B面

失われた時間はあまりに大きいのだ。

僕と澤田は昔よく通ったジャズ喫茶でかつてコピーしたブッカー・リトルのレコードを聴いている。
否、聴いてなどいない。たまたま流れ始めただけだ。

僕と澤田はさすがにしばしの沈黙を得た。
今や、彼と共有できるのは沈黙だけだった、と言ってもいい。

澤田は、沈黙を破って「安倍はやっぱりやり方がまずかったな。」と言った。あれじゃ、支持率も下げるよ。いくら自民でもな。

違う、そうじゃないだろう?
俺らがここでこのソロのところで話すのは、それじゃないだろう?
僕は「だよな。俺はそれでよかったと思っているけど。」と返した。

澤田は、「お前、もしかして、」と言いかけて、すぐに「まあ、景気もじき上がるさ」と言い直した。
違う、そうじゃないだろう?
「だよな。」僕はメニューにそう書かれていたのを読み上げたかのように、平坦な自分の声を聞いた。

「お前、ちょっとここ、広くなったんじゃねぇの」と言って、澤田は自分の額を指差した。

違うだろう。お前の好きな、お前が何ヶ月もこのフレーズばかり吹いていた、あのイントロが流れているんだぞ。

澤田は、「ああ、このフレーズ、もう今吹ける気がしねぇ!」と慌てて音楽の話に話題を戻した。
「俺も、もう二度とこのソロ弾けねえよ!」
そう言って俺たちは笑った。ふりをした。

心のふれあいというものがこの世にあるなら、心の離れ合いというものもこの世にある。

黙って、それだけが僕らの青春の面影として、思春期に得たマナーとして、A面の残りを聴いた。
澤田がすかさずに「B面も聴きたいんです。」とマスターに声をかけた。

B面を、僕らは、それぞれの生活の一部の中で聴いた。

共有し難い、僕だけの、生活の一部の中で、たまたま澤田というやつとB面を聴いた。


店を出ると、「じゃ、今度はあいつら誘って飲みに行こうぜ」と澤田は言って手を上げた。
僕はほっとして、「おぉ!」と手を上げて、振り返りもせずにただ地面を睨んで地下鉄を目指した。


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