見た目・外見

どうやらニンゲンのないめん性・本性・本質・ニンゲン性・性格・ホンネ・感情・キモチなどは、見た目・外見にでてくるようである。とくにカオつきに。
むかしから、「目はクチほどのモノをいう」といわれるが、カオつき、とくに目には、そのニンゲンのホンネ・感情・キモチなどが、ろこつにでるようである。

まえに、「ヒトは見た目が9割」という本があったが、たしかにニンゲンは、見た目・外見に、ないめん性などがでるかとおもわれる。
ソレとはぎゃくに、「ヒトを見た目ではんだんするな」というイミのこともいわれる。
だがしかし、見た目・外見に、そのニンゲンのないめん性・本性・本質・ニンゲン性・性格・ホンネ・感情・キモチなどがでてくることを、カンゼンにひていすることはできない。

たしか、船井総研をつくった船井幸雄氏は、「ヤクザはヤクザのような、警官は警官のような恰好をする」というイミのことをいったらしい。
コレもまた、「ニンゲンは、見た目・外見に、そのないめん性などがでる。だから、見た目・外見ではんだんすることができる」ということを、いっているかとおもわれる。

つまり、ニンゲンを評価・はんだんするときに、「パッと見の印象・イメージで、はんだん・評価することは、あながちまちがいではない」ということがいえるかもしれない。
もちろん、じんせい経験のすくないニンゲンであれば、こういうことはむずかしい。
だがしかし、しゃかいにたいして出ていって、20年以上はたらいており、イロイロなタイプのニンゲンと出会った。
そして、イロイロなけいけん、とくにミス・しっぱいなど、イタイ目に遭っている。
さらにいえば、キケン・もんだいのあるタイプのニンゲンと会い、かかわったために、ヒドイ目に遭った。
と、こういうタイプのニンゲンであれば、「パッと見の外見・見た目で、あいてを評価・はんだんする」というチカラは、いつの間にか、そなわっているかとおもわれる。

ぎゃくにいえば、「たにんから、どういう目でみられて、どういう評価・はんだんをされるのか」というときには、「じぶんの見た目・外見が、たいせつ・重要になる」というカタチになる。
もちろん、おカネがないのに、見た目・外見を、キレイに着かざることはできない。
だがしかし、おカネをかけずに手いれをすることができる点ならば、ソレをおこたらないほうが良さそうである。

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