基礎

わからないと思うと、
後回しにするクセがある。

わからない単語は辞書を引かずに
なんだろなあで済ませてきた。
わからないところは付箋を貼り、
そのまま放置してしまう。

答えが偶然手に入った瞬間が楽しかった
という記憶が
わしの生まれ持っていた人格と
仲良く手を繋いだ結果だ。

わからないをわからないままにしてきたツケが
回ってきたんだなって思うことが増えた。

今まで何をしていたんだろう。

自分の中を見渡すと、
ボコボコに積み上がった基礎が
ぽつりぽつり。

そんなふうにみえた。

無様だな。
はぁー。
こんな殺風景な基礎はなかなかない。

品評会にだしたら、
きっとこんな酷評が飛び交うだろう。

なんで積み上げてこなかったのか

ただの甘えだったのか。

ぐるぐるとへこむネガティブのループが
楽しそうにまわる。

人の不幸が甘く感じるように、
自分の不幸は悲劇的で楽だ。

前を向いて歩くより
下を向いて止まっていた方が疲れないし、
未来に向かって進まずに過去に浸れば、そこに留まる理由ができる。

そんな自分のネガティブが
驚くほど甘い。
蜜の味だ。
くよくよした方が、蜜を舐め続けられる。
楽だ。

でも、いつまでもつらいよね。
甘いもので太った心はなかなか動きづらい。
自由もきかなくなってくる。

それを忘れないように
がんばったつもりだったけど、
やっぱり、生まれ持った人格は
変わってなかったみたいで、
出来上がった基礎は到底
使い物になりそうにない。

そこをそんなに積んでどうするんだっていう
でっかいタワーと

タワーから離れ過ぎてて基礎が繋がらんやろ
って塊と

いや、積め。なに等間隔にならべてるん
っていう区画と

もうここまで来たら基礎作る気ないだろ
って山積みになったブロック

そんなわしのぐっちゃぐちゃの基礎を
無理やり褒めるとしたら、
この作り上げた3つだけは
なんだかよく分からないけどきれいにできてる。

けど、
それがなんなんだと言いたくなるくらいの
失態をやらかした。

できないことに気づいてなかったが故に
お世話になっている人各所にすごく甘えて
とんでもなく嫌なことをしてしまっていたことに
気づいて、申し訳なさすぎて
落ち込むのもおこがましいようで、
どうしようもない気持ちだった。
自分にはできないんだなって
気づけたけど、申し訳なさ過ぎて、
どうしたらいいかわからなかった。

なんのこっちゃって話だけど、
わしが基礎云々って言い出したのは
これがきっかけで自分が恥ずかしくなったから。
己を知らずに、よくそんなことできたなって
叱られて当然くらいのこと…。
全部自分の行いだから、
恥をかいて気づいたならさっさと
今からできることをしろ。
話はそれから。とにかく行動。
そんな喝を飛ばしてもらえた方がありがたいと、
まだ楽だと思えた。
きっと、そんな叱りはもうもらえない。
ほんとうに、ごめんなさい。

わしの基礎、
とても使えないけど、
よく見たらたぶんなんだかいいところもあるし
この基礎がハマる建物もあるかもしれないし
みんなみたいに平らにきれいにとはいかない
かもしれないけど、
倒壊してみんなの土地に瓦礫をぶちまける
ようなことにはならないように気をつけるから、
もう1回、どうにか形をつくりたい。

たぶん、この凸凹を埋めることは
難しいんだろう。
人の2、3倍頑張らないとこの凸凹は埋まらない。
どうしてもできないなら、他の工法を
探すなり、
人と違う形でも満足するなり、
何かあると思うんだ。
そのなんとかの方法は今考えてもわからないから、
とにかく何か行動してほしい。

って、ここに決意と気づきを書いておけば、
未来の自分が見返して、
忘れずに継続してくれるシステム。

ちゃんと作動しますように
いや、作動させるんだぞ。

_φ(・_・

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