自分を愛でる方法

私は自分のことをどうしても好きになれないから、何かに自分を投影して愛でる。

私は自分の歌声が嫌いではないから、1人でカラオケに行って歌うことが自分への愛情表現なのである。
彼女とカラオケに行くのが1番好きで、彼女が歌った曲を1人で歌ってみては、そのときを回想する。
彼女はおもむろに歌うのをやめて音楽に耳を傾けていた。
「ごめん、ちょっとあまりにも音楽が良すぎて歌えへんかったわ。」
理由があまりにも格好が良くて、その反面、たかが20の女が音楽について語っているその歯がゆい感じがとても面白くて、時々思い出す。
深夜フリーで入っても、夜明けの3:00時には眠気の限界がきてしまう。
彼女は隣のマンションに住んでいるから、2人でとぼとぼ直線の帰路をたどる。
そんななんでもない記憶を思い出して、頭を空っぽにして1人で歌う。
それが自分自身を愛でるということに繋がるのだ。

私は自分の書く文章が嫌いではないから、ときどき文章を綴る。
それはあまりにも婉曲的で、それはあまりにも長ったるい文章で、綺麗なものとはいえない。
でも、この世でこの文章を本当の意味で理解してあげられるのは、私自身しかいないと思うと、自分自身と対話しているような気がして心地が良い。

私は鏡に投影した自分が嫌いだ。
目が小さくて、笑うと頬が盛り上がる。
顔の余白が多くて、鼻の存在感が大きい。
輪郭がごつごつとしたホームベースのよう。
身長が高いから、少しでも体に肉がつくと巨人になる。
デカい、巨人、なんていうあだ名は聞き飽きてしまった。
鏡が嫌い。

かわいい、それはどんな意味が含まれているのだろう。
かわいい、とは魔法の言葉である。
女の子が笑顔になる魔法の言葉である。
この人は、かわいいの魔法を使って私に何を要求しているのだろうか。
そう考えては思考のループから抜け出せなくなる。
かわいいの魔法は誰でも、誰にでも使うことができる。
相手の女の子がかわいくなくったって、かわいい、と一言言って仕舞えば魔法をかけたことになる。
かわいい、と言えば女の子を落とすことができると思っている、過去の馬鹿な男たちを思い出して呆れてしまった。

私はかわいくない。
もっと私のかわいくないところを見て欲しい。
それが本当の意味で私のことを見てくれている、ということになるから。
もっと私を見て欲しい。
私は私自身のことを好きになれないくせに、一丁前に承認欲求で溢れているのだ。
自分自身で認めてあげられないくせに、それを他者に委ねている、なんともおかしな話である。

私は昔の自分が嫌いである。
10年前の自分、3年前の自分、昨日の自分。
唯一認めてあげれそうな自分は、今日の自分である。
今日の自分が1番愛おしい。
理想の自分像がある。
それに近づこうと背伸びをしているのがわかる。
そんな自分が愛おしい。
昔の自分は幼稚で、純粋でうるさくて、人の気持ちを考えることが苦手で、欲まみれで、今の自分よりももっと自分のことを大切にしていなかった。
そんな過去の自分を思い出すと鳥肌が立って、鳥になって、しまいには南の島へ飛んでいってしまいそう。

ありのままの自分を受け入れることが難しいように、ありのままの他者を受け入れることも難しい。
受け入れ難い部分があるからこそ、コミュニケーションが面白いのだ。
それでも、せめて自分だけは自分のことを全て肯定してあげたいな。
私はかわいい、かわいらしい女の子なのだから…!


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