世紀の大発見
皆さん聞いてください、世紀の大発見をしちゃいました。
とあるデータ一見関係ないようなデータに相関があることを発見しました。
これはここだけの話ですが、なんとなんと「かき氷の売り上げが良い日ほど、溺死者が多くなっている。」という驚愕の事実を発見してしまいました!!
つまり、かき氷には何らかの薬物成分が含まれており、かき氷の規制をすれば水難による悲惨な事故を防ぐことが出来るのです!!これは世紀の大発見です!!
……とはなりませんよね。
私たちは「年間のかき氷の売り上げ推移」と「年間水難事故の発生件数の推移」のデータに関して「季節」というクッションを挟む事が出来ます。
それは何故か、
私たちは人間であるからです。
さて、今回のテーマは「AI時代に人が活躍する為には」です。
(唐突)
体系的かつ分散的な世界
今回の事象に対して私たちの頭の中では
かき氷の売り上げの推移=気温変動
水難事故の発生件数推移=気温変動、であるならば
かき氷の売り上げ推移=水難事故の発生件数推移
というプロセスが踏まれたのではないでしょうか?
この思考の変換はきわめて基本的な思考ですが「気温変動」という言葉が出てくるのはなかなか複雑な課程が含まれている、と私は感じます。
かき氷の性質
・冷たい
・氷と砂糖で出来ている
水難事故
・被害者の半数が60歳以上
・海や山で多く起こっている
……などそのものの表面的な情報だけでは「夏に増加する」という因果関係に結びつけることが数値から結びつけにくいのです。
しかし、私たちは暑い夏に冷たいかき氷を食べたくなる気持ちも、夏に海水浴に生きたくなる気持ちも分かりますし、「ビーチバレー」「スイカ割り」「パラソル」「焼きそば」「かき氷」に共通する関連語に真っ先に「夏」と答える思考回路も持っています。
それらは無意識、無自覚の内にこのような考え方になっていますが、これは私たちの長年の定性的な経験の賜物に他ならないのです。
気温も湿度も高く、じめじめとした質量のある空気
刺すような日差しと、耳に響く蝉の声
張り付く制服とべたつくスマートフォン
浜辺の焼けるような熱さ、海水の冷たさ
氷を削る音、焦げたソースの匂い
、今の季節は冬、こたつでぬくぬくしているのにも関わらず「夏」という感覚を覚えてはいませんか?
私たちは四半世紀にも満たない経験の中でこれほどまでに深く、かつ繊細な多数の要素が絡まった「夏」の性質を理解しているのです。
故にかき氷と水難事故の関連性を裏にある夏という要素により結びつけることが出来ます。
私たちは生まれてからずっと直感的に体系的かつ分散的な世界を理解し続けてきたのです。
人間の特徴
「人間」についての定義は遙か昔より考えられ続け、そして今なお考え続けられています。
人間の特徴の説明のしかたはいくつかありますが、言葉が使え 言葉でコミュニケーションをすること、文化を持つこと、そしてそれを仲間や子に伝えること、道具を使い道具を作ること、などが挙げられます。
特に、私は言語を現在ある様な状態で使用し、自分の心の中で言語を用いて考え、以て互いの意思疎通を図ることに人間らしさが最もあるのではないかと思われます。
人間は文字や言語を抽象的なものとして扱ったり、それを用いて論理思考を行い、多様な事象に様々な解釈を行う事が可能です。
先ほどの「夏」であっても気温・湿度の定量的な情報から「夏」の経験に基づく味覚・触覚てきな定性的な情報、さらには「夏」という概念に対しての刹那的な、儚いという抽象度のある感覚まで全て言葉によって表現し理解することが出来ます。
私は人間の最たる特徴として「人間は、知識を言葉で表すだけでなく、自らの精神や心にも注意を向けそれらを言葉で表し、他者と抽象的な物事を交換することが可能である。」という点を挙げます。
これはどれだけAIの学習が進もうと人間の感性と表現が進み続ける限り言語においてのつながりは不干渉だと思います。
そう、「進み続ける限り」です。
AIの成長速度
現在AIの学習の範囲は大きく広がり、最近では言語作成の分野にまでそのはには広がっています。
スマートフォンを持ち、話しかけてみてください。「Hey,Siri」「Ok, google」
スマートフォンにインストールされているコンシェルジュAIは私たちの呼びかけに反応し、音声をテキスト化し、文脈を理解し、さらには対応をテキスト化し、返事までしてきます。
会話できるAIはすでに実現しており、テキスト表現により意思疎通が可能担っているのです。2045年を待たずに【シンギュラリティー】はそこまで迫っています。
ここで一つのプレゼンテーションを紹介したいと思います。
オーストラリアの定性リサーチャーSue Bell氏が、昨年8月に「A qual perspective on AI, automation and agile market research:定性調査から見たAI、オートメーション、アジャイルリサーチ」というプレゼンテーションを公開しました。
ざっくりとした内容は「AIが定性調査に及ぼす影響、AIによって定性調査は良い影響を及ぼすのか、悪い影響を及ぼすのかについて」です。
プレゼンテーションの中で発言されていたトピックスをここにピックアップすると
ビッグデータの分析における定性情報収集は、比較的構造化された、フォーマルで、書き言葉で、短い文章(ツイッター等)の分析が中心になります。一方で、グループインタビュー/デプスインタビューの分析(定性調査)で分析される言葉は、それとはまったく異なります。それは会話(口語調)であり、定型化されていない文章です。人は会話をする際、言葉を多々省略したり、話す順番が無茶苦茶だったり、複雑だったりと全く、構造化されていない文章を話します。
「私のクリスマスの役割はATMよ」「サングラス?私は、そうね・・・正直に言うと、私の目に斜視が入りだしてからかけ始めたの。おっと、そう考えると、今、モノがはっきり見えないわね。今、サングラスをしたほうがよさそう。ちょっとまってね・・・よく考えるとサングラスは常にかけるようなものでもないわね・・・
このような文章を機械学習するのは非常に難しいようです。また機械学習には莫大なデータの量が必要になります。ビッグデータを学習させるのはこれが可能になりますが、グループインタビュー/デプスインタビューの個人のクセのある、かつ分量が限られた発言を学習して何か有益な情報得ることには限界があると言わざるをえません。
つまり口頭における婉曲的表現やブラックジョーク、新語、また会話の間などが含まれる対話などを取り扱うことはAIにとってコストと学習成果が見合わない、苦手分野である可能性が示唆されています。
一方でグーグルスカラーなど、すでにテキスト化され文章の構成が教科書通りの物の検索や内容要約など、「まっとうな文章」の取り扱いに対してはすでに人間よりもAIの方が優れているのも事実です。
「対話」の分野に関して言えば感受性のある人間が優位、「文章」の分野に対してはAIに軍配が上がる現状。
私たちはどのようにして生き抜けば良いのでしょうか。
無知は罪なり
無知は罪なり 知は空虚なり 英知持つもの英雄なり
古代哲学者のソクラテスが残した今なお響く言葉です。
簡単に訳すと「無知はダメ、知識だけでも中身がない、知識を持ち行動を起こす人物こそが優れている。」
知識だけでも、中身がない
まさにAIの本質を表しているように聞こえます。
ソクラテスの没年、いつかご存じですか?紀元前399年ですよ。
私たちは知識を蓄え、言葉を用いて行動を起こせば良いのです。
いいえ、起こし続ければいい、ですね。
人が学習し続ける限り、AIも学習し続けるのですから。
知識を得て、行動を起こし、学習し、また新たな知識を得る。
得た知識を交換し合い、抽象的な問いに対して向かい続ける。
これが出来るのは人間の強みです。
感覚的、抽象的なまとまりのない文章を書いている私も、それを理解しようとしているあなたも、実に人間的ではありませんか。
今の私はこう、思います。得た知識を自ら積極的に変革する努力を行うことで唯一無二の感性で有り続ける必要が人として生きるために重要なのではないか、と。
「未来なんて たった今の積み重ね」
昨日までの全ての自分が今の自分であり、今日までの全ての自分が明日の私です。
さて、今月のテーマ、「AI時代で人が活躍するためには」、この問いに対して明確な答えは必要であるのでしょうか。
私は、1つの答えを作らなくていいと思います。
なぜならば私たちは思考する生物であり、思考“し続ける”生物であるから。
思考し続ける限り、私たちのアイデンティティーは揺るがないでしょう。