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むかしばなし2

眠れなかった。
4:00ごろだったと思う。そっと携帯を開いた。
横で泥のように眠る彼を起こすまいと。
何を見ていたのだろうか。ただそのコンテンツが面白くて、ついふふ、と笑ってしまった。
空間が一変した。
ワンルームで生活を共にするには狭すぎる。
心も窮屈だったのだろう。

「横で人が寝てるのにどうして煩くできるの?」

そう言って彼は私を外へ追い出して鍵を閉めた。
私は朝4:00、玄関の前で途方に暮れた。

後から知った。
モラハラという言葉と出会って、ボロボロの心をなんとかつぎはぎして繋いでいた自分を慰めた。

私は嫌われたくなかった。
捨てられたくなかった。
自分と一緒に時間を過ごしてくれる人は彼しかいないと思っていた。
自己肯定感という言葉に出会っていなければ、もっと前向きに生きることができたのかな。

言葉と出会うたび、自分を見つめる。
言葉と自分を重ねてみる。
私は自己肯定感が低いから、モラハラにも気がつけなかったのだ。

「正直になんでも言った方が良くない?嘘をついて相手を騙すより、なんでも素直に話した方が良いよ。」

彼の言葉は何故かよく覚えている。
彼の顔や声や出で立ちはまるでモザイクがかかったかのようにぼんやりとしているのに、言葉だけは突き刺さるように記憶している。
恋人同士、何でも話せる関係性は良い関係性と言える。
相手に気を使わない、信頼しているからこその会話だと思う。
でもね、嘘つきであることが相手の気持ち、自分の気持ちを騙すこととであるとは一概には言えないんだよ。
貴方は知らなかったんだよね。お互いまだ幼稚だった。

それからは断片的に、彼の正直な言葉が私の心を蝕んでいった。
太っている、メイクが汚い、子どもっぽい、頭が悪い、女は劣等種、月一で股から血を流す、田舎者、要領が悪い、鈍くさい。

「こんな女と付き合ってやれるの俺くらいだよ。俺と別れたら後悔するよ。」

よく彼は、私に言い聞かせるように繰り返した。
こんな私と一緒にいてくれてありがとう。
こんな私と。
こんな私と。
こんな私と。

私は嫌われたくなかった。
捨てられたくなかった。
だから彼に何でも正直に話すことが難しかった。
これが嫌だ、もっとこうしてほしい、と伝えればめんどうな女だと思われると思った。
そして何か要望を突き出すと彼の機嫌を損ねることはもう目に見えていた。
彼の機嫌を損ねたら最後、彼の機嫌が良くなるまで待つしかなかった。
何度ワンルームの隅っこで息を殺していただろう。

ぷつんと糸が切れたように、彼との1年半は終わった。
突然終わった。

嘘をつくことは大切なことだと思う。
言わなくていいこともある。
むしろ、言わない方が良いことだらけである。
言葉は呪いである。
私は呪われている。
その呪いを解くには、新しい言葉と出会うしかない。
呪いは呪いで打ち消す。
彼から貰った言葉は、今も私を呪っていて、女として美しくあるべきであり、賢明であるべきだと、そうでなければ愛されないのだと。
女は月に一回股から流血する劣等種なのだと。
今でこそ盲信はしていないが、ふと思い出して心がブルーになる。

それはそれは遠い昔なのだろうか。
彼と過ごした1年半は何も覚えていない。
呪いの言葉の断片が漂う。
デート、どこに行ったっけな。どんな会話をしていただろう。
空っぽである。

明け方彼を起こしてしまった私は反省し、頭を下げた。
「ごめんなさい。家に入れて欲しいです。」
彼は無言で玄関の鍵を開けた。

彼はゲームが好きだった。
友人と朝までFPSゲームをしていた。
「私、どんなに煩い環境でも眠れるから気にしなくていいよ。」
そう言うと、本当に彼は気にしなかった。
真横で眠っている彼女がいるというのに、大きな声で暴言を吐いたり笑ったりした。
私は何度か目が覚めたが、自分の発言には責任を持つべきだと思って再び眠りについた。
ひとたび「ゲームが煩い。」と伝えると家を追い出される未来しか見えなかった。
私は彼といたかった。
こんな私と一緒にいてくれる彼と生活を共にしたかった。

ある日、夢現で目が覚めた。
布団の中でまさぐられているのが分かった。
ゲームがひとしきり終わって眠る前に欲を解消したかったのだろうか。
放っておいて欲しかった。
睡眠が欲しかった。
私はあなたの欲を解消する道具ではないよ。
言葉を飲み込んで寝たふりをした。
女とはそういうものだ。
男とはそういうものである。
彼は簡単に欲を解消できる女がいればそれでよかったのだろう。
口答えしない、物分かりのいい女であれば尚更。

今となっては笑い話である。
笑える昔ばなしである。
もつれた紐はほどくのに時間がかかる。
もつれればもつれるほど面倒くさくなる。
そしていずれその糸は切れて元に戻らない。
だったら最初からワイヤレスイヤホンにすればいいのだ。
最初から嘘を交えて、お互いが自立していればいいのだ。
無駄に喋らず、相手に呪いをかけることもなく過ごせばいいのだ。


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