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小学校低学年の話

さて、前回の記事では、幼稚園までの話をさせていただきましたが、
今回は、小学校での話をさせていただきます。

小学校への進学は特に躓くこともなく、地元の小学校へ入学しました。

入学式の日に、担任の先生には心臓が悪いこと、運動制限があること、無理できないことなどは簡単に話して帰りました。

とりあえず、この程度先に言っておけば、状況としては問題ないくらいには元気でした。

その後、学校管理表を書くという段階では、主治医は「E禁」という判断をしました。
無理しなければ、基本的に持久走以外はやっていいよという判断です。
特に私は、チアノーゼが出るタイプなので、チアノーゼ出たらどうせ動けなくなるし・・・っていう判断もあったんだと思います。

先生も基本的には、その指示に従うので、体育はなんでもやって、運動会も基本的にはなんでもやってました。

体育の見学は低学年の頃はほとんどした記憶はありませんが、プールだけはやはり先生も心配ということで、母親の見学が原則となりました。
まぁ、その見学も慣れた頃には解除したんですけどねwww

小1の時の担任はかなり良い先生だったので、担任に恵まれてたということもあると思います。(現在は、女性ですが校長先生になりました。)

足が遅いとかそういうハンデはあったけど、それなりにみんなとほとんど変わらない生活をしていたのですが、小3の時に2つの問題が浮上しました。

1つ目は、4月の最初の体育で、先生が私のことをほとんど理解してなかったことです。
一応、クラス担任同士で引き継ぎは行われてる予定なのですが、おそらく小2の先生が新人の先生だったこともあって、説明が下手だったんですよね(小1の先生は恐らくめちゃくちゃ説明がうまかったので、2年の担任の理解度は申し分なかったんですが・・・)
で、小3の初めて体育の時、みんなが校庭3周走る中、それを見てようとすると、
「1周くらい走れないのか」と聞かれたので、校庭を1周走るとかそいうのは主治医に禁止されている旨を話したが、走ってみなきゃわからないと意味わからない理論を発動

結局、押し負けてゆっくり走ることに・・・
ただ、これに関しては、クラスの殆どが走れないことを知っていたので、えっ走って大丈夫?というみんなの目がありましたw
いや、大丈夫じゃねぇよ!
結局、めちゃくちゃ息切れて、まぁ、今より体力はあったので、後には響きませんでしたが、連絡帳に書いてもらいことなきを得ました。
そして、引き継ぎする先生の大切さをめちゃくちゃ実感しました・・・

2つ目は校外学習です。
小1〜2年まではみんなの歩くペースもそんなに速くなかったし、電車とかは、みんなが座らしてくれたりしたので、そんなに問題はなかったのですが、
小3の頃から、みんなが話しながらゆっくり歩いて、途中で走るみたいな行動を取り出し、3クラスある中、3組だった私は、全然ついていけなくなり、途中で止まってしまいました。
その時はまだ親の付き添いとかもなかったので、その日はとりあえず担任の先生がカバーしてくれて、なんとかことなきを得ました。
その後は親の付き添いをある程度するようになりましたが、付き添いについては、結構情報が細かいので、また別の記事で書かせていただきます。

低学年のことをまとめると、低学年は比較的体力的にも余裕があり、休むことも幼稚園よりはかなり少なくなり、学校に登校できていたと思います。
通院は、3ヶ月に一回薬は親に取りに行ってもらい、私は春休みや夏休み、冬休みなどの長期休みに検査をしに行っていたので、病院で学校を休むということもありませんでした。
小3の頃から少しずつみんなとの体力差が出てきました。小4以降のことは次回の記事にさせていただきます。

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