泣くこと、強くて弱いこと 2023年度上智大学学業優秀賞受賞にあたって

 私は上智大学で何度も泣いている。とてもきれいとは言い難い涙を何度も流してきている。

 初めて泣いたのは入試のときで、2011年の2月、大雪が降っていた。神学部の二次選考。圧迫面接でも何でもない、むしろ労わりと配慮さえ感じられる面接で、それでも私は泣いた。
 何かが怖かったわけではない。何かが嫌だったわけではない。ただ、感極まってしまった。自分がここにいること。長かった受験生活が終わろうとしていること。つまり、自分のための自分勝手な涙で、小学生のように泣きじゃくる高校生に「ゆっくりでいいよ」と言ってくださった先生方には今でも感謝しかない。

 泣いたからか、純粋に試験の出来が悪かったのか、どちらもなのかわからないけれど、私は補欠合格で本当は上智大学には入れないはずだった。東日本大震災が起こった翌日、不自然なほど暖かい気温のなかで、入学を許可された。

 ほんとうに、ほんとうにぎりぎりで入れてもらった大学なのに、とても嬉しかったのに、私はそのチャンスを生かしきることができなかった。

 履修登録という概念がわからず、必修科目をほとんど履修できずに泣いた。朝、時間通りに大学に到着できずに泣いた。

 地下鉄の駅からそれ以上進めなくなってしまって泣いた。満員電車が駄目だった。一限も二限もあるのに、イヤホンを忘れるとそれだけで家に取りに戻って、再び学校に戻ったらもう二限が終わりそうな時間になっていてまた泣いた。

 当時は今で言うソフィアタワーの建設を行っていた。そのせいかわからないけれど、七号館付近のメインストリートには学生があふれていた記憶がある。北門をくぐると、これから出かけるのであろう学生たちの話し声が耳に痛くて、通路の隅に寄っては涙を堪えた。

 神学部のバーベキューがあったとき、石神井の駅に着いたはいいものの、地図が読めなくて会場に辿りつけず、二時間近くひとりでさまよった。炎天下のなかふらふらになって、身体からほとんど水分が失われるなか、涙が滲んだ。

 授業は、好きだった。たまに授業を受けられると楽しかったし、嬉しかった。
 だけれども毎回授業に出るのは難しいし、出席しないと単位を落とすなんて知らなかったし、成績表もCとかDとかばかりで、Fもたくさんあって、そんな知らせを受けるたび呼吸が苦しくて、いやになってしまった。そんななか家庭の事情が決定的な決め手となり、私は大学を辞めてしまった。

 2013年の秋、私は中退の届けを出し学生証を返却して、上智大学を去った。秋にしては冷える日で、似合いもしないベージュ色のトレンチコートを着ていた。
 北門をくぐって、もう学生ではない上智大学から出た。四ツ谷駅前の交差点で、涙が滲んだ。その日、新宿で友達と遊ぶ約束をしていた。約束をしていて正解だった、と心底思った。とても家に帰る気になんてなれなかった。
 中央線に飛び乗って、大丈夫、今日はただ新宿に遊びに来ただけ、ただその道の途中でほんの少し「用事」を済ませただけ、そんな風に自分に対して言い訳して、降りた新宿駅東口の地上の空気はひえびえしていた。

 その後、どうしても勉強することがあきらめられなくて、日本大学通信教育部に入学した。既に取った単位を認定できるなんて知ったのはずっと後のことで、そういう知識を知るすべも持たなかったから、いちから単位を取り直した。
 通信大学は、とても私に合っていた。自分のペースで進められた。最初の3年間は12単位しか取れなかったし、スクーリングに当日行けなくて市ヶ谷や水道橋で座り込んで泣いたことも一度や二度ではないけれど、その後は先生方や周囲のサポートのおかげでどうにか順調に単位を取得できて、最終的には174単位を取得した上で卒業できた。
 通信大学にいた7年半もの時間をかけて。ゆっくりと、私は大学というものに、学校というものに、学校のペースというものに馴染んだ。中学は2年間不登校、高校も不登校ぎみだったので、そもそも学校のペースというものに慣れていなかったのだと悟った。私にとって、日大通信はゆりかごのようなものだった。学問の、思想の、種を芽をはぐくんでくれた、ゆりかごだった。
 自分のやりたかった勉強をひと区切り終えて、学士を取れればそれでいいし、それ以上なにかを極めるつもりもなかった。日大通信を卒業できたら、それで大学での勉強は終わりにするつもりだった。

 だけれども、自分がほんとうにやりたかったこと。知りたかったこと。そういったものを日大通信でみつめるうちに、とてもとても不思議なことに、いきついた次の進路は上智大学だった。

 そして2021年4月、上智大学神学部に再入学を果たした。

 今でも、私は上智大学で泣いている。いい年をして本当にものすごく恥ずかしいのだけれど、年相応ではないようなことで、やはり年相応ではなく泣いている。
 イヤホンやヘッドホンは相変わらず手放せないけれど、聴覚過敏は若干ましになって、それで泣くことはかなり減った。
 だけども、泣いている。

 ある持ち込み可の試験では、入念に準備をしたのに、その準備した資料をごっそり忘れて動悸が止まらなくなって、試験後2号館5階のトイレに飛び込んで泣いた。涙が治まらなくて、ホフマンホール1階のウェルネスセンターに飛び込んで担当の方とお話しをして、また泣いた。その後セットしていただいたウェルネスセンターの面談でも泣いた。
 この間はカウンセリングサービスの予約を間違えて、窓口で泣いた。単純に自分のミスなのに、頭がまっしろになってしまって、たっぷり10分もその場で泣いてしまった。
 ぎりぎりで学校に向かうとき、駅に着いた瞬間に鞄をすべて忘れていることに気づいた日もそうだ。家まで走りながら、涙が出てきた。

 並べてみただけで、情けなくてみじめな気持ちになるけれど。

 情けなくて、みじめだけれど、痛いほどわかっているのは、私は弱い、ということだ。
 たとえば「弱者」という言葉を使ったときに、その言葉をどう解釈するかというのは結構な大問題だと思う。だけれどもまずは一旦、感覚的にシンプルに捉えてみたとき、その「弱さ」のなかには「何かができない」ということも含まれるのではないか。

 たとえば、勉強ができること。コミュニケーションが上手なこと。豊かな情緒と共感力をもつこと。
 こういったいくつかの能力を、項目みたいに仕分けて考えてムラなく仕上げていくこと。そのためには、がんばれること。たとえば、継続すること、客観的であること、批判的であること、それでいて柔軟に立ち直って失敗を糧にできること。感情や欲求をコントロールできること。
 そういったものごとは、「強さ」をはぐくむ。学歴を、収入を、人脈を、仕事を、家庭を、なにもかもを輝かしいものにしていく。結果そのひとは、きっと社会で「強く」なる。

 一方で。
 たとえば、理解できないものごとがあること。コミュニケーションが不得手なこと。ひとの気持ちや感動というものが想像しづらいこと。
 そして、がんばれないこと。
 そういったものごとは、結果的に、「弱さ」を生んでいくのではないだろうか。すくなくとも、今日、いまの社会では。

 そういう意味で、私は確実に弱さをもつ。知覚推理と呼ばれる、私の一部の能力は小学生くらいの水準に留まってしまっていて、生活を工夫したりとか、できることは沢山あるけれど、どうがんばってもその能力自体を上げていくことはできない、らしい。
 空気を読むことも、他者の感情を見て理解することも、頭のなかでイメージして段取りをつけることも。私はこれからずっと、人並みにはできないらしい。

 私には、私の意志によらず、他者に比べて決定的にできないことがあるということ。
 どうやら永遠に熟さない不得手をかかえて、生きていくしかないということ。

 その事実は今でもたまに、底知れない暗闇のような感覚を与えてくる。たとえば大学のキャンパスにいても、他のひとに見えているものが私には見えないという圧倒的な事実がある。
 絶望なんてする必要はないし、絶望に溺れるつもりもない。だけれど、ふと、怖くなるときがある。いま立っている地面の下に、実は地層ではなく、虚ろな空気が広がっているのではないかと思わせるかのような。ぐらぐらして、自分が揺らぐような感覚。

 いくら個性と言われても。いくら工夫と言われても。いくら、あなたはそのままで素晴らしいと、言ってもらっても。
 弱さを抱えて生きていくというのは、そういうことだと思う。

 一方で、私はある種の強さも持っている。
 私は昔から学校の勉強がよくできたし、特に言語に関することで苦労を覚えたことはほとんどない。文章を書くことも本を読むことも、昔から今に至るまでまったく苦ではない。
 それを強さと呼んでしまっていいかについても、もっと考えなくてはならないけれど。事実として。その能力、言語が比較的得意であるというだけのことが、私の人生を導いてきたように思う。暗闇で光る蝶のように。

 私は、弱くて強い。あるいは、強くて弱い、と言ってもいいけれど。
 弱さを持った強者なのか、それとも、強さを持った弱者なのか。そんな言葉遊びみたいなこと、答えも出ないのに、延々と繰り返しているけれど。

 私には、どちらの世界も見える気がする。

 弱い私は、つまるところ他者の助けがなければ生きられない。他人が何を考えているのか。社会的な常識、マナー。何が失礼にあたって、どういう行動が適切なのか。時間や期限に間に合わせるにはどうしたらいいのか。予定が変わったときに受け入れられなくて、呼吸が苦しくなって頭が殴られたようになって何も手につかなくなる、そういうときにはどうしたらいいのか。レシピや説明書をどうやって理解すればいいのか。
 どうしたら忘れ物をしないでいられるのか。どうしたら優先順位を間違えないでいられるのか。どうしたら音をうるさく感じず道を歩いていけるのか、ホワイトボードや蛍光灯が眩しいなかで授業を受けられるのか、漢字をただしく書けるのか。どうしたら、新しい状況に落ち着いて対処できるのか。
 他人の言葉がうまく聞き取れない。指示がよくわからない。言葉の真意がわからない。口頭で話すと話がまとまらない。どうしたら、ある日突然爆発するかのように、泣き喚いたりしないで済むのか。
 それらすべてに対して、他者の力を借りる必要がある。

 強い私は言葉を通して、世界をひろく見渡せるような気がする。その視野が本当に広いかはわからないし、当然もっと視野を広げていく必要はあるけれど。だけどそれは弱い私の視点からすると、信じられないほどひろくて緻密で複雑な視点だ。
 社会のこと。なぜ、ある種の能力や生育環境が、その後の「強さ」や「弱さ」の大きな一部を決定づけていくのか。格差の構造。不平等の構造。環境問題。持続可能な社会の実現が必要な理由と、背景と、様々なアプローチ。
言葉で語られるかずかずの概念。神学、哲学、宗教学、倫理学、いろんな学問から見てみた世界、そしてその根底にある、まだ人類には掴みきれてはいないけれど確かに横たわると感じられる、真理と呼ばれるもの。何か、光を放つもの。
 聖なるもの。人間をこえた、大いなるもの。
 ひとが、ずっと考えてきたこと。
 そういったことすべてを、言葉を通じて、受け取ることができる。

 日々、弱さと強さのなかを生きつづけている。

 弱いこと。それは、やはりどう足掻いてももどかしいし、生きていくのが大変だし、やっぱり自分の存在が揺らぎそうなほど気持ちが落ち込んでいく日もある。
 だけれども、私はこれでよかったと思っている。私は上智大学で学ぶにあたって、毎日、上智大学の先生方や職員の皆様方やお知り合いの皆様方に助けていただいている。
 こんなに助けてくださるひとがいるのだと、私は肌感覚で知ることができた。
 上智大学のそとでも、福祉や医療や、いろんな力に頼っている。

 支えていただいているのは恵みで、与えられたことを返すのは義務。私は、そう考えている。私は、私の強さでその義務を果たしたい。

 半分強くて半分弱い私は、どちらの世界も見える一方で、どちらも完全には見えないのだろう。そのことに、竦むような想いもある。いくら「弱い私がいる」と言ったところで、どこまで、「弱さ」を語れるのか。それは本当に難しい問題で、だって、私には「強さ」という逃げ場があるから、本当はとてもとてもずるいのだろうとも思う。
 一方で、「強さ」によって一定の義務を果たすなかで、「弱さ」に逃げることだってできる。それだって、とてもとてもずるいこと。

 弱くて強い、そのことを、言いわけや間違った自負にして生きるのか。それとも、本当の意味で「弱くて強い、強くて弱い」者として、与えられたものを存分に生かすのか。
 いま、私は問われているのだと感じる。

 今回大変ありがたくもいただいた学業優秀賞は、私の強さを励ましてくれた。

 学業優秀賞の式典は、ばたばたと時間ぎりぎりで駆け込んでしまった。恥ずかしかった。早めについたのに、ベルトのつけ方がわからなくなってしまって、トイレでがちゃがちゃとベルトをつけて、結局できなくてトイレを出て夫にベルトをつけてもらって、冷や汗をかいて会場に飛び込んだ。
 こんな大事な日にまで。恥ずかしさと申し訳なさで、肌は火照っているのに、心がいやに冷えるなか。

 上智大学学長の曄道佳明先生は、2023年度学業優秀賞の式典で「弱者に寄り添うリーダー」(※1)という表現をされていた。

 曄道佳明先生のお話をお伺いするなか、肌のいやな暑さは引いて、心は燃えていくかのようだった。

 泣いたことも、笑ったことも、弱さでくじけた日も、強さで驕った日のことさえ。
 これまでのなにかが、もしかして、このために、と思わせるような、迫力、力、光のような何かが、6号館ソフィアタワー1階の会場、その場にあった。

 私たちのすべては、私たちの力によって得たものではない。聖書にも書いてある。

あなたの持っているもので、受けなかったものがあるでしょうか。受けたのなら、どうして、受けなかったかのように誇るのですか。

コリントの信徒への手紙一4章7節/聖書協会共同訳

 すべて、自分自身の成功や名声や富のためではない。

 自身も弱さを持つ者として、「弱者に寄り添うリーダー」として、他者のために、他者とともに生きてゆくことができれば。
 きっと、そのために私の弱さも、強さもあるのだと。

 だから、今回の学業優秀賞は、やはり私だけの力でいただいたものではない。いつもお世話になっている、上智大学の先生方、教職員の皆様方、友人知人の皆さん。懐かしい母校である日大通信の先生方、教職員の皆様方。福祉、医療関係者の皆様方。家族、親戚の皆さん。
 そして、光を感じさせる、人間をこえた大いなるもの。
 ほんとうに、言葉にできないほど感謝している。

 自分だけの力で達成できたことなんて、きっと、ほんとうはひとつもない。ではこれから私はどう生きるのか――問われている。問うている。これまでよりももっと、真実味をもって。

 学業優秀賞は「学業成績などにおいて極めて優秀と認められた」(※2)上智大生に与えられるもの――どれだけ真剣に、弱い自分に与えられたその優秀さと向き合えるのか。そして同時にどれだけ真剣に、その力を、いわば強さを、「弱さ」のためのつるぎとできるのか。
 弱いままで。弱さを、ごまかさないままで。

 上智大学学業優秀賞の受賞は、そのための大きなしるべとなった。大変ありがたくも。

 書いてから、ずいぶん時間が経っての公開となってしまった。これも私の弱さによるものだ。とても遅くなってしまったけれど、公開しないよりはいいだろうと、だけれどちょっと恐怖と躊躇を感じながらも、公開する。

※1、2 上智大学通信 第471号 2023年8月7日発行より引用

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?