BL無罪論と「不当なBL規制」とは

始めに

BL云々の論争が中々沈静化しない。
私の前回のnoteもあくまで「現在の法的見解とは何か」「法治国家としてどうするべきか」について述べたものだったので、ここで論点を整理しようと思う。
判例を引用しているので長文になっているが、私の前回noteにも目を通して頂けるとわかりやすいところもあるだろう。


発端


話の大元は、「あやかしトライアングル」を燃やそうとしたツイフェミ(仮)に高村氏が全年齢向けガチエロBL(どういう事だよ)を例に挙げた事に始まる。
ざっくり高村氏のツイートを検索して発端であろうツイートを見つけてきたので以下引用する。

高村氏は以前から「男性向け女性向けで自主規制(レーティング等)の基準が異なるのはおかしい」と述べており、また所謂BL無罪論(BLはエロくてもゾーニングしなくていいが男性向けは萌え絵でもアウトといった旨)を批判していた。
これもそういった前提があれば、「ガチエロBLが全年齢に放流されてるのだからお色気漫画ごときにガタガタ言うな」といった趣旨である事は理解できるだろう。
今見ると発端にしてはほぼほぼ炎上していないように思うが、これがどうなったか表現の自由界隈を分断する展開にまで発展する事になる。
なぜ分断に至ったかは、私の前回noteが参考になるだろう。要するに不平等の黙認か不平等の是正かで派閥が割れたのだ。

経緯

細かい経緯についてはややこしすぎて把握できないので割愛するが、先に述べた高村氏の全年齢向けガチエロBLを引き合いに出した流れに文句をつけた人がいて、そこに高村氏が持論であるBL無罪論批判を展開。
その中で、堀あきこ、金田淳子、千田有紀といったBL無罪論を展開する社会学者がBL界隈のオピニオンリーダーとなっているとした。
特に堀あきこについては、彼女の著書「BLの教科書」にて「エロBLをR18にすると女の子は暖簾をくぐりにくい」といった事を書いており、これがBL業界が自主規制を導入しない理由付けにしていないかと懸念を抱かせていた。
当然、そんな知りもしない連中が自分達の所属する界隈のオピニオンリーダーになっているという事に納得できない人が「そんな奴知らない」「影響力ない」「関係ない」といった再反論を行うが、それにより話の流れが「社会学者はオピニオンリーダー足りえるか」「影響力はあるのか」「今知ったのだからもう無関係ではないのではないか」といった方向に流れていく事となる。
更に当時高村氏と論争をしていたA氏に前回noteでも登場したH先生が助太刀として登場し、「BL規制を許したら他ジャンルに飛び火するぞ」「BL規制に賛同する人は無能な味方ですらない」というような事を言ったせいで更に話をややこしくさせる事となる。
今回は、H先生については取り上げず、BL無罪論に主眼を置く事にする。

実状

先に述べた「BLはエロでもセーフだが萌え絵は非エロでもアウト」というBL無罪論というのが不平等極まりないゴミカス理論である事は表現の自由や法の下の平等を履修した諸賢ならご存知の通りだろう。
個人的には、このBL無罪論は内海や近藤といった医者連中が広めている偽医学に近いデタラメなものであると考えている。
ところで、内海や近藤といった医者達は偽医学についての本をいくつか出しており、週刊誌にも好意的に取り上げられる事がある。それを真に受ける患者は決して多くはないと思いたいが、彼らの言説によってセカンドオピニオンでお手上げの状態にされるという状態を招いている事から、これに一定の影響力があると考えるのはごく自然な帰結であるだろう。

ではBL無罪論についてはどうだろうか。
先に挙げた社会学者の中で、堀あきこはマンガ学会の理事を務めており、氏の出した「BLの教科書」という本は複数名による共著となっている。
「BLの教科書」の目次を見てみよう。

はじめに――なぜ,BLは重要な研究対象となっているのか(堀あきこ)
第1部 BLの歴史と概論
 第1章 少年愛・JUNE/やおい・BL――それぞれの呼称の成立と展開(藤本由香里)
 第2章 少年愛と耽美の誕生――1970年代の雑誌メディア(石田美紀)
 Column(1) 竹宮惠子×西炯子――『JUNE』「お絵描き教室」が果たした役割 (倉持佳代子)
 第3章 同人誌と雑誌創刊ブーム,そして「ボーイズラブ」ジャンルへ――1980年代~90年代(西原麻里)
 第4章 BLの浸透と深化,拡大と多様化――2000年代~10年代(堀あきこ・守如子)
 Column(2) BLと百合,近くて遠い2つの世界(田原康夫)
 第5章 BLはどのように議論されてきたのか――「BL論」学説史総論(守如子)
 Column(3) 海外におけるBL文化の広がりと海外の研究(ジェームズ・ウェルカー)
 付 論 BL小説ブックガイド(『BLの教科書』編)
第2部 さまざまなBLと研究方法
 第6章 やおい同人誌を研究する――物語とキャラクターの分析(石川優)
 第7章 「BL読み」という方法――BL短歌,クィア・リーディング,二次創作短歌(岩川ありさ)
 第8章 ポルノとBL――フェミニズムによるポルノ批判から(堀あきこ)
 Column(4) BLマンガとゲイコミック(田亀源五郎 聞き手:藤本由香里)
 第9章 やおいコミュニティにおける実践(東園子)
 第10章 男性アイドルとBL――BLのまなざしで男性集団の〈絆〉の描かれ方を読み解く(西原麻里)
 Column(5) 2.5次元舞台におけるBL的実践(須川亜紀子)
 第11章 BLゲームとアーカイブ(木川田朱美)
第3部 BLとコンフリクト
 第12章 社会問題化するBL――性表現と性の二重基準(堀あきこ)
 第13章 ゲイ男性はBLをどう読んできたか(前川直哉)
 Column(6) 生身の人間にファンタジーを押しつけないために(守如子)
 第14章 BLとナショナリズム(金孝眞)
おわりに――なぜ,「BLの教科書」なのか(守如子)


http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641174542

数え間違えていたら申し訳ないが、総勢16名による共著である。
また、現行の商業BLの出版体制は自主規制をほぼほぼ導入しておらず(成人レーベル自体は存在する)、BL無罪論の内「BLはエロでもセーフ」という部分に沿っている実情がある。
先の例に挙げた偽医学で言うなら、内海や近藤が日本医師会の理事になっていて、偽医学本が約15名の共著で出されており、標準医療の一部に偽医学が混じっているようなものである。これで影響力がないとするのは大分無理のある主張であるように思う。
また、偽医学やマナーの悪いオタクについて論じる際には界隈全体を巻き込んでも特に何を言われないと思われるのだが、BLになると「主語がでかい」といった主張が為されるのには非常に違和感を覚える。
BL無罪論及び現状それに沿った出版をしている商業BLを指して「BL界隈」とするのはそこまで主語の大きな話だろうか。まぁ掛け算の前後ろで炎上する界隈にとっては、主語が大きく見えるのだろうが。

続いて、「堀あきこを知らない」「だからオピニオンリーダーではない」とする主張はどうだろう。
まず、知らない=オピニオンリーダーではないとする事自体が屁理屈である。
そのジャンルを楽しむ事とそのジャンルへの影響力を持つ人を知らない事は全く矛盾しない。ヒカキンを全く知らなくてもYoutuberは楽しめるし、ヒカキンを知らなくてもヒカキンに影響を受けた第三者を見て推しや流行りが被る事はある。それと似たようなものである。
他にも例を挙げるなら、岡田斗司夫だってオタク界のオピニオンリーダーと言えるだろうが、別に岡田斗司夫なんか知らなくてもジブリもエヴァも楽しめるし、岡田斗司夫と同じ感想を持つ事もあるだろう。
つまり、知らない誰かがオピニオンリーダーとなっているというのは特段珍しくもない話なのだ。
また、「堀あきこに影響なんか受けてない」とする主張だが、仮に貴方が商業BLで全年齢向けガチエロ本を購読していたら既に影響を受けている。
なぜなら、堀あきこのBL無罪論と言われる部分を彼女が理事を務めるマンガ学会が容認していた場合、BL業界の全年齢向けガチエロBLを出版する姿勢はBL無罪論を受けてのものではないかとの疑念を抱かせるからだ。
勿論、疑念だけで断罪する訳にもいかないが、少なくとも現行の全年齢向けガチエロBL出版体制がBL無罪論の「BLはエロくてもセーフ」という主張に沿っている事は事実であり、全年齢向けガチエロBLがほぼゾーニングされずに買える事で商業BL勢が恩恵を受けているのもまた事実である。
「知らずに影響や恩恵を受けていた」と言えるだろう。

ある界隈では常識でも他界隈では知られていないというのはよくある話だが、それを知った上でなお「影響がない」「関係がない」と知らぬ存ぜぬを決め込むのは誠実な態度ではないように思うし、少なからず恩恵を受けていた商業BL勢は自らの立ち位置を示す必要があるだろう。
つまり「BL無罪論の恩恵をこのまま享受するか」「BL無罪論を否定するか」である。
BL無罪論が偽医学並のトンデモ論というのは先に述べた通りだが、BL無罪論を否定するには「男性向けも全年齢向けに流す」か「BLも男性向けの自主規制基準に従う」のどちらかとなる。
前者の立場であるならそれも構わないが、問題は「今どうするか」なのだ。

前回のnoteでも述べたように、今の法的見解では「男性向けも全年齢向けに流す」というのは極めて難しい。男性向け成人誌をゾーニングなしで書店に陳列すれば、行政からの是正勧告は待ったなしだろう。行政処分が下る可能性も十分あり得る。
抗議の例として、出版業界が一斉に快楽天等の成人誌を全年齢投入するのも一つの手段ではあるが、出版業界全体を巻き込んでそのようなリスクを抱えさせる事が適当だろうか。
そうなると規制に反対賛成に関わらず、後者を取らざるを得ないのだが、そうした姿勢を示した者に「お前は規制派だ」と謗る者がいるのも問題であるし、そもそも「今どうするのか」を問う事が「踏み絵である」とするのは適当ではないだろう。

また、「堀あきこや金田等のBL無罪論社会学者を批判しなかった事が彼女らへの消極的賛成として働いた」という現状認識の話が「BL無罪論に反対であるならこいつらを批判しろ」という踏み絵の強制だとする主張にも異論がある。
投票に行っていればわかる話だが、無投票が白紙委任に等しいのは明らかである。これまでほぼ無批判に等しい状態だった事が消極的賛成と映るのはごく当たり前の帰結であろう。
そのような状態でいながら、BL界隈や表現の自由界隈の外から「こいつら自浄作用がないじゃないか」と思われる事に不満を持つのは道理が通っていないのである。
仮にコミケでマナーの悪いオタクが目立っていたとして、これが放置されている状態だと世間から「オタクはマナーの悪い人の集まり」と称されるのは想像に難くないだろう。
そして、そういった事を避ける為に、コミケに行くオタクは勿論の事、コミケに行かないオタクもマナー向上の啓蒙を広める等の行動をしてきたのではないだろうか。
これがBLになると何かと理由をつけてBL無罪論批判を回避しようとするのは強い違和感を覚えるし、随分と虫のいい話ではないかと思う。
であるからして、そのような指摘をもって踏み絵の強制であるといった話にはならないと考えるのが自然である。悪質な曲解に映る。

また、先日この論争に意見したYS氏もコミックシーモアにてBL上位作品を閲覧しており、ガチエロBL作品が年齢確認なしで読める事も確認していた。

このように、現行法令上アウトになりかねない描写が全年齢向けに少なくない数が存在するのは事実と言えよう。
そして、こうした作品を商業BLの読者層が年齢確認なしで読めるという恩恵を受けているのもまた事実である。
ここでは、なぜBL業界が全年齢向けにガチエロBLをも流通させるのかといった所謂業界の事情に口を挟むつもりはない。
販路がどうとか売り上げがどうとかよりも、大事なのは理由は何にせよ現状がどうなっているかだ。

一方で、当然ながらこのような描写がされると不健全図書指定されるリスクが極めて高い。
BL規制について問題となっている都条例は前回noteで述べたように個別指定の形を取っている為、「全体から一定数のサンプルを抽出し、そこからアウトなものを探す」という手法になっていると思われる。
また、電子書籍については都条例の対象外となっている為、YS氏の挙げたガチエロBLが電子書籍に留まっている分には不健全図書指定のしようがない。
他県についても、「出版元の東京都でセーフならセーフでしょ」と包括指定が働いていないところもあるだろう。

では、その個別指定に使われるリソースを超える勢いで全年齢向けにガチエロBLを混在させて出版するとどうだろうか。
本来ならアウトになるはずが、数の暴力で選定から漏れて脱法化する全年齢向けガチエロBLという存在が現れるのである。
といっても、通報されれば当然アウトになるが、逆に言えば通報しなければアウトにはならない。
つまるところ、商業BL読者層は「全年齢向けガチエロBLが条例に触れる内容であると知っていながら通報もせず条例違反を黙認している」という見方もできる訳である。
これが「BL無罪論に与している」「恩恵を受けている」以外の何に見えるだろうか。
また、こういった全年齢向けガチエロBLの不健全図書指定を受けて、「BLは今のままでも不健全図書指定をされないように反対しよう」とするのはどうだろう。
普通に男女不平等な基準をこのまま維持しようとする主張に他ならないし、BL無罪論にそのまま与するものだ。
このような主張をしているのなら、「貴方はBL無罪論を容認するのか?」と聞かれるのはむべなるかなといったところである。
「BL無罪論は容認しないが現行法令に従うのも〜むにゃむにゃ」といったどっちつかずは不誠実ではないだろうか。

さて、ここで考えて欲しいのだが、このような業界や消費者、表現の自由界隈の態度は界隈外、特に行政からどのように映るだろうか。
個別指定の手法をクラックするかのような出版体制、成人向け相当であるとわかっていながら通報もせず消費する読者。悪法だから従わなくていいとする態度。どう考えても「順法精神がない」「消費者共々悪質である」としか映らないのではないだろうか。

私個人の主張を述べるのであれば、前回のnoteでも述べたように「現在の法的見解に従って、BLもレーティングを導入し、ガチエロBLが不健全図書指定される事を防ぐ」のがBL無罪論の否定にもなるし、現状の取れる唯一の選択肢だろう。
勿論、レーティングはあくまで「自主規制」だから、業界が決める事という事は変わらない。
しかし、業界外からどのような目で見られるかは覚悟しなければならない。

これは法治国家として譲れない部分であり、少なくとも「都条例は悪法であるから規制の容認(現行法令への適合)はしない」といった順法精神のない主張に与する事は法治主義に反する。それは将来的に更なる規制を招いて、より大きな禍根を残しかねない為に容認できない。
これは前回noteを読解できている読者なら理解するところであろう。

結論

結論から言えば、「BLも現行法令に適合すべき」という話でしかないが、上記をまとめるとこうなる。

  • 堀あきこや金田順子等の所謂BL無罪論を振りかざす社会学者がいるのは事実。

  • その社会学者がマンガ学会理事の役職に就いていたり、15名以上による共著を出しているのも事実。

  • 現行の商業BLがBL無罪論に準じた出版体制になっており、上記社会学者がオピニオンリーダー的存在になっているのも事実。

  • その出版体制により、ガチエロBLが年齢制限なしに閲覧できるのも事実。

  • これらの事が行政からは「順法精神のなさ」と映り、コンプライアンス案件になりかねない(ここは推測)。

  • 選択肢は「BL無罪論に準じた出版体制の容認」か「商業BLへの自主規制導入」のみ(今の法的見解からゾーニング撤廃を導くのは困難である為)。

さて、これらの事柄から導き出される「BLも現行法令に適合すべきだ」という主張は「不当なBL規制」なのであろうか。
「規制の容認」である事は事実ではあるが、果たして「不当」だろうか。

前回noteでも述べた通り、これは法治国家としてどうなのかという話であるから、私は不当ではないと考えるが、読者の諸君はどうだろうか。

そして、こうした主張に「お前は規制派だ」「不当なBL叩き」というレッテルを貼る事をどう思うだろうか。
「現行法令が不当な悪法だから従う必要はない」とする主張もどうだろうか。

現状の法的見解を無視し、理屈を徒にかき回し、言葉の端々を拾っては曲解し、揚げ足取りをして勝ったようなつもりになり遵法精神の欠片も見せない。

私にはこのような主張をする方こそが、表現の自由界隈の分断を招いているように思える。
確かに商業BLの現状を招いているのは業界側だからその読者層である腐女子に当たっても仕方がないという意見もわかる。
しかし、現行の商慣習を変えるには消費者も一緒になって是正に動く必要があるというのもこれは頷けるものではないだろうか。

「現行法令に従いながら改正運動をしよう」という政治運動としてはこの上なく正道のやり方が論点をぬるぬると動かしてまで誤魔化さされる現状ははっきり言って異常である。
果たして、世論から「無法者」「嘘つき」扱いされるような政治運動が全体的な支持を得られるだろうか。草津の虚偽告訴問題や沖縄の反基地運動を見ればそれは明らかではないだろうか。

日頃、ゴッホにスープ等の無法行為を批判しておきながら、表現の自由になると法に対する認識がバグってアナーキストと化してしまうのはいかがなものかと思う。
論点を誤らずに冷静な議論を期待したい。

追記

「BL業界も自主規制を導入すべきか」といった話だが、5年前の時点で既に触れている記事があったので紹介する。

「指定の候補となる図書は、東京都の職員が店頭で購入している。その中で、BLが明らかに目立っているのは間違いありません。出版社側も、すでにどんなことをやったら指定されるのか、わかっていないはずがないでしょう。事態は、指定されるような表現をやめるか、男性向けのように自主規制マークをつけるかを判断するところまできていると思います」

 そう語るのは、不健全図書指定の事情をよく知る業界関係者。

https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzo_201707_bl5/

「指定されるような表現をやめるか、男性向けのように自主規制マークをつけるかを判断するところまできている(と思います)」

さて現実はどうだろうか。
5年間、何の改善もなくほったらかしである。
行政がBL業界を橋頭保にして更なる規制強化に繋げてくるというのも現実味のない話ではないだろう。
ここにきて、「BL無罪論なんて存在しない」「BL優遇なんて私は主張していない」等とむにゃむにゃするような事を言っている人がいれば、その人が足を引っ張る事になるのではないかと危惧するものである。
以上。

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