6月




6月1日

 サッカーを観に行った。とはいえ、わたしは熱心なサッカーファンではなく、持っている知識と言えば、「大迫半端ないって」「ベッカムヘアー」「ラモスと北澤が表参道の路上で喧嘩している画像面白すぎる」「クラッチバックを見る度に”中田英寿やん”って思うけど、中田英寿は案外クラッチバックを使っていない」「爆笑問題の漫才でJリーグカレーって出てきて、静かに面白ワードのリストに加えた」ぐらいのものである。ギリギリオフサイドは分かる。兄が持っていたスーファミのプライムゴール2のミニゲームは、日本代表クラスで上手い。世界での競技人口は0に近いと思うのだが。
 本当のことを言うと、サッカーに対する純粋な興味というよりも「サッカー観戦ってどういう雰囲気なんだろう」という雰囲気目(もく)の部分が大きい。わたしは祭りが好きなのだ。あとは、人生経験のすべてを自分の手札としておきたい気持ちが常にほんのりある。某芸人がテレビで「創作物に触れる行為が、台本収集化している」という話をしていて、グロテスクだと思ったと同時に、分からなくもないとも感じた。別に純粋に楽しむ気持ちとそれは両立するし、逆にそれを目的としているうちに人生の楽しみが増えていくことも多々あるから悪いことじゃない。自分が好きなラジオのパーソナリティもカルチャーに触れる行為をどちらとも捉えている気がするし、すべての娯楽を台本化出来る人間は面白い。存在するものに解釈を加えて話すことで、成立する芸は落語的だとも最近は思う。坂口安吾が「時事を追っていたら題材も言うことも無限にあるわ~」みたいな話をしていて、それも似ているなと感じる。ただカルチャーに触れる行為を『履修』とまで言う人には、ちょっとした「帰れよ」がある。物事には常に両面や2つの立場があるけれども、バランスが大事なんだ。まず楽しむことを前提としたい。
 野球観戦は何度かしたことがあったのだけど、野球の場合はホームチームとビジターチームの観客が限りなく半々に近いのだけど、サッカーの場合はビジターチームの席がほぼない上に「ビジターチームのユニフォームを来て、ホームチーム席の前を通るなよ」みたいなルールがあり、恐ろしくて合理的だった。サッカー好きの友人に聞いたら「そのチームは、ホームだけでほとんど売れるから」とのことだった。サッカー全部がそうではないのかも。ちなみに、わたしが試合に出ている選手で知っているのが、最初に出てきた大迫と酒井高徳(なんかフルネームで呼びたくなる名前ってありますよね)だったのだけど、めっちゃビジターの選手だったので気まず過ぎ。
 この日の入場者数は4万数千人だったのだけど、試合する度にさいたまスーパーアリーナの席数を埋めていると思うと、スポーツのお金の動き方凄まじすぎる。スポーツ中心の世の中なのも、頷ける。
 基本的に余計なことしか考えていないので、試合中「サッカー選手も、観客もシュートを外した時に頭を抱えるのはなんでだろう」とスポーツのテツandトモになった。野球において、このようなポーズを取ることはあまりないので、独特の文化なのだろう。
 お笑いを観ている時に面白すぎると思わず拍手笑いをしてしまうのだけど、あれもお笑いファン以外からすると不思議な行為らしい。「笑った時は拍手」というのは後付の文化で、それが刷り込まれているのだろう。
 音楽のライブもそうで、最近は完全に禁止している現場も多いが、「ダイブやリフトを”自然と”してしまう」という意見が全く分からない(モッシュまでは分かる)のだけど、あまりにも刷り込まれているとマジで自然としてしまうのかもしれない。


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