見出し画像

3月8日:「さよならガッちゃん」の思い出

お昼休憩にぼんやりXを見ていて訃報を知りました。
もちろん知り合いでもないし何の接点もないのですが、僕の方からは一方的に強いつながりがある。きっと世界中そんな人ばかりなのだろう。
言葉を失い、今この時間でも涙があふれてきます。

アラレちゃんで一つ思い出したことがあります。
「さよならガッちゃん」というお話です。
親が珍しくアニメ絵本を買ってくれ、穴があくまで何度も何度も読みました。本当に穴が開くまで読んだかもしれない。

話自体はしょうもない展開です。「なーんだ」っていうオチです。
まあネタバレしちゃうと、「さよならガッちゃん」というタイトルでガッちゃんがいなくなると思わせといて、本当は宇宙から来た犬が自分の星に帰るときに「サヨナラガッチャ」というだけのお話。もちろん狙ってやってます。

だけど子供だった僕は「嫌だよー」「ガッちゃん行かないでよー」と泣きながら絵本を読んだんです。
最後のオチも騙されたことを怒るのではなく、安堵して笑ったような気がします。

漫画に感情移入するって経験はこれが初めてだったんじゃないかと思います。今思えばこれだけ子供の純粋な心をもてあそんで酷いなとちょっと思いますが。


何の接点もなかった天上界の偉人の訃報になんで涙が出るのか。

先生の急逝が悲しいのはもちろんですが、それと同時にアラレちゃんやドラゴンボール、ドラクエやクロノトリガーの場面場面がフラッシュバックされ、いやでも子供時代を思い出してしまうからです。

大人になるまでの毎日が鳥山ブランドの個性あふれるキャラデザインと共にあり、作品に触れるたびに「いつか自分もこんなのを描いてみたい」と胸に将来を思い描いていた。それを思い出してしまうからですね。

大人になり自分の無力さにはとっくに気づいていて、目を逸らしてきたけれど。
小学生だった自分はペンギン村の愛くるしいキャラクターたちと心揺さぶる物語、その世界観にすっかり魅せられ、多分に漏れず(他の少年たち同様に)本気で気を練ればかめはめ波が撃てると信じてお風呂で訓練していた。授業中はドラクエに出してほしいモンスターをひたすら考えていた。

プロ野球選手になりたいとかアイドルになりたいとか、子供時代に描いた夢に本気で取り組んだ人はどのくらいいるのだろう。そして夢をかなえた人はどのくらいいるのだろう。

多くの人は取り組むことすらせずあっという間にその夢を捨ててしまったと思う。
でも子供だった自分は本気で鳥山明に憧れ、漫画家を夢見ていた。
それが思い出され、涙が出てくるのだろう。

今日だけは疲れや明日への影響などを言い訳にせず、もう少しだけ眠らずに漫画を描いていようと思います。

たくさんの夢を、希望と憧れをありがとうございました。


よろしければサポートお願いします!