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4年間の約束

やほ。

2020/3/31。
書き始めは21:56。

年末年始の、年が変わる瞬間な時間のイメージw

すでにドタバタしている。
この後も実は1本ミーティングを入れているのだが、
相手方が現れない。なぜ。
まあ、最後の日だから向こうも飲んでいるんだろう。
向こうも最後の1年頑張ってきたんだ。その飲み会に比べたら、こっちのミーティングは優先度が下がっても仕方ない。
むしろ下げてくれ。

そんな気持ちで、ゆるゆると書き始めた。

ちなみに、写真の桜は、この前のジュネーブで撮影したもの。

ゴールテープのない”師走”

プロ野球のキャンプ前日、開幕前日なんかのドタバタした後の「球春到来」のように、今、自分自身もその春の到来の前に、若干バタバタしている。

正直、このドタバタは春休みが終わる方でのドタバタかもしれない。
読みたかった本はたくさんあるし、
インプットしたかったYoutubeも、
書き残したnoteもたくさんある。

お金の勉強も社会人マナーも予習できるに越したことはなかったけど。

本当ならもう少し、「やりきった!」とか、「終わった!」とかいう、
スッキリした形で明日を迎えるつもりだったものの、
どうもこう、もやもやというか。

コロナウイルスの影響で、3/23の卒業式は中止。
自身もできる限りの対策を行った上での、同日の飲み会等には参加した。
(回し飲みは絶対にしないとか、取り箸分けるとか、バイキングは食べないとか)

卒業式って正直、めんどくせえなとは思ってはいたものの、
ちゃんと区切りをつけるって意味ではやっぱり必要なのかもしれない。

当日、大学にはゼミの集まりで、ビジカジで行った。
周りを見ると7:3でスーツ多数。メンタル的に若干イキそうになる。
やはり校舎にいる人数も少なく、
そもそもの連絡も、「今どこ?」ではなく、「今いる?」からスタートするコミュニケーションも正直悲しい。

ただ、時期が時期だけに仕方ない。
(今と1週間前とは状況がかなり異なっている。今のこの状況であんな感じだったら、絶対に行っていない)

とはいえ、今という時間は今しかない。

別れを言うタイミングを逃した自分達に、
それを伝える機会は果たしてあるのだろうか。
同窓会を開いたら、集まるんだろうか。

鳴り止まぬ通知とアイセック愛

ありがたいことに、Facebookの卒業投稿をしたところ、
今までにないコメント数と300に迫る「いいね」の数。
(4/3現在 313いいねが届きましたw えぐい…)

それだけたくさんの人に支えられて、ここまでこれたんだなあと感じている。

Facebookにも書いたが、学生生活の全ての起点はアイセックだった。

海外渡航、
イベント(合宿)運営を通じて学んだ他者貢献マインドとカメラスキル、
海外インターンで感じた教育とスポーツの可能性…

”Just AIESEC”にとどまらず、”Beyond AIESEC”したことも何度もあった。

現役時代には、東と西で分かれていたから、そこまで接点はなかったものの、
「東京に来たから飯に行こう」とか、
「イベント一緒に行こう」とか、
就活のイベントで一緒になることもざらにあったし、
就活で大阪に行けば、お話する代わりに泊めてくれる宿を急遽用意してくれたり。
極め付けはゼミで見学した先の会社さんにアイセックの先輩がいらっしゃり、今でも定期的に連絡を取らせていただく仲になったりとか。

スポーツに目覚めたのも、やっぱりアイセックだった。
ICCに出会えたのも、アイセックだった。
カメラに出会えたのも、アイセックだった。
オリンピックに真剣に向き合わせてくれたのも、アイセックだった。

#全部アイセックのせいだ

4年間の約束

感謝の気持ちは、facebookで伝えたので、今度は自分を褒め称える番。

浪人を決めた5年前の3月。
がむしゃらに前に進み続けたけれども、センター直前に燃え尽き、
滑り止めで明治に入ることになった。

浪人で私立?しかも明治?
周りは一橋とか、悪くても早慶上智行ってるのに?

学歴コンプを感じながら、でもそれを隠しながらのスタートだった。
浪人は、隠しても仕方なかったし、オープンにしたところで自分が気にしないから、早い段階からオープンにしてた。

そしたら、たまたま浪人時代の同じ予備校の子が同じ学部学科のクラスで、若干時代錯誤を起こしてしまったのも、いい思い出だwww
(ふと思い出した。)

浪人時代と同じく、絶対授業は真面目に受ける。
内職はするかもしれないが、バックアップはとりつつ、単位を落とさずに授業は受けきる。
アイセックも、めっちゃ広く見ればサークルなので遊び。
遊びと勉学のバランスは崩さない。

1年生の時に、自分にした約束。

4年間、ちょいちょい欠席することはあったけど、落とした単位も他学部履修の2単位のみ(のはず)。
結果、144単位(見込み)取得した。
上限よりも20単位も多く、他学部履修/他大履修も行った。

特に、最初の1,2年で計画通りに単位を履修した自分を褒めたい。
あれがあったから、3,4年で自分の使いたいように時間を使えたし、他学部履修もできた。

1,2年の自分、ありがとう。

お金の管理は自分で行う。
時間管理も自分で行う。
でも、やりたいことはやる。

これは1年6月から、2年生の冬までの自分に。

実は、カンボジアには1年の夏に行く予定だったが、家族とお金に関して揉め、結局中止に。
そこから、自費でインターンに行くために、必死に死に物狂いでバイトをした。(もちろん、そこで学んだことも犠牲にしたこともある)

途中、予算が余るとのことで、韓国に行ったり、カメラを買ったり、全国規模の合宿にも2回も参加した。
帰国直後も、合宿1回、登壇案件、インタビュー案件などを受けた。

と同時に、毎週月曜に1600人に全国の情報を届ける社内報も書き始めた。

これだけタイムラインカツカツの中でも、
授業のタイムラインは崩さず、ゼミも第一志望に受かる事が出来た。

濃密な時間を過ごせたと同時に、今思っても2度とは出来ない経験をしてくれた事に、ありがとう。

夢を諦めない。実現するための意思決定をする。

2年生の1月ごろ、諸々あって落ち込んでいた時、ギリシャの案件が届いた。
行きたいとは思っていたものの、どうしようか迷っていた。
そんな時、同期のメンバーが、

「はなも、スポーツしたかったんじゃないの?行って来なよ。」

と、ポンと背中を押してくれた。

合格し、その後、オリンピック、オリンピックの哲学にのめり込んだのは、過去のnoteを見ていただければわかるはず笑

あのタイミングで意思決定したこと、そして渡航したこと、
体張って、PPAPとにゃんこスターを踊って人気者になった自分を褒めたい。

そして、あの時背中を押してくれたO田。ありがとう。

選んだ道を正解にする。

好きだったアイセックを辞め、夏・秋・冬・春と定期的に短期インターンに行き、長期インターンとバイトも同時に開始。
それと同時並行で、カメラ案件や動画案件ももらっていた。

もちろん、最初は突発的な意思決定に辞めた故、報告することもできず、
めちゃくちゃ迷惑かけたし、親友にもブチ切れられた。

でもあれがあって、自分自身が本当に、今の期間にやらなきゃ行けないこと、せっかくアイセックをやめたんだから、やめたからこそ得られる成長をしないと、と思えた。

そっから自分の行動も変わったし、行動を変えようとしたし、自分からも動きに行けた。

やっぱり動く人なんですね、ありがとう。
G野にも感謝。

ファイティングポーズを取り続ける、いつでもパンチを打てるようにする。
準備の重要性。そして目の前のことに全力になる。

何かあればのためにカメラは忍ばせる、勝手に合流し、最後まで居座る。
そんなことも数知れず。

ICCでも準備の重要性はひしひしと感じられたし、目の前のこと、1つ1つしっかりやること、それを強く感じられたのは4年生になってからの1年間。

社会人としてのステップを踏むにあたって、ちゃんとした時間の使い方をしてくれてありがとう。


なんか、自分軸で書いて見ても、結局他者がいたことで成り立ってる事が多いことに改めて気付かされた。

もちろん、ここまで来るのに、相当迷惑かけた方もいた。

めちゃくちゃ相談して入ったプロジェクトだったのに、体の不調と留学とでトンズラしてしまったこと、
プロジェクトを請け負ったのに、未達(しかも結構自己勝手な理由)でぽしゃらせたこと、
伝え方が悪く、周りも巻き込めずに正論ぶつけたらブチ切れられたこと、
目的意識を見失いかけたタイミングで成長カーブが止まってしまい、組織に迷惑をかけたこと…


これからの自分の姿で恩返しできればと思う。
それが自分にできることだから。




久々に、写真なしで文字だけで勝負してみた。

特に誰かに伝えるわけではないけど、今の素直な気持ちをつらつら書いてた。

さ、時間になったらセルフで「蛍の光」を流しますか。


間に合ってないですが…

旅の記録も現在ガンガン書いています。
社会人になると思うので、更新頻度は減りますが、
これからもちびちびと更新し続けられればと思います。
土日に一気にどーんってしますw

ちなみに、日付が変わった瞬間に、
楽天UNLIMIT、買ってみます笑


はなも(ん)

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