浅草駅に見る、レジェンダリーと象徴性の価値

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東武鉄道本線の起点駅として90年の長い歴史を有する浅草駅。行き止まり式のプラットホームを特急列車が頻繁に発着し、戦前に建てられた百貨店入りの駅舎を堂々と構える様相は私鉄随一の風格あるターミナルであると言えましょう。
しかし浅草駅は他の私鉄のターミナルとは少々異なる事情を持っています。この記事ではその辺りに触れながら、東武浅草駅を題材に「レジェンダリー」と「象徴性」について書いてみたいと思います。

浅草駅の成り立ち

東京の大手私鉄はそれぞれ都心側にターミナル駅を持っています。東急であれば渋谷、小田急であれば新宿のように、そのほとんどは山手線に接続し乗り換えることで都心各地へアクセスできるように立地しています。
そんな中、東武本線そして浅草駅は唯一山手線に接続していません。建設当時の戦前の浅草は東京市下でも名だたる繁華街、すなわち「都心」であり、そこへ乗り入れることを目指して実現したのが浅草駅でした。そのため戦後に通勤輸送量が増大すると、東武鉄道は地下鉄への直通によって都心へのアクセスを確保する方針を取り、現在でも日比谷線、半蔵門線の2つの地下鉄路線との直通運転が通勤輸送において大きな役割を担っています。また、山手線方面へ向かう常磐線との乗換駅である北千住駅が事実上のターミナルとして機能している節もあります。
ここで浅草駅は通勤輸送上のターミナルという座を降りることになります。乗降客数を見ても、浅草駅は速達列車の停まらない途中駅と同程度の数字になっており、つまり浅草駅は渋谷や新宿と異なり「機能としてのターミナル」という意味が分離されたのです。しかしその代わり、東武鉄道は浅草駅に「象徴としてのターミナル」という意味を見出していくことになります。

レジェンダリーが象徴性という価値を生む

東武浅草駅は1931年に開業しました。当時の浅草は六区の芸能文化の隆盛をはじめ東京一の繁華街と言われており、また東洋初の地下鉄道である銀座線も来ていました。隅田川に架橋して浅草へ乗り入れることは当時の東武鉄道にとって悲願であり、それが叶った浅草駅の建設においては関東初の百貨店併設ターミナルとしてアールデコ調の雄大な駅舎が設計されました。そうした歴史を持つ浅草駅は長らく東武鉄道の起点駅として君臨し、それがまたレジェンダリーとして積み重なっていく―という経緯を有しています。
この長い歴史、レジェンダリーという価値は、浅草駅から「機能としてのターミナル」が分離されてもなお残るものです。そして、レジェンダリーによって人々の間に生まれるのが「象徴性」、すなわち「東武鉄道の象徴」としての浅草駅という意味です。そしてそれは、長い時間連綿と紡いできたレジェンダリーを根拠に持っているからこそ、他では容易に持ちえない唯一無二の価値となっています。今でも北関東各地へ向かう特急列車の発着点であることも含めて、浅草駅は確かに東武線において「象徴としてのターミナル」という特別な存在であると言うことができます。

象徴性がアイコンとしての意味を持つ

「象徴」は内的に特別であることはもちろん、対外的にも重要な意味を持ちます。例えば、富士山は日本人にとって一つの誇りある象徴ですが、同時に海外の人々から見たとき「日本の風景と言えば富士山」と思い浮かぶような対外的シンボルとしての意味も持っています。「日本」という広く曖昧な概念への認識を一つに集約するこの象徴の対外的な役割は、言い換えると「アイコン」と呼ぶことができましょう。
「象徴としてのターミナル」である浅草駅もまた、誇りという内的な意味と同時に、アイコンという対外的な役割も持っています。先述したように、東武本線の都心側アクセスは地下鉄2路線への直通や北千住駅を含めて、いわば「機能としてのターミナル」が一意に定まらず分散した状態になっています。そんな中で東武本線における「都心側ターミナル」を象徴的に示すアイコンとして、特に遠方での長距離利用向けの案内に浅草駅が用いられているのです。

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↑福島県南会津地方での特急列車の案内掲示。「東京・浅草」という表現が見える。

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↑会津鉄道ホームページhttp://www.aizutetsudo.jp/の時刻表ページ。JR線直通列車の新宿と並んで「浅草」方面と案内されている。

もちろん実際に列車が浅草駅を起終点としていることも大きな理由でしょうが、「機能としてのターミナル」の一つである北千住駅の名前が現れず、都心側の代表駅として浅草駅が挙げられているのは、アイコンすなわち対外的シンボルとしての意味を感じさせます。

「おごらない」ということ

ここまで浅草駅のレジェンダリーと象徴性について話してきましたが、それらの価値があるからと言って当然その上に胡坐をかいていればいいというわけではありません。先に述べたように、レジェンダリーとは歴史の積み重ねであり、それは当然現在進行形で続いているものです。おごることなく、「今」という時間においても成長を目指し続けることが、象徴が象徴たる要件であるのではないかと思います。
浅草駅が「象徴としてのターミナル」という意味を明確に見出されたのは、実は最近のことです。2012年に同じ東武鉄道の手によって東京スカイツリーが開業し、スカイツリー・浅草エリアとして、なおかつ急増していた訪日外国人の来訪地として、推し進められていた観光開発の一環としてアールデコ調の優美なターミナルビルが復元されたという経緯があります。つまり、浅草駅はいま観光地としてさらに新たな歴史を歩み出していると言えます。駅舎の復元だけでなくビル内の商業施設のリニューアルや周辺エリアの一体的な再開発も含めて、ただレジェンダリーと象徴性の価値におごるのではなく、それらをさらに洗練、活用して成長しつつあるのが今の浅草駅です。そしてそれがまたこれからのレジェンダリーを作り上げていく、そうした絶え間ない変化と成長の物語こそが、象徴のあるべき姿なのでしょう。

これからも「起点」として

これまでの長い歩みというレジェンダリーが象徴性を生み、その象徴性が対外的なアイコンとしての意味を持つ―これは、一朝一夕には再現することのできない唯一無二の強みでもあると考えます。その価値をしっかりと携えながら、なおかつおごることなく「今」という時間においてもさらに物語を紡いでいく、その成長し続ける姿こそが誇りある象徴に相応しい、魅力的なあり様であると感じています。これからもかけがえのない「起点」として、その無二の魅力とともに歩み続けてほしいと願っています。


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