【戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)】⑤武田勝頼

列伝其の五『武田勝頼』

(1582年)我が判断は間違いであった。なにが御親類衆であるか!今まさにその御親類衆の小山田信茂が裏切り我を攻めて来るではないか!
真田昌幸の言に従うべきであった。が、それは今更せんなきことよ。悔いたとてなんの慰みにもならん。
織田方の追ってから更に逃れて田野(天目山とも)にたどり着いた。我はここに甲斐武田家が終焉することを自然の理の如く理解した。ここに至り、勝利はない。如何に戦い如何に死するか、それだけよ。
そうこうしている間に織田・徳川の雑兵が迫り来るわい。
「信勝!思うがままに戦え!武田の名に恥じぬ武者ぶりをこの父に見せよ!」
我が子、信勝はよく戦った。しかし、多勢に無勢であった。我が眼前で信勝は討ちとられていった。
我が命、最早これまで!この身果てるまで目の前の雑兵、相手せよ!

『武田勝頼』討死