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つれづれなるままに

悩みのない人間はいないとよく言うが僕は全人類の頭の中を覗いたことがないのでこれについてはなんとも言えない。
また、もし今を生きる人間全ての頭を覗いて皆それぞれ悩みを抱えていることが分かったとしてもそれではまだ不十分で、今度は過去に生きていた人間の頭の中を覗き、そして未来に生きる人間の頭の中も全て覗かなければならない。
この中にたった1人でも何の悩みもなく生きている人間を発見すれば上の仮説は否定されるわけだ。
これは所謂悪魔の証明というやつで、何かが「ある」ことを証明するのは簡単だが何かが「ない」ことを証明するのは非常に難しいというものである。
悪魔の証明の具体例の一つに神の不在証明があるが、これもさっきと似たような理屈で神が存在することを証明するにはどこかで神様を1人探して連れてくればいいが神様がいないことを証明するには宇宙の隅々まで探し回って神様がいないことを確認しなければならない。
だから後者の方が困難でしょう?という話だそうだが神様を見つけて連れてくるのもそれはそれでかなり苦労しそうなものである。
一体神様なんてどこを探したらいるのだろうか。
オリュンポス山の頂上だろうか?それとも天の国?神社の中?トイレの中?米粒の中?もしかしたらあなたの心の中にいるのかもしれない。
これ以上は個人の価値観というか宗教観に踏み込んでしまうのであまり掘り下げるつもりはないが僕個人の話をすると、僕は基本的に神様は必要のない存在だと思っている。
日々起きる良いことも悪いことも全て時の運だと思っているし、神の思し召しや運命といった風に感じることはない。
神社にお参りに行っても境内で手を合わせて考えることは「神様、僕今度の試験で良い点とって○○大学合格するんで見ててください」とか「神様、僕自分のことは自分でなんとかしますんで神様は他の困ってる人を助けてやってください」とかそんなことばかりである。
この男は神様に頼らない自分をカッコいいとでも思っているのだろうか。
その通り、カッコいいと思っている。
でも別にいいじゃないか、誰に言っているわけでもないし、所詮は自己満足の範疇である。
あ、でもここで言ってしまったから...まあ、あまり細かいことは今は考えないようにしよう。





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