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あたたかい言葉と支援に感謝して

先日のnoteを公開して以来、多くの反響とご支援をいただいた。

「負担にならなければ」と外出に誘ってくれたり、食べやすいものを送ってくれたり。友達からの励ましは、純度100%の元気をくれた。

仕事関係の方からも温かいお声がけをいただいた。Zoomや食事に誘ってもらったり、仕事前にちょっとしたスイーツを食べさせてもらったり。

直接的なサポートはもちろん、「いつも通りに仕事をもらえる」こと自体が回復を後押ししてくれているように思う。わずか3週間ほどでここまで浮き上がれるとは思わなかった。しっかりと恩に報いたい。

そんなわけで今日は近況報告の続き。

波はあるものの、回復傾向です

前回近況を報告したときは、どん底に近い精神状態だった。

抑うつ状態になると、どんな刺激も受け付けられなくなる。光も、音も、味も、すべてを遮断したくなる。

いつもならば浮かれてしまうような春の陽気も、「動き出してへんのはお前だけ」と責められているようでつらかった。気温や音が落ち着いてくる夜になって、やっとこさ動き出せるような感じだった。

残念ながら、今も100%元気になったわけではない。日によっては夕方ごろまで調子が出ないこともある。

けれども、あえて回復を急ぐことをせず、「今日は16時起床ですか、全盛期に比べれば随分早いですなあ」などと思うようにしてみた。

するとプレッシャーが減ったのか、かえって活動しやすくなった。といってもここで調子に乗るとぶり返すかもしれないので、4月いっぱいはスローペースでやっていこうと決めている。

回復に向けて講じた工夫

先日、こんなポストが話題になっていたけれど。

すぐにセルフネグレクトに陥る身としては他人事ではない。とくに食事については、元気なときでも困っているくらいなので、なんとかする必要があった。

そこで頼ったのがBASE BREADだった。この1年は2拠点生活だったこともあって(受け取りが面倒で)ストップしていたのだが、やはりBASE BREADはいい。

栄養がしっかり入っているので安心感があるし、調理の必要もない。プレーンを選べば余計な味もしないので、元気がなくても淡々と咀嚼でき、たいへん助かっている。

食事はこれで解決として、次に対処すべきは運動不足だ。先日のnoteでも書いたとおり、人間は充電式ではないので、「動かなければ100%元気」という仕様ではない。首・肩・腰が順番にやられ、休んでいるのに体を壊してしまう。

それを防ぐためには適度に動かなければならないのだけれど、日中は日差しが気になるし、夜は安全面に不安がある(実際に先日、被害に遭ってしまった)。以前の趣味だったウォーキングは、まだ復活させられそうになかった。

そこで、歯を食いしばって久々にジムへ行った。パーソナルで追い込む気にはなれなかったので、いつものメニューを、負荷を下げながらマイペースに。

ありふれた話だが、いざ動いてみると存外気持ちがよく、30〜40分ほどトレーニングできた。何せ期待値がゼロだから、回数が下がろうと気にならない。1回でも動けばプラスなのだ。

副次的な発見として、そろそろパーソナルトレーニングは卒業してもいいのかもしれない、という気がした。

かれこれ3年ほどジムに通い続けているので、器具の使い方もだいたい分かっている。「◯月までに」のような目標もないから、いつも通りのメニューを、気が向いたタイミングでこなせば充分に健康は維持できる。お金の節約にもなる。

どうせ費用をかけるなら、流行りのマシンピラティスに行ってみるとか、スーパー銭湯に通うとか、そっちに投資するのも良いかも。距離をとってみると、意外な発見につながるものだ。

やっぱり仕事は好きだ

仕事のうえでも発見があった。やっぱり、仕事は好きだということだ。

私生活では調子の出ない日々を送っていても、いざ現場に出てみると力がみなぎる。

たとえばカメラマンの仕事であれば、「目の前の人を、いちばん魅力的に撮りたい」という気持ち。

インタビュワーの仕事であれば、「もしかしたらご自身でも意識したことのない魅力を、しっかりと伝えたい」という気持ち。

それらに向き合っていると、憂鬱が入り込む隙がなくなっていく。「わ!いい写真!」と喜んでいただけるなら、現場中を歩き回って、何時間でもカメラを構えていられるのだ。

対チームの仕事でも同じだ。最近ではAI活用+業務自動化系の仕事に取り組んでいるが、いざ要件定義を始めてみると、各業務についての背景知識がかなり深く求められることに気付く。

うぬぼれるわけではないが、業務委託とはいえ6年も同じチームに関わらせてもらっていると、いろいろとアタリがつけやすくなる。

「この業務はかつてこういう失敗をして……」とか、「あのへんにドキュメントがあったような……」とか。

こうした記憶を得られたのは、山あり谷ありのなかでも仕事を続けてきたからで、「居場所がない」と思い詰めるのはやめようと思えた。今はまだ試行錯誤の段階だが、チームに貢献するためにも、早く成功例を出していきたい。

前に進み続けるしかない

こうして少しずつ回復するなかで、いくつか新しいチャレンジもした。

研究面では、いよいよ本格的に研究会が立ち上がり、初回の内容がfixするとともに、各種ニューズレターへの配信も依頼できた。

昨日の夜に1通目が配信されたのだが、すでに期待以上の反響があり、この分野への関心の高さを実感できた。ご発表をお引き受けくださった先生方のためにも、良き会になるよう努めたい。

仕事面では、まだオープンにはできないが、いくつか新たなチャンスを得られそうだ。うち1つはかなり大きなチャレンジになる。ぜひ実現したいし、発表できるのが楽しみだ。

京都の家は解約した

ちなみに、京都の家は5月末で解約した。

先日のnoteでも書いたとおり、京都の拠点には金勘定では割り切れない気持ちが込められていた。ひとことで言えば、モラトリアムの象徴のようなものだった。

22歳まではあまり移動の自由がなく、大学生なのにろくに旅行もしたことがなかった。大学院へ進み、弟と同居することを条件に親元を離れることができたのだ。

「もう実家に帰らなくてもいい」と噛み締めながら眺めた鴨川の景色を、生涯忘れることはないだろう。そのくらい、思い出深い土地だった。

京都ではいろいろなことをした。夜中に神社で語り合ったり、学園祭で怪しいパーティに招かれたり、ブックオフに通ったり、ネットで知り合った見ず知らずの人たちと鴨川で遊んだり。

何ひとつ持たない貧乏学生だったけれども、ぐずぐずでも、何も持っていなくても、この街ならなんとか生きていける、誰かが助けてくれる。そんな安心感があった。

去年の春に家を借りたのは、もちろん博士論文に集中するためだった。けれどもその根底には、この優しさに再び包まれたい、という甘えもあった。

いざ帰ってみると、その優しさは確かにあった。夜中まで飲んでも歩いて帰って来られるし、祇園祭ではダラダラ日本酒を飲んだ。鴨川デルタで花火すらした。

それでも、決してあの頃と同じではなかった。知らない人とは安易にネットで出会わないし、そもそも夜中まで飲んだりしない。祇園祭からはタクシーで帰る。花火の片付けもその日のうちにする。

京都は優しかった。何も変わらなかった。私だけが大人になっていた。

「大人になりたくない」なんて、32歳が言うことじゃない。大人になったら自由が失われるなんて、それは間違いだ。

分かっていても、思い出からはどうしても心が離れなかった。くだらない話を、なんでもない景色を分かち合いながら、「やってやろうぜ、『何を』かは知らんけど」みたいに言っていたかった。

去年という1年は、自分が変わってしまったことを受け入れるための期間だったのかもしれない。

休日に羽目を外しても、何食わぬ顔で打ち合わせに出られるようになったこと。

そんな自分を、「やってるやん」と認められるようになったこと。

大学近くの小さなアパートで、私はついに30代と向き合えたのだろう。だからもう必要ない。時が経ち、もしも縁が巡ってきたら、また新たな形で関われることを今は祈っている。

どん底こそ変われるタイミングと信じて

寝たきりの日には、布団の中でいろいろなことを考える。

「もしも働けなくなったら、どうやって生きていこう」
「いま、自分が感じている不安はどこから来ているのだろうか」
「お金、居場所、キャリア、自分が『つらい』と感じるのはどんなときなのだろう」

どれも、いずれは向き合うべき問いだったのだろう。心身が思うように動かないのはつらいが、長い目で見れば必要な休みだったのかもしれない。

眠って、休んで。飽きるくらい休憩したら、ゆっくりと動き出そうと思う。ひとまず4月は、生き延びることだけを目標にして。

とっても嬉しいです。サン宝石で豪遊します。