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『Blood of HIVAGON』 第3話


親父と何度も訓練した首相ご夫婦の救出作戦は下記の通りだ。

ナツが約一分間通信障害を起こし、首相ご夫妻の部屋にある監視カメラの映像を乱す。その間に親父と俺は窓から部屋に忍び込み、親父が首相の奥さんを抱えて窓からロープで滑り降りる。通信障害復帰後、部屋の中では本物の首相と奥さんに化けた俺が談笑している姿をカメラに映し、犯人たちを油断させる。

しばらく後、もう一度ナツに通信障害を起こさせ、今度は俺が首相を抱えて窓から滑り降りる。首相と奥様を俺たちが乗ってきたバンの運転手に任せて俺と親父は部屋に戻る。そして首相たちがヘリに乗ったことを確認後、俺たちが犯人たちを確保するという手順だ。

ホテルの麓に着くと、親父が空を見上げ、ピュッっと短く指笛を吹いた。
すると森の中から一匹の鷹が飛び出し上空を大きく旋回し始めた。しばらく旋回した後、鷹はピューっと甲高い声で鳴き、バタバタと降下して屋上の手摺にとまった。

「大丈夫みたいだな」
そう呟くと、背中にロープを入れたリュックを担いだ親父が素手でホテルの側面の壁を凄い勢いでよじ登って行く。
(すんげぇ親父。俺より運動神経いいんじゃね?)
俺は大きな木の陰に隠れてその時を待った。

屋上に着いた親父が手摺にロープを固定し、俺の元に金具のついたロープのもう片方の先端を投げてきた。ロープは透明で中にワイヤーの入った特別製のものだ。俺はそのロープを足元の太い木の幹に巻き付け固定してから、ホテルの側面の壁をヨチヨチと登り屋上へと到達した。

「いくぞ」
俺と親父は擬態を完成させ、まず親父が屋上から首相の部屋の窓の下にある幅15センチ程の出っ張りに音もなく飛び降りた。続いて俺もその隣にふわりと降り立つ。そして目の前の部屋の窓を親父が指先で軽く叩くと、気付いた首相が静かに窓を開けて目を見張った。

「首相、奥様、ご無事でしたか。救出に参りました。こちらは息子です」
「おお、田中君。待ってたぞ。相変わらず見事な擬態だ。二人とも入りたまえ」
奥様も驚いて俺に声をかけてくる。
「本当に私にそっくり。でも私より少し若いわ。皺が少ない」
「3年前のイギリス訪問時の映像で擬態の練習をしましたので……」
「この3年間で私、けっこう皺が増えたのね。帰ってお手入れしなくちゃ」
俺の言葉に奥様は敏感に反応し、指で目元の皺を伸ばし始めた。ふと横を見ると親父が横目で俺を睨んでいる。
(え?今のは俺が悪いの?女の人って難しい……)

親父が小さく咳ばらいをした。
「奥様、時間がございませんので、失礼」
そう言って親父は突然奥さんを片手で抱き抱え、窓枠に足をかけた。そして腰に付けた命綱付きのフックを取り外して窓の外のロープに装着し、窓から大きく身を乗り出した。
そして、叫び声を上げそうになる奥様の顔をぎゅっと自分の胸に押し付けて、親父はあっという間に滑り降り地面に着地した。

俺は窓とカーテンを閉めて首相と共にソファに座った。
「おい、二人とも中にいるか?」
その瞬間、犯人たちが部屋に様子を見に来た。危ないところだった。犯人たちは俺達の姿を見て安心したように部屋に戻っていく。

あ、親父にどのタイミングで窓から降りればいいのか聞くの忘れた。合図があるからとは聞いてたけど……。戸惑っていると目の前の壁に砂煙のような映像が映り、ジジジと小さな音を立てた。これが合図か。

「首相、行きますよ」
「うん‥」
なぜか首相は顔を赤らめてモジモジしている。
「なんか妻に抱えられるシチュエーションってドキドキするな」
(え~? この人大丈夫?)
そういえばさっき車の中で映像を見せられた時にも変な声を上げていたし……。
でも迷っている時間はない。俺はフックをロープに引っ掛け、顔を赤らめ首にしがみついた首相を両手で抱えてから勢いよく滑り降りた。

計画通り二人をバンの運転手に任せ、俺と親父は元の部屋に戻った。後はご夫妻を遠くに逃がすための時間稼ぎをした後、犯人たちを確保するのみだ。

親父が素早くロープを回収し、持ってきたリュックに収めようとして首を傾げた。
「あれ、ナツに頼まれたマキビシがない。俺持ってくるの忘れたかな?」

その時廊下から犯人たちの声が聞こえた。
「俺達の靴が全員分無くなっているんだが、どうしたんだろう?」
「おい、お前たちの部屋に靴がないか?」
口々に騒ぎながら犯人たちが裸足で俺達の部屋に乗り込んできた。
「私は知らないが、あの犬じゃないのかね」
親父の指さす方向を見るとドアの隙間から靴を咥えた小型犬がそろりそろりと歩いているのが見えた。

「あ、あいつだ」
「あの犬を追え」
犯人たちは階段を軽やかに降りていく犬を追っていたが、何故かみんな突然悲鳴をあげ、まるでコントのように転倒して階段を転げ落ちていく。
「ぎゃ、何だこれは?」
「いてて」

鍵が空いたままになっているので廊下に出てみると、犯人たちが階段の下で重なって倒れて気絶している。見ると彼らの足の裏にマキビシが幾つも刺さっている。

「わぁ~痛そう」
犯人たちに少しだけ同情していると、さっきの犬が得意げな顔をして犯人たちの体を踏みつけながら戻って来て、親父の足元に駆け寄り尻尾を振った。

その時背後から凄まじい殺気を感じた。ゆっくりと後ろを振り向くと、十メートル程離れた所にあの外国人の男がいた。怒りに顔をゆがめ、手に銃ではなくボールを持って立っている。

(ん?なぜボール)

戸惑っていると、男はボールを廊下の遠くに思いっきり投げた。
犬が本能的に追いかけて行ってしまう。
男は鼻でせせら笑った。
「所詮は犬畜生、本能には勝てないのさ。ちなみに俺は猫派だ」

その言葉を聞いて犬がボールを咥えたままゆらりと振り返った。そしてちょこちょこと戻ってきて男の前で座り込み顔を洗う仕草をした。
「ほう、猫みたいで可愛いじゃないか」
そう呟いた瞬間、男は地面に這いつくばって立てなくなった。上から重い石でおし潰されているような苦しそうな表情をしている。
「さっきのでナツ、キレてたからな~」
そう呟きながら親父がやってきて、男の元に跪き、手足に手錠をかけた。

犯人たち全員を拘束後、親父は携帯電話でどこかに電話していたが、しばらくして通話を終えこちらに戻ってきた。
「ねえ、親父。今回俺擬態の必要あった?」
「ん?」
親父は笑いながら俺の顔を見た。
「今回はナツが頑張ってくれたからな。新米のお前を心配してくれたんだろうよ。あとでちゃんと挨拶しとけよ。それと首相ご夫妻はもうヘリに乗られたそうだ」

終わったんだ……。俺はほっとした。前方にナツの後ろ姿が見える。俺は走って側に行き後ろから声をかけた。
「ナツ、俺、龍男。はじめまして。よろしくね」
俺の声にナツはくるりと振り返り頭を傾げて見つめてきた。すごく可愛いジャックラッセルテリアだ。

そう思った瞬間、俺は地面に引っ張られるように、へばりついてしまった。
凄い重力だ。土下座の状態から腕に力を入れて顔を上げると、親父がナツを抱き上げて爆笑している。

「新入りのお前に呼び捨てにされたのが気に入らないんだとさ。『ナツ先輩』だろ?」
「す、すみませんでした。ナツ先輩」

息絶え絶えに謝ると、ふっと体が軽くなった。親父の腕から降りたナツ先輩が近づいてくる。茶色くてつぶらな瞳が凄く可愛い。ナツ先輩は俺の膝に飛び乗って、ペロペロと顔を舐めてくる。

「ナツ先輩ありがとうございます。可愛いですね」
頭を撫でるとナツ先輩は調子に乗って俺の鼻の穴に舌をねじ込んできた。俺はのけぞって叫んだ。
「な、ナツ先輩、鼻の穴だけはだめぇ~」

「俺、本当にこっちの高校に行くの?」
帰りの車の中で俺はずっと気になっていた事を親父に聞いた。
「ああ、これから入学手続きをするから一週間後位になるけど‥どうした、嫌なのか?」

嫌じゃない。親父と一緒にいて凄く楽しかった。嬉しかった。でも、俺には昔からずっと心の中にわだかまりがあった。

なぜ親父と俺は離れて暮らしているんだろう?
3歳位までは親父と母さんと3人で東京で暮らしていた記憶がある。でもある日から突然広島のじいちゃんの家で暮らす事になり、親父だけが一人東京に残った。そして母さんは月の半分は東京、半分は広島という変則的な生活を送っている。

じいちゃんとばあちゃんはとても優しくしてくれるからそこまで寂しくはなかったけど、俺は親に必要とされていないのではないかという不安と怒りのようなものが胸の中にずっとあった。

「嫌じゃないけど、今まで離れて暮らしていたのに、なんで今さら‥」

「じいちゃんから何も聞いてないのか?」
「えっ?」
親父は俺の様子を見てコイツは何も知らないのだと判断したらしい。

「お前の力のせいだ」
「えっ‥力って?」
「お前が3歳になった頃、擬態の能力が発現した。幼い頃のお前は力を使いこなせず、時と場所を選ばず突然擬態するようになった。それに‥」
親父は言いかけて途中で口を噤んだ。

「そんな事が‥」
俺が衝撃のあまり言葉を失っていると、親父が俺の顔を見て涙ぐんだ。
「俺はずっとお前と暮らしたかった。でもお前が安心して暮らすには広島のあの学校に行くのが一番良いとじいちゃんと相談して決めた。寂しい思いをさせてすまなかったな」
「そんな」
嬉しい反面、今度はじいちゃん達の事が気になった。
「じいちゃん達は俺が東京の高校に行くの、反対してないの?」
「反対してたに決まってるだろ」
「え?」
「本当は中学から東京にくる約束だったんだ。なのにあのジジイ、お前がどうしても広島に残りたいと泣いてるって騙しやがって」
「そんなことが‥」
「今回もまた同じようにごねるから、俺もちょっと強引な手を使ったって訳だ。俺だってお前と一緒に暮らしたいし、今のお前なら力の制御は完全に出来る」

親父は俺の肩に手を回し、顔を覗き込んで来た。
「お前の気持ちが一番大事だよな。お前はどうしたい?」
「俺は‥」

















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