見出し画像

悲しみと怒りと、SNSとの付き合い方

※この記事では著名人の訃報について触れています。そういった話を読んで気分が落ち込んでしまう方には読むことを推奨しません。






芦原妃名子先生について少し語らせてほしい。

私が中学生の頃、マンガ好きな友達の間で『砂時計』が流行っていた。私も少し読んだ。ちょっと重くて暗くて、当時「海賊王におれはなる!オレはぜってェ火影になる!卍解!!!」といった方面に心酔していた私にはあんまりハマらなかった。

大学生の頃、母が買っていた月刊誌に掲載されていた『Piece』。これはめちゃくちゃ好きだった。これもなかなかに重くて暗いんだけど、主人公・須賀ちゃんの生き方にとても勇気をもらった。今でもときどき読み返すのだけど、自分が大人になるにつれ「これはそういう描写だったのか」「この人は本当はこういう気持ちなのかもしれないな」と味わいが増していく。ラストはハッピーエンドとは言い切れずよくレビューでは「ゾッとする」「スッキリしない」とか書かれているけど、だからこそ私は何度も読み返したくなる。繊細なストーリーで、何度もラストの意味を考えたくなる、大好きなマンガだ。

この間までドラマが放送されていた『セクシー田中さん』。これはドラマの初回放送まで芦原先生の作品だと知らなかった(エンドロールを見て知った。)ドラマは全話視聴しておもしろかったし良い作品だと思ったし、これもすごく勇気づけられるストーリーだった。田中さんの「ベリーダンスがあればどんなに嫌なことがあっても大丈夫」という生き方、田中さんの背中を押す朱里の「一つ一つは些細でもたくさん集めれば生きる理由になる」という言葉は、涙が出るほど刺さった。


私は生きる意欲が人より低い。毎日目に見えない何かをかき集めてなんとか生きてる。

生きる理由を探さなければ生きていけないなんて、そうではない人間からすると馬鹿らしいと聞いた(というか感じた)ことがある。でも『セクシー田中さん』を見て、そんな自分を肯定してもいいと思えた。

心の支えに気づかせてくれるストーリーだった。

これからマンガを買い集めようと思っていた。『砂時計』も、中学生の頃は理解できなかったけど今読んだら違った見方ができそうだから読み返そうと思っていたところだった。



1月29日、芦原先生の訃報。

スマホでニュースを読んで絶望した。ショックで心の支えが揺らいでいくのを感じた。

そして同時に怒りが湧いた。


Xで普段からマンガ・ドラマ関連のポストにいいねを推している私のタイムラインに芦原先生の件のポストはすぐに流れてきて、全て読んでいた。

そして先生の最後のメッセージは「攻撃したかったわけじゃない」


それなのに、Xやネットニュースのコメント欄は"悪者探し"で溢れていた。


ドラマ関係者でもない内情を知ることもできない第三者の悪者探しになんの意味があるのだろう。

そうやって誰かを晒しあげてネット社会の"数の暴力"で叩くことは、正しい正義なのだろうか。

私は怒っている。こんなことを考えなくてはならないネット社会に憤り、取り戻せない命に悲しみ、話題に便乗していつまでも話を膨らませるような行為が観測される社会にまた怒る。


悲しみと怒りのストレスで、自分の体がマズい状態になっていくのを感じた。

こんなときは一度断ち切らなければいけない。悪いエネルギーに引っ張られてはいけない。

Xを見るのをやめた。ニュースを見るのも避けた。

数日はXを開かずに過ごせたけど、いくつか運用しているアカウントがあってどうしても開かないといけなかった。そしていざ開いたらすぐさまおすすめ欄に芦原先生に関連するポストが表示された。それを読んで怒って泣いた。

普段ならマンガやドラマ関連の見逃したくない情報が流れてきて嬉しいXのアルゴリズムを、今回ばかりは恨んだ。


これを機にXをやめることを真剣に考えた。

知らない誰かに自分の感情を振り回されるくらいなら、やめてしまった方がいい。ストレスは絶対に減る。

でもXを開かなかったことでいくつかの情報を取りこぼした。

私が大好きなキャラクターの新作グッズ、放送中ドラマの裏話、好きな芸能人の心を熱くしてくれる言葉。

本来私がXを利用する理由。一つ一つは些細だけどたくさん集めれば、それは日々の楽しみだった。


やっぱりXはやめられない。

でも自分の心が振り回されやすいときは距離をおく。

あれから1週間過ぎてもまだ、怒りが湧くようなポストは流れてきた。

私はそこに言及しない。いいねも押さない。数字が力を持つことはSNSを運用しているのでよく知っている。

ただ早く、私のタイムラインが以前のように、ワクワクする情報がたくさん流れるよう戻ることを願う。




芦原先生、先生のマンガはしばらく読めません。

数々の繊細な描写が今までとは違った意味を持ってしまいそうで、それは先生が望む読み方ではないと想像します。

でも大好きな作品、私に影響を与えてくれた作品はこれからもずっと心に置いておきます。

いつか素直に読めると思ったときに読むことにします。そのときはきっとまた私を勇気づけてくれると信じているし、信じられます。

芦原先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?