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文化は呑めるのか

武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエイティブリーダシップ特論 第8回 大橋 磨州さん, 2020年7月6日 by コク カイ

本日は呑める魚屋 魚草(うおくさ)のオーナー、大橋 磨州さんの講義を拝聴した。

大橋さんは高校時代から演劇を一筋やっていて、自身は演劇を演じることでそのままの人生を続けようと思ってた。その後大学院に入り、舞踊を中心とした民俗芸能に興味をもった、偶然のきっかけで秋田県の西馬音内の盆踊りを知り、見に押し寄せた。そこで彼が目にした衝撃的な光景は、顔面を被った「無名な」役者達(普段は街で一般の仕事をされてる方々)がお祭りで通りで踊るだけで、三日間で15万人の観客を押し寄せた(ちなみに西馬音内の常駐人口はたった2万人)。秋田から戻り、デスク研究に再び始めた大橋さんはどうもその時のその光景を忘れられなく、しかも自分の中でやはりデスク研究より、人混みも入った方がよほど楽しさを感じれる。周りの原因も色々あって、彼は最終的に研究者の道で挫折して、学校から中退することになった。

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退学した彼は前から住んできた上野を拠点にアルバイトを探し始めた。家の近くのアメヤ横丁の人混みの中で彼は秋田の時と同じような光景を見た、ステージのような高台に立てた男達が、精一杯声を出して客を呼び寄せて、一方大勢の客がステージを囲んであっちこっちに指をさして、男達とやり取りをしてた。そう、それは上野のアメヤ横丁の冬の風物詩、歳暮の水産物の大売出しだった。そこに惹かれた彼は魚屋に入ると決めた。

かつて江戸の鬼門、東京の辺境地と呼ばれた上野、現在成田空港から電車一本で来れるせいか、外国人観光客から見ればまさに「東京の玄関口」になっている。そして上野の駅から出たら、一番最初に目にした商店街はこのアメヤ横丁だ。そこには魚屋だけではなく、外国料理、屋台、八百屋、衣装を始めとしたの品揃え豊富の商品を扱う各種専門店が林立してる。「日本で一番賑わっている商店街」とも呼ばれている。

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アメ横の魚屋で修行を積んだ彼は、あるきっかけで独立してアメヤ横丁で魚屋をやり始めた。その後色々試行錯誤をして、今の呑める魚屋に辿り着いた。彼の店「魚草」で売りにしたのは「1000円で美味しいお酒+魚屋が集まる市場でしか食べられない美味しい刺身」というシンプルなコンセプトだ。そして彼の店にはアメヤ横丁でしか感じられない特有な人情が漂っている、それはアメ横という地で昔から受け継いだ人と人とのつながりから生まれたものかもしれない。

彼は一般の飲食店経営者と一番違った所は視点だ。「店を作って商売をする」という直線的な視点ではなく、「あの店はそこで何の役割を果たしているか」というマクロな視点で自分の位置付けを考えてきた。ここで、私は思わず「シェア型社会」と言われる江戸時代を思い出した、彼がアメ横で創ったこの店は、どこかでかつてみんなで分担しながら社会の経済を成り立っていた時代の文脈を受け継いだような気がする。その事例の中から今の暮らしや文化の捉え方、あるいは時流の創業とは何かを我々に今一度考え直すチャンスを与えたかもしれない。

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