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エピソード7「白日の下に」

それからも、相変わらず陰口は言われ続けたし、私の方も、人を避けていた。

生きる気力はとうに失せていたが、死ぬ勇気も湧いてこなかった。

こんなふうに、私はまるで、成仏できなかったゾンビのように、死に損なったように、生きていた。

そんなある日だった。

その頃、私は小学5年生だった。


小学校で、人権に関する作文を書くことになった。私は当時、人権の意味をよく知らなかったので、とりあえず、いじめの悲惨さを書けばいいと思った。

そして私は書いた。書いてしまった。

自分の今置かれている状況を、そのままに。

陰口を言われ、皆んなに避けられている、という状況を。

特にひどく私に悪口を言う人物たちをAさん、Bさんと挙げて。

しかも、それらを何のためらいもなく。

後先考えずに、書いてしまった。

だから、こうなった。


数日後、担任の先生が、私を教卓の前に呼び出した。そして、私の書いた作文を見ながら、こう言った。


「このAさん、Bさんっていうの、誰?誰に悪口言われてるの?」


こう問われ、私はAさん、Bさんの名前を先生に言ってしまった。


この時、私は「しまった」と思った。


「やっと救われる」とか「やっと気づいてもらえた」とかではなく、ただ、「しまった」と。

理由は、おそらくこうだ。

先生はきっと、Aさん、Bさん本人に問い詰める。そして、AさんやBさんは、おそらく私を責めるだろう。そして、ますます私は追い詰められる。そう憶測したからだ。

私は、血の気が引くような恐怖を覚えた。学校に行くのが、怖くてたまらなくなった。


その後、Aさん、Bさんとこれ以上関わりたくなくて、私は2、3日ほど学校を休んだ。

病欠以外で学校を休もうとしなかった私は、母に勧められて、学校を休んだ。母も私の異常を察知したのだろう。

先生は、休んだ日には家に電話をかけてくれた。

私は、母や先生を心配させてしまった。

そんな自分を責めてしまった。

そして、また死にたくなった。

死にたいという気持ちを抱えきれなくなった私はとうとう、「死にたい」という気持ちを、間接的にではあるが、母に伝えた。

母は、大粒の涙をその両目に浮かべた。父の葬式以外で母の涙を見たのは、これが初めてだった。母を泣かせたのも、これが初めてだった。

私も、つられて泣いた。父の葬式で流せなかった分の涙も、その時一緒に流れただろう。

そして、私は知った。私が死ぬことに、涙を流して悲しむ人がいることを。そして、父がいなくなったことで私が出会った悲しみを、今度は私が誰かに出会わせてしまおうとしていたことを。

溢れる涙が止まらなかった。ダムが決壊したように大泣きした、とは、まさにこのことを言うのだろう。死にたい気持ちと生きたい気持ちがせめぎ合い、母の胸の中で、私は泣き崩れた。


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