誕生日と死生観

こんばんは。

突然ですが、皆様は自分の誕生日を楽しみにしていますか?
子供が親に好きなものを買って貰ったり、この世に生を受けたことを感謝したりといった光景は大変微笑ましいものです。ですが、私はあまり誕生日を楽しみにしていません。
なぜなら、誕生日を迎えると言う事は「確実に1つ歳を取る」という事になるからです。

わたしはとある仮説を考えました。
誕生日を楽しみにしている人は、自らの「死」という事象に対して楽観的(リアリティを感じていない)な傾向があるのではないか。
人は皆、ある程度は等しく死を恐れて生きています。だからこそ、死が近付いている事を数値化させられる事より、自らの生に感謝する事について優先して考えてしまう。
先程も述べた通り、人は誰もが等しく死を恐れて生きているが、みんながみんな、自らの「死」を現実的なものとして捉え、それを自分の中で写実的に描いているとは限らない。

例え誕生日であっても平和ボケせず、避けられない「死」について思案することが、自らの「生」に対する誠実さ、或いは態度価値として相応しいのではないかな、と思いました。

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