光源氏と紫の上の関係

小説やドラマだと美しく描かれるが現実に置き換えると引いてしまうことはよくあることだ。その最たる例が源氏物語だと思っている。

平安王朝と聞くと、十二単や貴族、和歌などのイメージから華やかな印象を抱く人も少なく、そんな中の超絶的にモテる光源氏の物語の描写は特に美しく感じるのかもしれない。

光源氏と紫の上の出会いと関係性を現代に置き換えるとこうなる。
18歳の男性が7歳年下の女の子が遊んで姿に自分の恋した女性の面影を重ねて一目惚れする。この時点でなかなかやばい。今の時代、どんなイケメンであっても許されないかつドラマでもこんな設定はなかなかないだろう。

しかしこの時はアプローチなどは特にせず別れることになり月日が過ぎていくことになる。
ある漫画では会話をして、少し遊ぶようなシーンも描かれたりしている。この程度ならまぁ年上のお兄ちゃんが遊んであげた程度で許容範囲だろう。

問題なのはここから数年後、紫の上のお祖母さんが亡くなり、身元引受人が誰かと問題になった時のことだ。なんとこの情報を聞きつけた光源氏が半強制的に自分の屋敷に引き取ってしまう。紫の上◯歳、光源氏歳の時のことだ。

現代に例えるなら、たまにニュースで見かける、家出少女を家に連れて帰って養ってたという言い分を平気で述べる犯罪者と同じことと言っても過言ではないだろう。

その上、自分好みに育てあげ妻にしてしまうのだから上記であげた犯罪者よりもタチが悪い。その上、好きになった理由が自分の母にそっくりな藤壺の面影を見たというなんとも言えない理由だから尚のことだろう。
いくらお互いの同意があるからと言って現代に置き換えて考えると到底許されることではない。

しかし、源氏物語の読者の中にはこの2人の何年もの間お互いのことを思いやり、支え合う関係性を美しいと感じる人も一定数いるのも事実だ。
機会があれば、一連の光源氏の行為について、なぜ許容できると思えるのか伺ってみたいものだ。

このように物語では許されても現実に置き換えると引いてしまうようなことは多々ある。教師と生徒の恋愛系のドラマもそうだ。映画やドラマなら、許容されることであっても、現実になったら否定的になる。どうしてそのような、ダブルスタンダードの事象が起こるのかいろんな方の意見を聞いてみたい。



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