汚いちんこがいる世界とは、お別れしていく


セックスに興味を持ちすぎて多くの人と遊んでいた頃は、わたしもちんこが好きだった。男性のことをちんことしか見てなかったし、ツイートでも男性のことを表すときは「ちんぽ」と、かつて活躍していた暇な女子大生というアカウントに準えて偉そうにもずっとそう呼んでいた。

アプリで知り合ってもTwitterで知り合っても、とにかくさっさとヤりたいとしか考えていなくて、出会う人、出会う人を「ちんぽ」としか思っていなかった。男性みたいな脳みそのわたしが、女性という性を活用して思うがままに男性を落として生きるのは、酷く愉快だったと記憶している。


昔、好きだった小説家が書いた作品で、レイプされ続けた女の子がやがて、自分から男性を支配し始めるという結末で締めくくられていたことが印象的で、わたしはずっとそのように、性的には必ず男性を転がすようにならなくてはと必死に生きていたところがあったかなと感じる。どう足掻いても男性には力や社会的地位では叶わないからこそ、知恵をつけなければと思った。


男性を転がしているつもりでも、顔が好きな男には恋などを迂闊にもしてしまうことも稀にあり、それは歳をとるごとに失った時の回復力が非常に弱くなるのを感じて苦しんだ。多くの男性を支配的に置きながらも、わたしも本来、人に愛されたかったんだと、源氏物語の全巻がぶわっと髪の毛が逆立つように心臓を突き刺してきた気がした。

ヤリマンをやらなければ同僚とでも結婚して、田舎に家を買い、子どもを産めばセックスレスに悩みながらも、家計のために管理職を目指しながら働き、どうせ無理をしてどこか身体を壊して、退職金で何とか子どもの大学の費用とローンを払い終え、猫と暮らして体重を肥やしていたかもしれない。だが、わたしは平凡を求めず常に自己選択をし、様々な映画や音楽や文学が、セックスの快楽という儚いものを頼りにしていたときの経験で涙となっていく、そんな人生でよかったと思う。この世の作品を他人事ではなく、多く共感ができる生き方ができて満足である。


この世で一番気持ちいいセックスは、スリルや刹那が隣り合わせのものではない。心から許した相手、心を傾けた相手ということが、悔しいが女はそうなのである。潮は、だばだば吹くタイプなのでわかる。将来を考え、感情の傾いた相手とのセックスが、一番尊いと不覚にも知ってしまい、本当に好きな人とするセックス以上のものがないと身体で覚えてしまった以上、軽薄な関係で致しても虚しいだけになってしまい、次第にセックスも全くしなくなった。

そんな中不運なことに、下半身を露出するタイプの痴漢に遭遇して以来、私は男性器を見ることができなくなる。あれだけ昔は見せられると、喜んで褒めて珍しがっていたちんこを、犯罪という手法で見せつけられると、金縛りのようにその場で震えて何もできなかった自分がいたことに驚いたばかりでなく、今まで支配できていると思っていたのに余りに非力で悔しかった。


もう、極力男性に近づきたくない。


だけれども、いつか子どもが欲しいと考えているから、いつか男性器と向き合わなくてはいけない。本当は、精子バンクに行って体外受精なんかで済ませてしまいたいけれど、今のわたしにはそこまでの手段に出る理由も経済力もない。


かつて、Twitterでたくさん出会ってきた人の中ではひどく勘違いした人がまだ存在する。昔おかずにしていた推しの女優のAVを見つけ出すかのような気軽さで、どれだけ無視をしても蠅のように飛び戻ってきて連絡を寄越してくる。

かつては、それはそれはわたしも貴方のちんこを見て喜んでいたのでしょう。一度送られたくらいの時には、大きいねなどという言葉を、二度と会わない可能性の方が高いとは思いながらも、セックスしたよしみで特別待遇としてあげたこともあったのでしょう。今考えても、どうしてお金ももらっていなかったのに、あんなにリップサービスができたのか理解に苦しんでる。

うっかりブロックしていなかった相手や、アカウントを変えた相手がDMをしてきたり、動画や画像を送ってきたりしても、中身を開けません。怖くて怖くて開けません。通報ボタンを見つけても、それらしい項目がないので見なかったことにして、また連絡が来てしまう。通報するには、画像を選ばなくてはいけないのが本当に嫌で嫌で仕方がなかった。まだ頭にこびりついている。気持ち悪い。

相手も、わたしがまだちんぽを好きだと思っている。自分の性器を好きでいてくれてると思っている。仕方ない、かつてはあれだけちんこを好きだと伝えていたんだから、彼らも悪くない。まだわたしの像を、あの頃のまま成長させていない、高学歴故に自信過剰で都合のいい頭が悪い。


既セクなんて言葉も、その存在も全部消したい。自分の生きる先にちんこが現れてほしくないと思うので、とにかく己が避けるしかないのだ。出会わないように、出会わないように。恋にも落ちないように、好意なんて微塵も持たれないように。


Twitterでは、ちんこと会う以外に、優しい人や憧れている人やとにかくたくさんの友人に恵まれたので、その繋がりや自分がかつて投稿したツイートなど振り返りたくて、今までだらだら続けてしまった。四年くらい、下ネタだけが好きでやってきたけれど、ポジティブさはもう取り戻せそうにない。

インフルエンサーとして、小説や広告なども楽しませてもらったし、noteでも支援してくれる人がたくさんいることを知れて、大変ありがたかった。サインを求められるほどのファンがいる人生とは、誰もがなかなか味わえるものではない。

他のSNSで繋がるほどの仲間も多くいることと、Twitterのおかげで私は転職を考えられた。辛い時期の人生を支えられた。


まだまだ女性が搾取されていく世の中に不満があり、この世界でメンタルをなるべく穏やかに保つには、避けなければいけないことが多い。女性はあまりにも生きづらい。ちんこを今のところ避けて生きるしか、わたしが穏やかに生きられそうな道は、おそらくない。これが正しいのかどうかではなく、現在を生きるためには仕方ない。出家でもしてしまいたくなる。


どうか、ちんこをいつまでも喜んでくれる女がいるなんて幻想だと気づいてほしいというより、そんな風に思う男性は全て死んでほしい。かつてセックスした相手に、死んでほしいと思うようになるなんて哀しいものだが、自分を幸せにしない人間の幸せなど願わず、自分は自分が思う幸せを得ていく。ちんこがなくても、現在が幸せなのだ。

これまで、わたしを応援してくれた人がたくさんいることを知っているし、人に勇気を与えて感謝されることもたくさんあったし、有難い言葉を貰い続けた人生だった。

わたしは仕事で認められる才能がある。下ネタが好きなことはわたしの本質だが、エロとは関係ない形で社会貢献をしていく。エロが時に必要な場合も、決して男性に搾取されない。そんな世の中にもしていきたい。




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