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祖父


今年で祖父(母方)の十周忌になる。

当時12歳の私はまだまだ歯の抜けたクソガキだったが、身内で誰かが死ぬという経験がなかったため、今でも鮮明に思い出す。

前年の末頃から肺炎を拗らせ、年明けにポックリと逝ってしまった。その年の年末年始は心が休まることはなく、普段喜んで食べるおせちが中々喉を通らなかった。母が泣いているのを初めて目の当たりにし、大人も泣く生き物であると知った。

真夏の暑い日に土管がある公園まで手を引いて連れて行ってもらい、一緒に遊んだこと、運動会の徒競走でドベになった私を慰めるために寿司屋に連れて行ってもらったこと、そんな優しい祖父だった。泣きそう。

まあ、しみったれた話はここまでにして祖父の簡単な経歴から辿っていこう。

祖父は下甑(しもこしき)島という鹿児島県にある小さな島で産まれた。

この名前にピンときた方もいるかもしれないが、実は最近映画化もされた漫画「Dr.コトー診療所」のモデルになった診療所がある島だ。

中学生の頃は小説なんぞ全く興味がなく、途中まで揃えられたDr.コトーを読み漁り、まだかまだかと続編を待ち望んでいた。

さらなる余談だが、この漫画の作者山田貴敏氏は私の高校の大先輩にあたる人物である。
話を戻そう。


祖父は地元ですくすく育った後、日本兵学校に通うことになった。幸い戦地に赴くことなく時は過ぎた。

その後中央大学に進学した。あの中央大学である。すごい。ただ勉強に飽きてしまったため中退してしまったそうだ。

飽きっぽい性格はしっかりと孫の代まで受け継がれている。

大学中退後は現JTBの前身である、日本交通公社の子会社に勤めた。この間にとある家の婿養子に入り祖母と結婚し、母を産んだ。

営業マンとして働いていたが部署異動になり、喫茶店の事務職として働き始めた。

後から知ったのだが、祖父はザ・昭和な男で、「何で俺が事務なんてやらなきゃなんねえんだ」と祖母に当たっていたそうだ。

ただ、最終的には喫茶店を二店舗経営するまでになり、しっかりと家族を養っていた。そういう勤勉なところを私も見習いたい。


そんな祖父だが、私の趣味嗜好に多大な影響を及ぼしている。

挙げ続けるときりがないので、今回は一つのトピックに絞って話そう。

音楽だ。私は普段からジャズを聞いている。遡ると中学生時代のテスト勉強の際に、歌詞のない音楽を探していてジャズに行き着いた。

ちなみに歌詞のある音楽で聞いていたのはめっぽうBUMP OF CHICKENやボカロであり、斜に構えた暗い学生時代を送っていたことが分かる。

なんとなく家に置いてあるマイルス・デイヴィスのCDを皮切りにジャズの世界にのめり込んでいった。

様々な曲に出逢ってきたが、個人的に一番好きなジャズプレイヤーはビル・エヴァンスである。なんだかんだ彼のピアノが一番落ち着く。

そんなビル・エヴァンスだが実は祖父も一番好きだったらしい。家にバカでかいオーディオと部屋を埋め尽くす程レコードを蒐集していた祖父と行き着く先は一緒なのは、何か運命のようなものを感じる。

しかも生前の、「俺の葬式では念仏唱えなくていいから、ジャズ流しといてくれ」という希望により、本当に葬儀会場でビル・エヴァンスとギタリストのジム・ホールによるアルバム「Undercurrent」を延々と流していた。なんともまあハードボイルドなジジイである。

Bill Evans and Jim Hall “Undercurrent”

記憶を辿ると確かに葬儀会館でうっすらと音楽が流れていた(気がする)。私も自分の葬儀用のプレイリストを作り始めておこうかな。

他にも服の話であったり、好きなマンガのジャンル等、祖父と私はものすごく似ている。

今言っても仕方がないことだとは思うが、祖父ともっと話がしたかった。

中学高校で30cm程身長が伸びたこと、一浪したがなんとか大学に入学できたこと、成人式でじいちゃんのスーツを仕立て直して着たこと等、積もる話はたくさんある。

またいずれ会える日があったら酒でも一緒に飲んでグダグダしゃべりたい。もちろん爆音でビル・エヴァンスのレコードを流しながら。

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