シンガポールでの妊活と、流産のきろく
結婚後ほどなくしてからこれまで、夫婦で不妊治療を含む妊活のさまざまに取り組んできました。約1年半後にはじめて授かることができたものの、残念ながら最初の妊娠は流産という結果になってしまいました。
これまでの治療記録や感じたことが誰かの助けになれば、お腹にいた赤ちゃんもハッピーかもしれないと思い、そして何より私自身が楽になるような気がして、記録に残してみることにしました。
シンガポールの妊活事情
私たちの場合はタイミング法を数か月ためした後、人工授精3回、体外受精2回とステップアップしてきました。
妊活開始当初から同じ病院でお世話になっています。
こちら。
通称KKHと呼ばれており、シンガポール人なら誰もが知る超メガ級の総合産婦人科病院です。
シンガポール国民の妊婦さんの85%がここで出産するそうで、年間出産数でギネスにも載ったこともあるとか。不妊治療の実績もシンガポール最高レベルです。
国土が狭いためアクセスも良く、国の最高権威のクリニックに10分でアクセスできる便利さが、なんともシンガポールらしくて少しのお得感を味わえます。
ただし混雑具合もギネス級でした。工場では?と思うほどの流れ作業感が否めず、特に処方箋薬局はいつも激込みで、毎回通院するごとにぐったりしてしまう感はありました。
シンガポール政府の不妊治療補助について
不妊治療に関する政府の補助は日本よりも手厚いのではないかと思います。
シンガポール国民の場合は政府からの補助金が適用され、それにプラスしてCPFという年金積立からの引き当てができるので、結局これまでの純粋な手もとの持ち出しは、人工授精3回、体外受精2回の合計で3000シンガポールドル(約24万円)くらいだったように記憶しています。(シンガポール人どうしの夫婦だともっと安い)
妊活中のいろいろ(意外と冷静だった自分)
治療中感じたことは、「あ、意外と淡々と取り組めるな」ということでした。
ありがたいことにクリニック全体の雰囲気が明るく、看護師さんたちもゲラゲラ笑いながら仕事していて、あまり悲壮感がただよう感じではありませんでした。患者さんもカップルで来院している姿を多く見かけました。
うちの旦那も積極的に通院について来てくれましたし、採精も含めて喜んで自分で持っていくところなどを見ていると、なんだか微笑ましくて笑えてきました、笑。さすがポジティブオーラ全開のシンガポール人。
採卵などの大きめの手術のあとは最大で21日間の有給休暇が取得でき、ゆっくり休めるのも助かりました。
辛かったのは結果が出ない間に次の予定が立てられないこと。
次の生理が始まるのかどうかを待っている間、仕事を辞めるかどうか決断する前、とにかくはっきりしない状態がいちばん苦痛で精神的にしんどかったです。
逆に毎回結果がわかったあとは、「無理なら無理で次!」と切り替えができていたように思います。
流産になったあと
流産って、いわゆる急にお腹が痛くなって大量出血が止まらなくなって救急車で運ばれて、妊婦さんが痛みと悲しみで泣き叫んでるみたいなイメージがあったのですが、大半の流産は特に自覚症状がなく、もっと静かにおとずれるものだということを知りました。
私の場合ははじめての妊娠で幸せいっぱいだった期間は一瞬で、早い段階で胎児の発育が遅いことがわかっていました。ただそれでも9週まで出血もなくむしろ軽いつわりが続いていて、エコーで見てみなければ普通に妊婦でした。そして流産と診断されたあとも症状は継続していました。
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そんな感じで毎回次のエコーまでの2週間が結構な生き地獄でしたが、そのことがいろいろな意味で人生観を変えてくれるきっかけにもなりました。
まず、大半の妊娠初期の流産は胎児のDNAの先天性異常で母体の欠陥ではないこと、7人に1人の妊婦さんが流産を経験していることなどを遅ればせながら知りました。
それまで恥ずかしながら、不妊治療や流産なんてものは、一部の不幸な人だけが経験するもので、なぜかそれは自分ではないはずだと思い込んでいました。
そもそも妊娠に関することに限らず、どこか他人の出来事は他人の出来事で自分には関係ないと思っていたり、すべての幸せは自分でつかみ取れるものだと思っていました。
そのくせに納得のいかないことが起こると「自分がいちばんがんばってる」とか「自分が世界でいちばん不幸なのかもしれない」と思い込む癖があったりする、どこまでもおバカな幸せ者でした。
私の周りにいる友達の7人に1人がこんなにも悲しい経験をしているということも知らずに、ぼんやり生きていたと思うと本当に愚の骨頂だと今は思います。
他人の気持ちのわからない私にお腹の赤ちゃんもあきれて去っていったのかもしれません。
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そして不妊治療の過程や「流産するかも」という状況の中で、いろいろな人の経験談をポッドキャストや書籍で知ったことも、大きな思考の転換のきっかけになりました。
血のつながった子供を育てることだけが人生の意味ではないこと。
未来の子どもたちを支援したいと思ったら、養子縁組で親になることもできるし、ボランティアもできる。
例えばシンガポールで勉強したい海外の学生のホームステイ先として受け入れたり、日本語を勉強したい海外の子どもたちの先生になったり。
やり方はいくらでもあるな、ということに気づかせてもらえたことも、流産の事実を割とすんなり受け入れられた理由かもしれません。
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そして、治療とフルタイムの仕事との両立が難しいとわかってからは(シンガポールの制度的に難しいというわけではなく、自分がそれをストレスなくできなかった)、働き方を根本的に見直すことにしました。
フリーランスとして住む場所を問わず、自分のわずかなスキルを切り売りすることができるということを知ったことも、辛い治療の中で少しの自尊心を保つ手助けになってくれました。
いまお世話になっている組織↓
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そんなこんなで、いろんな人生の学びを与えてくれて、どこかへ旅立っていった私たちの赤ちゃんなのでした。
これからお母さんになりたいひとへ
私たち夫婦はこれまでできることは全てやってきたし、始めたタイミングが遅すぎて後悔したこともなく、これが私たちなりの最短ルートでした。それもあって事実は事実として受け入れられているんだと思います。
これから少しでも子どもを産みたいという意思がある女の人なら、とにかく自分が子どもを授かれるのかどうか、婦人科系の疾患がないのか、診断してらうと良いと思います。
そしてさあこれから妊活だと意気込んでも、そこから風疹の予防接種、子宮頸がん検診、歯の治療、レントゲンの必要な検査諸々、そして今はコロナワクチンなども含めて、妊娠する前に済ませていた方がいいいろんなことがあり、このあたりを全部済ませるだけでもなんだかんだで数か月かかります。
今パートナーがいようがいまいが、将来自分の遺伝子を受け継ぐ子どもを産みたいのであれば、卵子凍結などの選択肢を知ってみるのに早すぎることはないと思います。
まとめ
最後に、ここまで一緒にチームワークを進めてきてくれた旦那さまには感謝の気持ちでいっぱいです。
流産がわかったときも、「We had a baby step!」といって、流産の事実そのものよりもむしろ妊娠できたことを喜んでくれたときには、ああこの人が人生を共にする相棒でよかったなと思いました。
これからも私たちらしく、ベイビーステップを積み重ねていきたいです。
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(今回の私の流産は心拍の確認ができない段階で発覚したもので精神的ダメージも軽く、後期の早産や死産でお子さんを失った方、何度か流産を繰り返して、辛い経験を乗り越えている方々には頭があがりません。)
おわり
Image credited to @midnightgracie
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