高輪ゲートウェイ駅命名問題を越谷レイクタウン駅に比較して考える

昨今巷を騒がせているJR山手線の新駅「高輪ゲートウェイ駅」の名称の妥当性についてですが、賛成派が近年の似たような事例としてJR武蔵野線「越谷レイクタウン駅」を持ち出して、あれが問題視されなかったのだから問題ないだろう、とする意見を見かけました。
ただこの論は、私としてはさすがに類似性を過大評価した暴論であると言わざるを得ません。今回の記事では、「高輪ゲートウェイ駅」の命名問題が「越谷レイクタウン駅」と比較しながら、なぜ前者が問題なのかを考えていきたいと思います。

○両者の類似点
先ほど挙げた賛成派の意見では、JR東日本が近年の新駅開業でカタカナの長い新名称を採用した事例として、越谷レイクタウン駅を高輪ゲートウェイ駅と同じ類のものとみなしていました。越谷レイクタウン駅の開業は11年前の2008年で、確かに最近の話ではあります。
ただ、両社の類似点は「カタカナの長い駅名」「施設名などではない新しい名称」という以外に特に見当たりません。これだけで高輪ゲートウェイ駅を越谷レイクタウン駅を同類視するのはいささか早計であると考えます。

○両者の相違点
では高輪ゲートウェイ駅と越谷レイクタウン駅は何が違うのか。一つ一つ挙げながら、同時に高輪ゲートウェイ駅の命名が何が問題だったのかを検証していきたいと思います。
・地名としての認識
まず、「越谷レイクタウン」はれっきとした地名です。行政上の住所表記として正式に採用されたのは2014年からですが、それ以前、駅開設前より、「レイクタウン」という名称はあの一帯の地名として認識されていました。
そもそも越谷レイクタウンはUR主導によるニュータウンであり、その町としての名前であります。最初から「越谷レイクタウン」という名称が掲げられながら開発が進められ、町開きがなされ、そして駅が開設されたのです。「越谷レイクタウン」という町の玄関口となる駅が「越谷レイクタウン駅」として開業することに、異議を唱える人は相当に少なかったと思われます。
一方、「高輪ゲートウェイ」はというと、その名称が地名として認識されているとは到底言えません。むろん将来的には再開発エリア一帯に「高輪ゲートウェイ」という住所表示が与えられる可能性はありますが、少なくともあの再開発エリアは今まで「高輪ゲートウェイ」という名前の地区としては認識されては来ず、唐突に駅名として「高輪ゲートウェイ」という名称を出された格好です。社会通念上駅名は周辺の地名や施設名を反映することが当然のこととされている中で、地名として利用されている実態も無い聞いたことの無い名称を持ってこられては、単純に分かりづらいと感じられるのは当たり前だと思います。
・歴史的な利用
最近の町のように思われる「越谷レイクタウン」ですが、事業決定は1996年と意外に昔で、計画自体はバブル期から存在していました。しかも、この事業化前の当時から、この計画は「越谷レイクタウン」という名称で呼ばれていました。現在も市内には、計画当初の予想図を「越谷レイクタウン」と紹介したものが残っています。つまり、地元住民からすれば、あの町を「越谷レイクタウン」と呼ぶのはとうの昔から決まっていたことで、現実に町としての成立や駅の開業でその名称を出されても、ほとんど抵抗は無かったわけです。
この点も「高輪ゲートウェイ駅」とは大きく違うところで、あの駅や再開発エリアをこれまで「高輪ゲートウェイ」(もしくはグローバルゲートウェイ品川)という名称で認識していた人がどれだけいたかというと、私は首をかしげざるを得ません。歴史的な認識も無い中で、「高輪ゲートウェイ駅」という命名発表は、ほとんどの人にとって予期しない突然のものだったでしょう。
・名称の妥当性
「越谷レイクタウン」はなぜ「レイクタウン」と言うのでしょうか。答えは簡単で、開発エリアに実際にレイク=湖(実際には調整池ですが)が存在するからです。この「レイク」は「越谷レイクタウン」のシンボルとして、住民や来訪者への公園機能を提供し、商業施設や集合住宅もこの「レイク」を望めるように造られています。「レイク」がシンボルとして存在する「レイクタウン」、と言えば、その名称に非妥当性を見出す人は少ないでしょう。
しかしながら「高輪ゲートウェイ駅」の方はと言うと、名称が妥当だと思われているかどうか怪しいところがあります。文字通りゲートウェイ=「玄関口」と捉えたとしても、羽田空港からの列車が停車するわけでもない、リニアの品川駅がこちらにできるわけでもない、という状況で、本当に「玄関口」なのか、名称の妥当性がいまいち感じられていないような気がしています。
・利用実態
「越谷レイクタウン駅」の周りには、越谷レイクタウンしかありません。あの地区はもともと水田くらいしか何もなかった場所に一から建設したニュータウンであり、したがって「越谷レイクタウン駅」の利用者はそのほぼ全員が「越谷レイクタウン」に用事がある人、ということになります。
ところが、「高輪ゲートウェイ駅」はそうではありません。都市部に位置するあの駅は、再開発エリアのみならず、高輪と呼ばれる地域や泉岳寺駅、隣接する品川や田町、また臨海部への利用も多くなるでしょう。そうした多様な利用実態が予期される中で、既に想定利用者の中で共通認識を持たれているであろう既存の地名ならいざ知らず、ほとんどの人にとって聞いたことが無い上に狭い再開発エリアだけを指したような名称を駅名に採用するのは、果たして適切だと言えるのでしょうか。

以上4点、「越谷レイクタウン駅」と「高輪ゲートウェイ駅」を比較してきましたが、「高輪ゲートウェイ駅」命名問題において「越谷レイクタウン駅」を同列に語るのがいかに暴論的か、また「越谷レイクタウン駅」の事例に対して「高輪ゲートウェイ駅」の命名がどのように問題だったのかをご理解いただければ幸いです。最後に私個人の意見を少し述べさせてもらうと、もはや今更「高輪ゲートウェイ駅」という名称を変えるには追加コストがかかりすぎるため現実的ではないでしょうし、従って私として改称を求めるつもりはありません。ただ、だからといって「高輪ゲートウェイ駅」という命名が適切であったとは到底思えません。民間企業だから何をやってもいいという論が通るなら、不採算路線を片っ端から廃止したり、東京駅をパチンコガンダム駅に改称したりすることさえ許されることになります。至極当たり前の話ですが、いくら民間企業であってもその経営規模が大きければ大きいほどその企業の社会的責任は大きくなりますし、インフラを担っているのであればなおさらです。「高輪ゲートウェイ駅」命名問題は、一種の「失敗事例」として、今後の反面教師とするべきであると感じました。

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