Nのために 湊かなえ
「何言ってるの? 野口さんを殺したのは奈央子さん。奈央子さんは自殺じゃない。なんで嘘をつかなきゃいけないの」
「奈央子を人殺しにしたくない」
「だからって、西崎さんが罪をかぶることないでしょ」
「俺はかつて、ある人を見殺しにした。この世で一番愛され、愛している唯一無二の人だと思っていた。その人の愛を永遠にするために見殺しにした。ーそう自分に暗示をかけるため、愛などなかったその人との世界に、愛があったことにしようとした」
「でも、その人と奈央子さんは関係ないんでしょ」
「罪を償って、解放されたいんだ。まちがった愛から……。奈央子が野口を殺したのは、愛していたからだ」
「精神的に弱ってたから、そんなふうに思い込んでいただけかもしれないじゃない」
「それでも、殺人の動機は愛だ。人の命を奪うという行為に対する理由が、愛なんて尊い言葉であっちゃいけない。俺が犯人なら、動機は復讐になる」
ドアの横の壁に設置された電話が鳴った。フロントから。出張サービスが来たという。
「キャンセルだ」
受話器を置いた。
「杉下は何も見ていないことにしろ。ずっと奥の書斎にいて、野口だけが出て行ったことにすればいい。すべて終わったあとに、おまえは出てきたんだ。だから、今、ドアにチェーンがかかっていることも知らない」
「そんな嘘、つきとおせる自信ない」
「おまえの究極の愛は、罪の共有なんだろ。野原のじいさんが言うには、俺たちは似たもの同士らしい。愛はないかもしれんが、罪を共有してくれ」
再び電話が鳴った。
「王子様が助けてくれる。今度は、杉下が出ろ」
俺は受話器を杉下に差し出した。
pp.314-315
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