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Satie

全体的に朝霧に包まれたような、夢か現実かわからない時間の狭間に立っている感覚で、たまに意識が自分に戻ってきたときに息の仕方がわからないのと、脚があるのか不安になって真面目な話、立ってるのが辛い

「アイドルを辞める日」がわかりやすく始まりを意味する曲なら「Satie」が象徴するのは終焉、MAPAちゃんたちがここで朝陽に飲まれたまま戻ってこないんじゃないかと思って触れるのを躊躇ってしまうような瞬間が何度かあった
永遠と地続きを歌いあげるからこそのエンドロールの雰囲気が、既視感みたいなのの正体なんじゃないかなぁ…と思いましたが、どうですかね…みなさんどこで何を感じたんでしょう…


歌割りとかはまだ触れたくなくて(極力ネタバレによる先入観とか避けたいじゃんね!)、でも、これはグループで歌うにふさわしいなぁと思った、たしかに人間ひとりは無限だよ、でも無限だからこそ他の人間と歩まなければならないと思っていて、そうしなければみえないものがあるはずで、そうやって無限同士がたまたま重なるから同じ時代に生きていて、そのことがとっても尊い  人間たったひとりは無限だし、音楽ってその一瞬がすべてで、だからこそ最後まで何もわからない


「あの日描いたステージ届くまで僕は歌いたい」、「あの日燃やしたストーリー届くまでここで歌いたい」のところ、自分だったら繋がりを逆にしてしまう、逆というか「あの日描いたステージ届くまでここで歌いたい」と「あの日燃やしたストーリー届くまで僕は歌いたい」にしてしまう気がする

自分が描くような「あのステージ」に到達することはいつまでもないのだろう、だからこそ ここで歌うことしかできないし、「ここで歌う」ことこそが歌い続ける意味であって、希望で、地盤で、根本的な部分
ただ、「ここ」はいつまでも「ここ」ではなく、変わらないから自分でも気づかないうちにいつの間にか変わっていく  まるで電車に乗って、その場所に座ったままそこではないどこかへ運ばれていくように、

の、解釈だったから仙台せこりこの動画をちゃんと聴くまでステージのくだりはここで歌うと思ってたナ〜☆ 失敗失敗(?)
あーでも書いてると「僕」が歌うんだし「僕」じゃないと歌えないんだもんねぇになってくる、これはなかなかに難しいですね今更なにをという感じですが…


Satieはピアノの遊び方がマジで本気の遊びってとこも含めて良すぎるので、生音で聴きたいんだ〜(誰かが言ってた作曲家のエリック・サティと掛けてる説を推すなら、ジムノペディ→グノシエンヌ→ジュ・トゥ・ヴ→…とか拍の取り方がそれ風に色々グルグルしてたのがよかったこれ有名な曲だけ出したつもりけどミリも分からんかったらごめんナ)、生きた人間同士の、これはぶつかり合いというよりかは晒し合い、それだと演者も観衆もボロボロになっちゃうかなぁ、、、、でもいつかこの身を投じてみたいです  どうか、


ていうか、キャッチーで的を得たライブレポなんて一生できないし、アタシの頭ん中をまっすぐ出そうとするとすげぇ独りよがりな喋り方なっちゃうんだ、
今の情報の伝播って広いし早いし、だから、音楽の魅力をちゃんと伝えたいから、せっかく書くならもっとやさしくて共感性の高いものを書かなきゃいけないのかもしれないけど書けない、書けないから、どうかその眼と耳をもって観にいってはくれませんか、どうか、よろしくお願いします



5/13、MV公開されたから貼ってみた✌🏻

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