取って、それでも届けない思いは蕾となって、そして花になった。

廻花は本当に驚いたし、それを花譜としてのライブでお披露目するのかと訝しんだりものした。でもこれは最初から彼女の物語だった。花譜と廻花は区別はしてもそれを完全に別にするというのは彼女の裏表の否定となる。
色々なお知らせもあった。自分が見ていた花譜は消えていない。
自分自身、花譜の何が好きだったか、ビジュアルか世界観か、MCのふわふわ具合だったか、急に変なことをしだす独特な感性だったか、はてさて普通の少女であったか、それとも類まれなその歌声か。
勿論、花譜のことが好きな自分もいた。でもそれは自分の中の好きの一つで、彼女の歌声が言動が、音楽に対する姿勢が好きな自分がいる。それだけでいい。廻花には歌い続けていてほしい。例えその輪郭がより鮮明になる日がこようとも。不可解はもう終わったのだと。これからの彼女らのしんかをこれからも見ていきたいと思う。

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