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あの世に持っていけるのは無形財産だけ

私が2歳の時、大好きだった祖父が突然死んだ。


死因は、無免許運転だった若者が歩行者通路に突っ込んできた避けられない交通事故だったと聞かされた。
(理解したのはずっと後のことだったけど)

お葬式の日、おじいちゃんの優しい顔は白くて触れると冷やっとしていた。周りの家族が泣き喚く中、私は状況が飲み込めず、 もう動かないおじいちゃんをただ静かに見つめていた。

その日初めて、人の人生には終わりがあることを知った。




メメントモリ、汝、死を忘るる事なかれ、とよく言うけれど、わたしはおじいちゃんの死を理解してからは、 これだけは忘れたことがない。



死とは何者なのか?



亡きおじいちゃんのように、身体が存在しない、知覚できない、感じない、思考できないという状態はどういうことなのか。


幼い私は、それが知りたくて、一心不乱に実験を繰り返した。布団にくるまり暗闇で静止してみるとか目を瞑ったままで息をできるだけ止めてみるとか、気合いで頭の中を空っぽにしてみるとか、だ。



でも、 近くで兄弟の声はするわ、居間の時計の針が刻むわ、心臓の音が頭に響くわで、実験は毎回失敗に終わった。


ただ、一つだけわかったことがある。



それは、 死は無になることで私にはつまらん、ということだった。その日、 私は死を歓迎しない、今後できる限り抗う、 と決意した。


あれから30年以上が過ぎ去り、 大切な家族や友人が何人か他界した。死はほんとに誰にでもやってくるのだという確信だけは大きくなっていった。


今年、私は39歳になった。40を目前に、 私は近いうちに無になるかもしれない。大事な人と触れ合えない日がいつか来る。根拠もなくそんな不安に襲われ、眠れない夜が続いていた。


そんな時、偶然、友人がフェイスブックでシェアしていた東洋思想とやらに救われた。東洋思想では、死んだら、車や家などの有形物はあの世には持っていけない、という。


あの世に持っていけるものは、知識や経験などの無形財産だけだというのだ。


私を救ってくれたのは、 あの世に何か持っていくことができる、って言う概念だ。持ち物があるなら、無にならずに済むのかもしれん。


それをみて、 「死んだら持っていきたいものリスト」 を早速作ってみた。


○ 家族、友人、仲間、地球からもらった愛と絆と信頼


○ 美しく尊い自然と触れ合った思い出


○ 次世代のために闘争した自分という自己肯定感


○ 世界や社会のためにならないことは事業にしないという経営者としての決断


○ 大好きなオーガニックに人生をかけたという自己満足感


○ 死ぬまで貯め続けるオーガニック関連の学術的な知見と知識


あの世があるかどうかはわからんが、持っていくものをこの世で準備してもいーんじゃないか。


死を迎えるその日まで、このリストを増やしていこう。そんなことを考えたら、また爆睡するようになっていた。

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