情報を発信すること。

少し前のことですが、Facebookを見ていたらやたらとシェアされて何度も流れてくるエピソードが目につきました。
以下、それを見て私がFBに載せたものの全文そのままです。

最近、死産した母親が産んだ赤ちゃんを抱いて一晩眠るエピソードがやたらFBでシェアされて流れてくるけど、不快だなーと思ってながめている。
読んだ人が「泣いたー」とか「浄化されたー」とか、正直うるさいよと思う。

読む人によっては未経験の泣ける話かもしれない。
でも、読む人によっては経験済みの泣くことすらできない話だと、シェアしている彼らは考えたかな?
自分の身を持って現実にあの産声のない出産を経験した人は、あの記事はまずシェアしないと思う。
無邪気に泣いて、あなたも読んでみなよ、なんてできない。

私はバカみたいに浮かれて妊娠初期にFBで妊娠報告をしてしまったから、死産の報告もすることになってしまってものすごく後悔した。
普通、流産/死産は人知れず夫婦二人で乗り越えるものだと思う。
だから、あなたの隣で笑っているあの人もこの人も、いつもと変わらないように見えて実は家に帰ると泣き崩れているかもしれない。
私はそのことを死産するまで知らなかった。
お腹の中に赤ちゃんを抱えたまま自分ごと焼いてほしいという気持ちを誰が解ってくれる?
思い出しても涙も出ないくらいもう泣き尽くした。

それから、相手の置かれている状況のいろんな可能性を想像しようと思うようになった。
自分が見ている世界がほんの僅かでしかないのだと痛感したから。
「子供はまだ?」と聞かれている結婚数年目の彼女は流産したばかりかもしれない。「子供いらないんだー」と言っている彼は妻と共に不妊治療の真っ最中かもしれない。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でも、こと「子ども」に関する話題はとてもデリケートでプライベートで他人に軽々しく話せないことが多いから土足で踏み込むべきではないと思うし、もちろん子どもに限らず他人には想像し得ない何かをみんな抱えているんだと思う。
そんなこと考えてたら誰とも話ができなくなってしまいそうだけど、それでも自分に出来る限り思いを巡らせたい。
こう思うようになったのは、今ここにいない息子のおかげ。

無知は最大の罪で凶器。
このエピソードのシェアに限って引っ掛かった訳ではなく、SNSやインターネットツールが大流行してモラルやデリカシーが欠除しているというか、あまり深く考えないで発言する人が増えたなぁと感じる。
無邪気に人を傷つけてる場合があるよ。もちろん私も。「知らなかったからしょうがないじゃん」は違うと思う。
顔が見えていてもそうじゃなくても、自分の言動には注意深く責任を持ちたいなと思う。
まずは自分の無知さを知ることから。
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このエピソードをシェアしていた友人の一人から「ごめんね」と謝られましたが、私自身が傷付く段階はとうに過ぎていてこれを目にして私が傷付いたわけではなく、こういうのってSNSの危険な部分だなと思って一度警鐘を鳴らしておきたかったんです。
このエピソードに限ったことではなく、1クリックで簡単にシェアできてしまうからこそ、それは本当にあなたの同意として発信していい情報ですか?と問いたい。
情報を発信することが簡単になり過ぎて麻痺してるように感じるけど、発信するからには責任が伴うのだともっと自覚してほしいと思ったので敢えて書いて載せました。

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