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焼きそば弁当日記

10月16日(日)

今日は渋谷で開催されている雑貨やファッションのフリーマーケットのようなものに行こうと思っていた。

しかし昨日の夜からひどくお腹が痛む。薬を飲んでも効きはいまいちだし、痛みの波が来るたびに指先までわずかに痺れる感覚があり、楽しみにしていたウォーキングデッドの視聴もままならないほどだった。

翌朝にもうっすらと体調不良の気が残っていたからか、わたしは予定していた時間より2時間遅く起きた。それでも、なんとか今日は出かけようと化粧も髪の毛のアイロンも済ませたけれど、立ち上がるとまたお腹が痛む気がしたので、テレビを見ながら決断を先送りにすることにした。

15時になった。今からでも頑張れば出かけられるのではないかと思い、ついに部屋着を脱いだ。
オシャレをして、電車に乗って移動して、日曜日の混雑した渋谷駅に行く、そんな普通のことでも今日は現実に実行するのがしんどい、という決断が下った。


全部あきらめてカップ焼きそばを食べることにした。

15時過ぎだったので、こんなタイミングで焼きそばを食べてしまったら、夕ごはんが食べられなくなるかもしれない。そう思ったが、腹が減った瞬間に素直になることにした。こんなに堕落してるくせに夕食の時間を守るのもおかしい気がする。微妙な時間に焼きそば弁当を食べても良いし、別に、これからありえない時間に夕飯を食べたって良いのだ。

札幌に行った時にセイコーマートで買った、焼きそば弁当のスープカレー味。焼きそば弁当には粉末スープがついているので、それも飲もう。

パッケージのつなぎ目のところに爪を立てて、ペリペリと剥がしてゆく。
続いて、カップの蓋も半分だけ剥がし、液体ソース、粉末ソース、スープの素とふりかけの小袋を取り出した。かやくは無いタイプのようだ。
ケトルで湯を沸かして、たぶんこれだろうと思うあいまいな「内側の線」まで熱湯を注ぐ。湯を注いでからスマートフォンを見つけるまでに15秒はかかったが、タイマーは3分にセットした。

シンクをベコッと鳴らすのがカップ麺づくりの醍醐味ではないかと勝手な幻想を抱いているのだが、本当はそれが良くないことを知っている。真面目なわたしは、水道水を流しつつ、湯切りの穴を排水口に向けて、静かに湯を流した。派手に湯気がのぼったが、ベコッとはならなかった。

蓋と、粉末ソースの袋はプラごみの方に入れて、油でぐちゃぐちゃしている液体ソースの袋は燃えるごみの方に捨てると、完成した焼きそばとスープを机の上に運んだ。

わたしは先ほど着替えようとして諦めた時の格好のままだったので、上半身はキャミソール、下は防寒用の毛糸のパンツ(しかもお腹のところにカイロを貼っている)、といったなんとも間抜けな状態で、スープカレー味の焼きそばをすすった。

なにかの漫画かドラマだったか、女はわたしと同じような格好をしていて、男も同じく、タンクトップとパンツといった下着姿、といったふたりが小さなちゃぶ台を囲み、「貧乏な大学生カップルみたいだね」と言ってご飯を食べる場面を思い出した。
どこが貧乏な大学生みたいだったのか。わたしには上手く想像できなかったのに、なぜかちょっとわかる気もした。

わたしにしては珍しく、焼きそば弁当をあっという間にたいらげた。カップ麺を食べるのはものすごく久しぶりだった。焼きそば弁当スープカレー味は、カレーの味はしたけれど、スープカレー味なのかはわからなかった。

その後は、ふたたびお湯を沸かし、その間に部屋着の長ズボンを履き、お茶を淹れて、最近買った本を読み始めた。レースカーテンの向こうに、夕方のファンシーな色合いの空と雲が壁紙みたいに見えた。

わずかな痛みと満腹感が同居する腹をさすりがら、静かにお茶を飲んだ。