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冬季オリンピックの若者に学ぶ

冬季オリンピックを見ていて、スノーボードなどの新しい競技の選手たちは競争相手との争いでも選手たちが競技中でも素晴らしい技や結果に会場内で選手たち同士が競技終了と同時に祝福のために競争相手というよりむしろ同一のチームメイトのように集まって称え合っている。国の違いや競争相手であることには全く関係なく。
この同一種目というグループの選手同士のコミュニケーションを観ていて感じたことがあります。
それは競技に対する競争相手との鍔迫り合いと、競技種目の仲間という意識もともに兼ね備えているということ。
うまく表現できませんが、技を競い合う戦いと競技仲間という次元は異なるということと言えばいいのでしょう?
我々の世代ではどう表現すればいいのかすらわからない。
競技は狭い器の中での他者との蹴落としても勝てばいいという狭いレベルの争いではなく、天井知らずの究極、あるいは自分の中の究極を求める戦いを共に目指しているということなのでしょうか?
そう言えば、ボルダリングなどのスポーツクライミングのような新しい競技種目では、冬のオリンピックでなくても、やはり何かサバサバしていて、従来の兎も角はまず勝つ!というギラギラしたライバル意識のようなものがないように感じます。
全員同じ種目を戦う仲間なんだからということなのでしょうか。
これは、おそらく、PCのゲームなど直接の対戦をする前にリモートで対戦したり、インターネットによる情報のオープン化によって秘密にすることに労力を注ぐ無駄より共に情報交換しながら戦うことから養われてきた感覚からなのでしょうか?
ですから、新しい競技はあまり国家間の争いという感覚がありません。

余談ですが、同じように今回のオリンピックの話題の中で、中国系ではあるもののアメリカ生まれ、アメリカ育ち、すなわち中国系ですがれっきとしたアメリカ人で、北京オリンピックのために中国籍(中国は二重国籍は許されていないはず)にもなって、しかもオリンピックのフリースタイルスキーで金メダルを手にしたアイリン・グー選手(彼女は高校の時に世界数学オリンピックにも出て、そのままスタンフォード大学、かつ、今はスーパーモデルで金メダリストなのです)のように、これ以上何が必要なのか?と言いたくなるような資質の溢れるそんな時代なのですから。

時代は大きく変わってきているのです。エリートにとって国家などどこでもいいような時代です。
いい意味で、これは私はnaturaltableにとっても大きなヒントになるような気がいたします。
若者にとって国も人種もかなり超越してきているわけです。

私はMBAの大谷選手やフィギュアスケートの羽生結弦選手、ポーランドでのショパンコンクールのピアニスト(ここにも名古屋大学医学部でかつ一流のピアニストがおられましたね)の人々を観ていて時代は変わってきていると思います。
時代はかなり違ってきていると思います。
未だ、情報コントロールや100年以上前の家長制度の延長のような制度に固守して国家主義、選択的夫婦別姓すら難しいことにこのオリンピックの若者を見ていて違和感を覚えます。

もちろん夢のような話をしているわけではないですが、今回のウクライナの問題のように、国家の威信をかけないと引っ込みがつかなくなることも現状では無理からぬことなのかもしれませんが、しかし国家間の話し合いによる並々ならぬ努力には感謝するものの、互いに威嚇してミサイルなどの兵器に莫大な資源を投下することよりも、少し矛を収めていただき、若者や最貧国への食料やワクチンへの投資をお願いしたい。
世界がコモンズのような最低限の生活と教育の権利の保障に力を入れていくことが重要だと思います。
人生100年時代、先進国では、すでにリカレント教育、サバティカルを提唱する時代、女性の時代です。
多様な価値観の中で迷える人々にリカレント教育に我々のnatural tableの目指す多層なグローバルなセラピスト教育は必須だと思います。

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