2017/03/12 再び長崎へ
前回の長崎訪問では五島列島をまわった。今回は平戸、長崎市、外海、雲仙、有馬、南島原、口之津と長崎キリシタン文化を巡る旅となった。入念な計画をせずにふらっと気の赴くままに出発したのだが、おおくの素晴らしい発見と出会いがあった。それらの出会いは不思議と何かによってもたらされているように感じた。
旅の一番の目的は、祖母の生まれ故郷、平戸を訪れることだった。平戸には鎖国以前から、中国、ポルトガル、オランダ、イギリスと交流のある国際貿易港があった。鹿児島に入港したフランシスコ・ザビエルが初めて布教活動をした、日本のキリスト教にとって重要な意味を持つ土地だ。今から約四百七十年前、西の果てにあるこの小さな城下町を、異なる民族衣装を着た外国人が自由に闊歩していたかと思うと自然と心が踊る。そして海の向こうの大陸をとても近く感じる。
今回の旅では、貴重なキリスト教美術や史料に触れることができた。大浦天主堂にあるド・ロ神父が日本人に作らせた木版画、二十六聖人記念館では「雪のサンタマリア」、長崎県美術館では普段は見ることの出来ない 有家版と渡邊千尋さんの模刻版の「セビリアの聖母」(銅版画)を見比べることができ、さらには有馬キリシタン遺産記念館で中国版(木版画)も観ることができた。
有馬のセミナリヨ跡も訪れた。多い時には百人ものまだあどけなさの残る神学生がこのセミナリヨで学んでいた。アレッサンドロ・バリニャーノ神父による宗教、語学・文学、芸術を中心とした西洋的教育を基盤としながら、日本文化を尊重した進歩的な教育がおこなわれていた。四百年の昔、長崎の最南端にある小さなこの城下町にラテン語を流暢に話し、外国人と対等に渡り合い、美術・音楽・文学にも造詣が深い少年達がいたとは想像をこえる驚きだ。そしてその後の彼らの運命を想うと胸が痛む。関東から来た、二人のキリスト教徒の女性との偶然の出会いもあった。彼女達の話を聞き、敬虔な信仰心にふれることで、信じることについて考える機会を与えられた。
「きっちりと足に合った靴さえあれば、自分はどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、自分は生きてきたような気がする」という、一九五三年七月神戸港からパリに向けて旅立った、須賀敦子の一文を思い出しながら、私の新たなヨーロッパへの旅はすでに始まっているのだと感じた。きっちりと足に合った靴をはいていかなくてはと思う。
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