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好きなことが私を支える【当事者体験】

好きなことに助けられてきた人生

1.      好きなことはただの娯楽ではない

なっつんは、小さい時から理科が好きで、アニメが好きで、ゲームが好きです。

 だからといって今は、アニメ制作の仕事もしてないし、ゲーム実況でYouTuberとして収入があるわけでもないし、まして科学者にもなっていないです。

 ただの福祉の支援者の1人です。

 けれど、なっつんの好きな理科、アニメ、ゲームは、なっつんの人生を助けています。


2.      不登校から教室に戻る時に支えてくれた理科

 なっつんは小学校と中学校で不登校を経験しています。

 今ならばどちらの原因の主な背景にはASD(自閉スペクトラム症)が深く関わっていました(当時は未診断でしたが)。クラスメイトとうまく関わることができなかったのです。

 友達は欲しいけど、学校は怖い、一歩を踏み出すために、踏み出し続けるために、親や先生のサポートがあって相談室投稿・保健室登校などから少しずつリハビリをしていました。

 けれど、不登校の生徒にとって、なっつんにとって、相談室や保健室と実際のクラス(教室)は大きく違う環境でハードルも高いのが実際でした

 そのハードルを越えるための、教室の楽しみであり行く目的が、なっつんの場合は「理科の実験」でした。

 まるでマジックのように不思議な変化が起きて、しかし、そこには確固たる理屈や理論があり説明できる世界が好きだったのです。

 その「好きな理科」に支えられて、教室に戻れました。


3.      人としての生き様を教えてくれたアニメ

 以前はただの娯楽として扱われることの多かった漫画やアニメも、今ではストーリーやキャラクターに感動し、そこから人生を学ぶことがあることあると認識されるようになったかと思います。

 子どもの時のなっつんは、自分の写し鏡のように こうありたい自分という姿をアニメのキャラクターに重ねていました。

 それがアニメ「NARUTO」「NARUTO疾風伝」に登場する主人公の“うずまきナルト”です。

 九尾の妖狐という核兵器のような危険性を持った生物を体内に封印されたナルトは、自分の生まれ育った場所で誰にも相手をされず差別されていました。ナルトはその差別やいじめに負けず、皆から認められるよう努力していたのです。そして、いつしかナルトは英雄として認めらえるようになります。

 そんなナルトに、なっつんは性格は全然違っても、自分自身を重ね、クラスの中でいじめられたり認められないながらも頑張り続けようとし、そして頑張り続けられました。

 そういった生き様を「好きなアニメ」から教わっていました。そして当時もそれを実感していました。


4.      得意を伸ばしてくれていたゲーム

 なっつんが子どものころに一番好きだったゲームがあります。

 それが「ロックマンエグゼ」シリーズです。

 ゲームジャンルはアクションRPGです。ストーリーを進めながら、キャラクターを強くするため装備をカスタマイズしていくシステムのゲームです。装備のカスタイマイズには一定のルールや制約があるゲームで、その制約の中で効率を求めると理屈立って考える必要があるゲームでした。

 その制約の中で試行錯誤することが当時は楽しかったのですが、これが大人になってから振り返ると、なっつん自身の得意を伸ばしてくれていたことに気づきました。

 資格の1つとしてExcelの勉強をした時には、関数を扱うことが非常に楽しく、その感覚は「ロックマンエグゼ」のカスタマイズを楽しんでいるときのようでした。

 ゲームを通して「一定のルールの中で、その仕組みを活かし、理想を形にしていく力」を養っていたことに気づきました。

 また、今の福祉の仕事をしている中でも、何かの制約がある中でいかにして利用者個人や施設全体をより良くしていくかを考えるときにも、ここで養われた力や視点が抽象的な形で活きている感じています。

 「好きなゲーム」が得意な思考パターンを育ててくれていました。


自分の好きなことを自分で大切にしてあげる

 好きなことはその人にとって意識的にも無意識的にも大きな意味があることでしょう。

 誰かに否定されるべきものではないし、仮に誰かに否定されたとしても、それは自分まで一緒なって自分自身を否定することではないです。

 もしも、この記事を読んでくれた人がそうであったなら、何かが好きであるという気持ちは自分自身が一番大切にしてあげて欲しいです。

 その好きなことが自分自身を支え・育ててくれるものだからです。

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