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ヤングケアラーにとってのコロナ禍②

  私はいわゆるヤングケアラーとして育ってしまったのではないかなと思いつつ、気が付いたら成人を迎え、ますますそうだと訴えにくくなってしまった立場にあると、勝手ながら思っている者です。
 そんな私がコロナ禍に身をもって体験した「身内だからこそ身内の面倒は見きれない」という話をお届けできたらと思います。前回からだいぶ時が経ってしまいました、すみません。
 今回はコロナ禍で我が家の介護・日常がどうなっていたのかを整理していこうと思います。 

 COVID-19が日本に上陸し、世間を騒がせ始めた2020年1月。私は大学2年と3年の間の春休みでした。2月頃までは「なんか感染力の強い病気があるらしいから、手洗いうがいマスクをインフルエンザ以上に気を付ければ良いのかな」と思いながら生活していました。平然とサークル活動やアルバイト、友人らと会うなどもしていました。
 しかし、3月頃から感染力や致死力等が異常であると連日報道されるようになり、私は全ての予定をキャンセルしたかと思います。 

 さて本題の我が家の介護・日常ですが、相変わらず母が頑なに外部を頼ろうとしないが故に、連日一家で睡眠不足になっていました。したがって私は祖父の入浴介護は家族だけでは限界だと説得を続けました。祖父や母との相性が良いデイサービスが見つかるまでに数カ所の施設を試しました。週1回の利用に慣れるまでに数ヶ月がかかりましたが、慣れると入浴介護も素直に受けてくれるようになりました。最終的には週3回通わせ、入浴はデイサービス先で済ませてもらうように出来ました。
 そして何よりも大変だったのは家で家族全員が常に一緒に居たことです。COVID-19が流行するまで、私は月に1〜2回ほど母を家から連れ出し、一緒に出かけて気分転換させるようにしていました。また母も自ら着付けサークルへ週1回通っていました。更に母は月に1回「認知症家族の会」というものに参加して、体験談を共有したり悩みを相談していました。しかしながら最初の緊急事態宣言が発令された辺りからそれら全てが無くなりました。母は食料品や日用品の買い物以外の外出を拒むようになってしまいました。
 父は週3〜4で在宅勤務をするようになりました。会社まで片道40分ほどかけて自転車通勤をしたり、昼休みに会社の外周をジョギングするなど活動的な父なのですが……それらが難しくなり日々ストレスが溜まっているように見受けられました。
 そして祖父もデイサービスに何とか通えてはいたものの、コロナ感染対策として外出の機会を減らさせざる得なくなりました。室内で過ごすことが多く、歩行能力が衰えますます認知症が悪化しているように見受けられました。
 更に兄が急遽実家へ戻ることになりました。コロナ感染対策として、フルリモート勤務になったものの、一人暮らし先へネット回線を引くのに数ヶ月以上かかるため、仕事にならないとのことでした。
 おかげでリビング・ダイニング・キッチンには母が居り、兄・私・父が3部屋並んでリモートワーク&リモート授業、祖父も自室へ実質上の軟禁という状態を緊急事態宣言下では続けざるを得ませんでした。
 各々ストレスは溜まるものの、発散方法が限られ、度々口喧嘩が起こっていたかと思います。特に母は家族以外との交流がほぼ途絶えてしまったためか、日に日にストレスを溜めているように見受けられました。そして相変わらず祖父に「人間らしい生活を送って欲しい」と、こだわりを強く持ち続けているようでした。
 私はこのままでは良くないと思い、母とケアマネジャーさんの面談に同席するようにしました。そしてとにかく少しでも早く祖父を家から出し、介護支援サービスに慣れされ、最終的には介護施設への入居させようと考えました。その結果ケアマネジャーさんの提案を受けて、先ずはショートステイで家以外での寝泊まりに慣れさせることになりました。しかし母は「何と伝えたら大人しく行ってくれるか」「施設の人を困らせないか」と思い悩んでしまったようでした。祖父を施設に入れるということは母にとっても相当な負担になるのだと、そこで初めて私は気づきました。祖父と距離を置くことに母にも慣れてもらわねばならないと感じ、余計悩ましく思ったのを今でも鮮明に覚えています。
 そして祖父をショートステイ施設で1泊させたときでした。「お母さんは検査入院するし、みんなも用事があるし、誰もおじいちゃんのお世話ができないから、おじいちゃんも施設にお泊りして欲しいんだ」と伝えて送り出しました。1泊だけだと分かっていたし、母が入院すると伝えたおかげか、祖父はショートステイ期間中問題なく過ごしてくれたようでした。むしろ帰ってきた後で「もう大丈夫なのか?」と母を気遣っていたかと思います。過去に母が乳がんになったことは認知症になっても覚えていたようでした。
 お陰でたまにショートステイをさせることは問題ないと分かりました。これを機に「外部に頼っても良い」と母に気付いてもらえていると良いなと願ったものです。
 その後ケアマネジャーさんに空きのあるグループホームを見つけてもらい、母が実際に施設を訪れ、あれこれ確認し……そして母が納得して祖父を預けられる施設を運良く見つけることが出来ました。最終的に2021年1月、ようやく祖父を施設に預けることができたのでした。
 これでやっと私は脱ヤングケアラーだ!!と大喜びしたものの、そんなことはありませんでした。コロナ対策のため、祖父との対面での面会が行えなくなったのです。
 月に1回、ビデオ通話で面会を行うことは出来ました。しかし祖父は耳が遠いため、画面越しではなかなか会話が成立しませんでした。かつ当初は家に帰りたがったそうです。
 お陰で祖父を施設に入れられたものの、今度はますます母を精神的に追い詰めてしまいました。日常における介護の負担が無くなったとはいえ、それを無視することはできませんでした。

 さて、現在の話もしておこうと思います。祖父を施設に入れて3年半が経過しようとしています。コロナ禍当時を振り返ると運が良かったなと思います。ニュースで連日、介護福祉施設でのコロナ集団感染や死亡事例が流れ、不安な日々を過ごしました。しかし我が家は祖父を施設に預けることができ、今も無事に生きています。今も色んな感染症に対する不安がありますが、祖父が施設で元気でいてくれることを願うばかりです。

 ここまでお読みくださった方、ありがとうございます。1つお願いです。同情はしないでください!!この記事は私の主観で書いています。記憶を辿りながらですので、事実と異なる点もあると思います。このような体験をした人も居たらしい、そう受け止めていただけると幸いです!!

 改めまして、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
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