2、不文律

不文律
ルールとしてあえて『明文化しないこと』というのはそこかしこにある。
ルールとして明文化をしないことによって、
痒い所にも手が届く自由な創作場所(クリエイティブ空間・コミュニティ)として機能する。
そういった場は、相手に対する敬意や尊重、好奇心、といった、
倫理観・エチケットやマナーのような、「性善説」により一定の秩序を保つことを前提としている場合が多い。
(「荒らし」でさえ、コミュニティを根本から破壊しようという意図でなく、
気に入らない「人・コンテンツ…という『個』」に対する攻撃であることがほとんど。
コミュニティを壊す意図がほぼないため、
コミュニティ内で許容・処理できる範囲でのブラックジョークやいざこざで抑える力場がなんとなく発生する)

場を荒らしに来る輩はそもそも目的が違う。
「場を壊さない」ということの優先順位は、自身の目的の下位に置かれる。
その目的は様々あるだろうが、
①金銭目的
②承認欲求目的・自己顕示欲目的(マウンティング)
③独善・正義による布教(破壊衝動)

上記に属する輩は、どれだけ説得を試みても伝わりはしない。
①はルールを盾に、あえてルール化されていない部分を狙ってくる故ほぼ無駄。
②は人を尊重することよりも、自身の欲求を満たす目的が上回るため無駄。
「承認欲求を満たすこと」「自身の主張を通すこと」「自身の優位性を示すこと」等が全てなので、それを阻害するような「他」を顧みたりしない。
承認欲求を目的としている場合、同様の主張をする輩が現れると勢いづく傾向。
自己顕示欲を目的としている場合、同様の主張をする輩が現れるとマウンティング合戦が行われる傾向。

③はそもそもの捉え方が歪。
程度差はあるが、極端に悪化したケースだと…
(そういった人種は)揺らがない「絶対的な正義(価値)」が自身が属する側にあると確信している節がある。
(そういった人種から見た場合の)「悪」は「絶対的」なモノであり、排除するべきモノと捉えている節がある。
プロトコルが違うため、コミュニケーションを取ることが非常に難しい。会話さえおぼつかなくなる。(プロトコルを相手をみて変更することが極めて稀)
愚行権]とかそういった考え方とも相容れない。
(コミュニティに関わってこようとする根幹が、独自の価値観・思想でもって、コミュニティの「洗脳・破壊・存在意義の否定」を目的においている場合すらある。
「愛国無罪」ならぬ、「正義無罪」の思想の元に…。)


ルール
こういったことを防ぐために、ルール策定・明文化を余儀なくされる。
「性善説」によって保たれていたコミュニティの秩序は、基本的に、一度決壊した後には、
秩序を保つための機能としての効力を失う。
ルールとして明文化をしないことによって保たれていた、痒い所に手が届く創作場所(クリエイティブ空間・コミュニティ)は、
ルールとして明文化することによって何をするにもコスト・手間がかかる不自由な創作場所へと変貌していく。

引用
[愚行権 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9A%E8%A1%8C%E6%A8%A9#:~:text=%E6%84%9A%E8%A1%8C%E6%A8%A9%EF%BC%88%E3%81%90%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%91%E3%82%93,%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82)]


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