障がいの「ガイ」の字
『障がいの「ガイ」の字は、漢字で書くと「害」があるみたいだからやめて欲しい。差別の原因にもなるからやめて欲しい。』
このような声があるのも事実だろうし、実際過去この「ガイ」の字をめぐって政府の検討会も開かれ、専門家、当事者などにより検討されたこともある。
結論から言うと、現在の通例は2つに分かれている。
・障がい・・・法律等の固有名詞以外で使われるときは「がい」
・身体障害者福祉法・・・法律等の固有名詞で使われるときは「害」
というように固有名詞の表記以外では「がい」と配慮することが一般的になっている。
これは「障がい」に対するネガティブな印象を持つ人への配慮ということである。
ここまでが一般論。
私は支援者として先の配慮をする立場であるし、そのようにしている。
しかし、自分は障がい者でもある。
支援者としてではなく、障がい者の1人として言わせてもらうのであれば、、、
「正直、どうでもいい! というか読みやすさ書きやすさから漢字の方が楽でいい!」
という、一個人の気持ち・感想がある。
なぜ、なっつんは当事者でありながら「どうでもいい」と思うのか。
それは『障がい者に対する差別や社会的不利益の原因は文字の表記に存在しないから』
『いや、でも、子どもは「障害」って書いたら「害」を理由にいじめしたりするよ?!』
という声もあるだろう。
それも本質ではない、あくまでそれはイジメたい子どもがイジメたい相手の都合のいい言葉として、その言葉を使っているに過ぎない。
別に「障がい」じゃなくてもいい。
「ガリ」でも「メガネ」でも「猿」でも「菌」でも「KY」でも、言葉は何でもよいのだ。
(実際に障がいがわかる前の私もこの言葉でいじめられた)
ケースによってさまざまであるだろうが、イジメたい子どもが抱えているネガティブな気持ちを子ども自身がうまく向き合えないことで、その気持ちをどうにかしようとして、自分のネガティブな気持ちをイジメたい相手に無意識におしつけて攻撃しているのだろう。
この場合、向き合うべきは、言葉ではない。
その子どもが自分の心穏やかに楽しくノビノビと生きれるようになるための、その子どもの心と、家庭・学校・地域の環境と向き合うべきだろう。
本質は、言葉ではなく、起きていることにある。
もし、誰かが「障がい」の「ガイ」の字に必要以上にこだわっているのであれば、その人は今「障がい」に関係するネガティブな現実と正面から向き合えない状態なのかもしれない。
もし、あなたが「障がい」の「ガイ」の字が必要以上に気になってしまうのであれば、まずは体と心を休めて欲しい。とても大切なことだ。
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